第169話 バカの考え方に、当てられて

 ルーツの意識が、現実の世界から離れていったことをしばらく待って確信すると、ユリは大きく息を吐いた。何かいい夢でも見ているのか、すうすうと気持ちよさそうに眠るルーツの頭を優しく撫でると、肩まで毛布を掛けてやる。

 本当なら、一緒にこのまま眠りに落ちてしまいそうなほど肉体的にも精神的にも疲れていたのだが――。ユリにはまだ、絶対にやっておかなければならない大事なことがもう一つ残っていた。

「もういいわよ、入ってきても。そこでずっと私たちの話を聞いてたんでしょう?」

 そう言うと、窓の側まで歩いて行き、近くの壁をコツンと叩く。すると、冷たい王都の夜の風が部屋の中に入り込んできて――、ユリの言葉が終わるより前に、部屋には影が一つ増えていた。

 しかし、目の前の小窓に、大きく開閉された様子はなかったのだが――。

 特に物音は聞こえなかったし、いったいいつもシャルはどこからやってくるのだろうと、ユリがそんなことを考えている間に、影は、城に帰る期日がやってきたことを単刀直入にユリに告げる。

 ……だが。死ぬ、とか、殺して、とか。部屋の中で物騒な言葉が飛び交っていたのを、盗み聞きして知っているにも関わらず、

「お嬢様、約束の日です」

 などと、あくまでも淡々とした態度で、必要最低限のことだけしか述べようとしてこないその人物に、ユリは一瞬、村に戻ると決めたことをどう切り出していいものかと、戸惑った。が、遅かれ早かれ、一度は口に出して言わなければならないことだと判断し、決意を固めて口を開く。

―――――――――525―――――――――

「事情が変わったの。城に戻るのは、もう少しだけ後にしてもらえないかしら。この前は目覚めるまでって言ったけど、出来ればこのごたごたが収まるまで、あとちょっと。多分、ふた月くらいの時間があれば、全てを片付けることが出来ると思うから」

 しかし、やはり、ふた月、というのは長過ぎたのか。ユリの言葉に、女性は受け入れ難そうな様子を見せた。そして、諭すようにこう言ってくる。

「お言葉ですが……もしやお忘れではありませんか? できるだけ長く外に居たいのは分からなくもありませんが、お嬢様の身体は、既に先天性の病気――魔毒症に侵されているんですよ? 世界に魔素が溢れている以上、今この時にも、じわじわと、ですが着実に、お嬢様の病状は悪化の一途を辿っているのです。

 確かに、城に帰り、魔素を通さない部屋に閉じこもれば病状の進行を食い止めることは出来ますが、一度体内に入り込んでしまった魔素を取り除く技術は、今現在でもまだ確立されておりません。ですから、自覚症状が出てしまってからではもう遅いのです。……誰かを助けたいと思うのは悪いことではありませんが、それは余裕がある者だけが試みればいいだけのこと。お嬢様があのルーツという子を助けたいと思っているならば、代わりにこの私めが、その役目を引き継ぎましょう。

 此処で城に帰ることを選ぶか、それとも、もう一生涯治らない痛みに苦しむことになるか。私は何も、あの人間の子どもを嫌っているわけではなく、お嬢様に後者の道を選んでほしくないだけなのです」

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 自分の将来を犠牲にしてまでする人助けに価値はない、というシャルの考え。確かにユリも、その考えには同意していた。

 自分が死んでしまったら、もう誰も救えなくなってしまうのだから、確かに自己犠牲というやつは、どちらかというと馬鹿の解決手段なのだろう。だが、この一日で、ユリはすっかりそのバカの考え方に、当てられてしまっていたのかもしれない。

 いつ症状が出かねない身である自分が事に当たるより、シャルが代わりに全てを引き受けてくれた方が、村の人たちも、そして自分も不幸にならずに済むと、頭では分かっているはずなのに。ユリは今、損得や理屈などではなく、自分の手ですべてに決着を付けたいという、独善的でつまらぬ意思を優先しようとしてしまっている。

