第一部 現の悪魔 下

第二十三章 帰還

第175話 返品不可

『お買い げありがとうございます。発注完了いたしました』

 ところどころ、かべくずれた部屋の中に、綺麗きれいな女性の声が流れた。そして、その声に少し遅れるようにして、 だか少し間の抜けたような少年の悲鳴が聞こえてくる。

「ね 、さっきから何してんの? さてはまさか――、また勝手にいろいろいじくってんじゃないでしょう ?」

 扉をはさんで聞こえてくる少女の声に戸惑とまどって、ルーツはうろたえ、取り乱し、とっさにその場にあるものをそばの棚に押し込もうとしたのだが、自分の足元に置かれていた衣類の山につまずいて、一瞬手足をバタつかせた挙句あげく、見事にコケた。

 床にとがった物が落ちていなかったおかげで、幸い大事にはいたらなかったものの、ルーツが両手をさすっていると、奥の扉がバタンと開いて、たちまちユリの姿が れる。

「ん……その に持っているもの、なに?」

 なんでもない、とそう言って、ルーツはあわてて手を後ろに回したが、ユリはこちらの言い分を いてくれる様子もなく、ツカツカとルーツの元まで歩いてくると、何やらいろいろ文字が書かれた色鮮やかなものを、即座にさっとうばい取ってい 

―――――――――001―――――――――

「なになに……セドル商店のおはだつるつる軟膏なんこう? アンタがそんなに見かけのことを にしていたとは知らなかったわ。だけどどのみち、いくら薬をり込んだところで、その不規則な生活を さないことにはどうにもならないと思うけ 

 真面目な顔でそう言って、それからくすっと笑い出すユリに、ルーツは胡坐あぐらをかきながら腕組みをして、少しふくれた。

「笑わないでよ。別に僕だって、本気で おうとしてたわけじゃないんだから。……ただちょっと、面白いことが書いてあったから、気になって したら――」

「…… しちゃったって、アンタ、まさか注文しちゃったわけじゃないでしょう ?」

 ユリはどうやら、発注完了を告げる音声までは耳にはさんでいなかったようで、みるみる顔から笑みが消えていく少女の姿 を見つめながら、ルーツはためらいがちに口を く。

「えーと、…… しちゃいました。たぶん……、いろいろと」

 その瞬間、ユリの手元でぐしゃりという な音がして、目を向けると、見る者の興味と購買欲こうばいよくてる色鮮やかなチラシ広告が、無残にもにぎりつぶされていくところだっ 。その光景と、 が立ったユリの目つきをまのあたりにした少年は、もしや は自分の番だろうかと小さな身をふるわせる。

―――――――――002―――――――――

「でも、 く前なら、なんとかなると思うし……」

 そう言いかけた瞬間、どうしてこう、 が悪くなるようなことばかり続けて起きるのか。二人の頭上に、どこからともなく、何かが梱包こんぽうされた一つの箱が現れて、ユリの頭にゴツンと当た 

『荷物をお届けに上がりました。オスカル瞬間便しゅんかんびんです。セドル商店の、おはだつるつる軟膏なんこう五つ。間違いがないかご確認ください』

 元気な声が聞こえた割には、荷物を届けに たはずの配達員の姿は、その影すらも見当たらない。だが、正直ルーツにしてみれば、頭をおさえるユリの様子だけが気がかりで、それ以外のことに気を す心の余裕はまったく持ち合わせていなかっ 

 そんなルーツの心情を知ってか らずか、ユリは一言も口を開かぬまま、とても丁寧に箱を開けると、 から見覚えのある商品を取り出し、こちらに見せてく 

「使えるお金は られてるって、さっき私、アンタに忠告したと思ってたんだけど……ねえ、教えてくれる? 村に るまでの道中に食べられるよう、腹持ちがよさそうな食品を見つけておいてって っただけなのに、何をどう間違ったら、欲しくもない商品を五つも んじゃうなんてへまを起こすのかしら」

 もしかしなくても、それは、どうやったら返品 できるのかと、分かりもしないのにルーツがあちこちさわっていたせいだろう。

―――――――――003―――――――――

 まさか、もう一度 したらキャンセルできると思った、だなんて、ピクピクとほおらせるユリの前で言えるはずもなく、ルーツが無言で突っ立っていると、ユリはわなわなとふるえながら口を開く。