 そんなユリの様子を見て、その意思が固く定まっているのを見て取ったのか。

「だから、あの子に言わなかったんですね。自分が魔法を使うたびに、いいえ、外にいるだけで負担がかかる身体だということを」

 やがてシャルはそう呟いた。

「すべてを打ち明けると言っておきながら……お嬢様は悪いお方です。わざと魔毒症のことだけ隠して話していたのを、私はちゃんと聞いていましたよ」

 それはユリ自身、迷いに迷ったことだった。

―――――――――527―――――――――

 勘違いはしてほしくないのだが、別にユリだって、最初から病気のことを隠しておこうと考えていたわけではない。むしろ、ルーツに記憶の紙を破らせようとしたその時は、ユリは真摯に、すべてのことをありのままに話すつもりでいたのだ。

 だが、ユリの口から直接聞きたいと、ルーツに思わぬ説得をされ、辛そうな顔をしながら自分の話をじっと黙って聞いてくれるその顔を見た時に、ユリはこう思ってしまったのである。

『もうこれ以上、余計な心配を掛けさせたくない』

 ただでさえ、兵士たちが村に攻め込んでくるという大きな心配事を抱え込んでいるルーツの頭を、自分の身体のことなんかでわずらわせたくない。そんな、相手の負担になることを嫌う考え方が、全てを吐き出しかけたユリの口をつぐませた。

 大体、ほんのあとふた月程度の間だけ、身体が持てば何も問題はないのだから。

 これはきっと、自分の胸の内だけに閉まったままにしておいた方がいい類の話なのだろう。それに――、

「そんなことを言っちゃったら、アイツ。私のことを、気遣っちゃうじゃない。そうしたら、本音を心の奥にしまい込んでしまうでしょう?」

 ユリが言うと、シャルはにわかにむすっとした顔になって、何処から出しているのか気になってしまうような低い声で、ぐるぐる唸った。

「そして出てきた本音が、お嬢様に兵士を大量に殺させることだったんですか。何とも、自分勝手な話です」

 口では嫌っていないと言っているが、到底本心だとは思えない。ユリが見る限り、シャルはまるで親の仇にでも会ったかのような目で眠っているルーツを睨んでいた。

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 だがルーツに対して過剰に敵意を向ける反面、ユリに対しては、シャルはどこまでも側仕えのままだった。長ったらしい忠告はしてくるものの、お嬢様の意思を最大限に尊重するという以前の方針は、今もさほど変わってはいなかったようで、

「次は、強制的に連れ帰りますからね。ふた月と言わず、村に及ぶ厄災がなくなったと判断したら、もしくはお嬢様の身に危険が迫ったら。……言っておきますが、私はちゃんと見ていますので。死ぬまでこの村を守りたいだとか、そんな馬鹿なことを言っても聞く耳を持ってあげませんから」

 シャルは、自分の要望が認められるまでどこまでも食い下がってくる厄介な少年とは違い、そう言うと、一旦は引く姿勢を見せた。

 が、持ち前の心配性の方も、残念ながらこれまた変わっていなかったようで。

「……そういえば。やっぱり別れるのが嫌だ、とか。もう少し見守っていたい、だとか。まさかお嬢様は村に平和が戻っても、また今とは違った理由をこじつけさえすれば、私がいつまでも村に留まることを許すとでも考えてるんじゃないですよね?」

 こんな風に、いろいろしつこく勘繰ってくる従者を安心させるため、ユリは結局、それからしばらくはシャルの不安に付き合うことになるのである。

 適当に頷くことだけしていれば、もう少しくらい早く話を終わらせることも出来たのかもしれないが、もうこれ以上誰にも嘘をつきたくなかったこともあり、ユリはたとえ、二倍三倍の時間がかかってでも自分の気持ちを素直に伝えることを優先した。

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