「ちょっとこれ、どういうこと? 返品できないって いてあるじゃないの!」

 気づけばユリは、保証書だか、契約書だか らないが、とにかく一緒に入っていた一枚の紙を見つめており、 るとそこには、そしてぐしゃぐしゃになったチラシにも、確かに『返品不可』という文字がでかでかと かれていた。

「事情を話せばなんとかなるかもしれないけれど、それには時間がかかりそうだし……にしても、なんでよりにもよって、こんなに いのを頼んじゃうのかしら。……分かってるの? アンタのせい 、貴重な食費の三分の一が失われたんだけ !」

 ユリがなげくのも無理はない。容器をざっと眺めただけでは、そんなに価値があるもののようには えないのだが、なんでもこの、オグロキノコ配合と書かれた軟膏なんこうは、五つで豆青貨三枚分もするらし 

 一年を通して必死に家のお手伝いを続けても、もらえるかどうかも分からないような多額の請求に、ルーツは思わず、代金を踏み すことを提案したのだが、どう考えても通るはずがない言い分に、ユリは額をおさえて首を振った。

―――――――――004―――――――――

「どうやら、それは無理 そうよ」

 その とともに、部屋中に、こんな言葉が聞こえ始める。

代金 をお支払いください。代金をお支払いください。代金を……』

 考えてみれば至極しごく当たり前のことなのだが、商店の生命線であるお支払いが、購入者の良心のみに せられているわけはなく、この は、ユリの手の内にある、一枚の紙から聞こえているのだっ 

 そして、しばらく放置していると、その は、だんだん大きくなってきて、終いには、聞いている二人の鼓膜こまくが異常をきたしてしまいそうなほど、馬鹿でかいわめごえに成り果て 

 これは、単純ながらも に効果的な取り立て方法だと、ルーツはそう思いながら、ユリに金を無心したのだが、少女はやけに たくて、取り合ってはくれなかった。

「こうなったら、 えないって正直に言えば?」

 人がこんなに んでいるというのに、ユリはどこかから持ってきた、ゆらゆらと湯気の つコップに口を付けながら、そんなことを言ってくる。

「もしかしたら、見かけによらず広い の持ち主かもしれないし、今回だけは勘弁かんべんしてもらえるかも ?」

 そもそも、このさけぶだけしか能がなさそうな紙きれに、心という概念が備わっているとは思えないのだが。仕方がないので、ユリの言う りに、手持ちのお金がないむねを、天井に向かって大声で告げると、音は不意にピタッと まった。

―――――――――005―――――――――

 が、ルーツの喜びもめやらぬうちに、紙きれは棒状に丸くなると、ユリの手元を飛び出して、なにやら不穏ふおんな言葉を吐いてくる。

泥棒どろぼう! 泥棒!』

 なんて人聞きの いことを言うのだろう、とルーツは最初そう思ったのだが、よくよく考えてみなくとも、この紙きれは 一つとして間違ったことは言っていないのだろ 

 それはひとまず いておくとして、どういうわけか棒状になった紙きれが、まるで意志ある生き物のように、ルーツの額を小突こづいてくるので、少年は頭をかばいながら、ユリに懇願こんがんする羽目はめになった。

「お願い! この り、すんごく反省してるからさ。今度だけ、代わりに払ってくれない? あとから多めに すから」

 頭を げるルーツを見て、ユリは恩着せがましく、しょうがないなあ、とつぶやくと、未だにルーツを き続けている紙束に向かって、豆青貨を投げつける。

 すると紙束は、パクリと貨幣を飲み込んで、以下の文句を機械的に べた。

『ご入金 を確認いたしました。毎度、ありがとうございます。これからも我が社のサービスをご愛顧あいこのほど……』

 どうやらこの仕組みを作った人々は、これからもご贔屓ひいきにして欲しいとのことだったが、ようやく元の物言わぬ存在に戻った を見て、この手のあやしいサービスにはもう二度と近寄るものかと、ルーツは固く心にちかったのだっ 

―――――――――006―――――――――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る