第132話 悪魔の証明

「以上のことに異議のある者は、今この場で申し立てよ」

 大声が、空中で見えない何かにぶつかり反響し、二重になって聞こえてくる。つい先ほどまで、ルーツの視力では、人々の顔の様子を捉えることは、目を凝らしても難しかったはずなのに。次の瞬間、ルーツは演説台らしき台の上に引っ立てられている人々の一人一人の容貌をくっきりと目にしていた。

 水溜りにはまって全身びっしょりと濡れた獣みたいに震え、項垂れている。

 何か特定のことを恐れているというよりは、目に映る物全て。この世の何もかもが、自分に悪意を抱き、害を為す、敵に見えている――。広場まで引っ立てられてきた人々は、そんな怯えきった顔つきをしていた。

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 可哀そう。

 その一団の中に、わずかに一人。自分と同じくらいの少年がいるのを見て、ルーツは事情も知らないままそう思う。ただ、助けたい、とは思わなかった。流石のルーツでも、自分の意思一つだけで、どうこうできる話ではないと分かったから。あくまでも、他人事として考えて、心のこもっていない乾いた感想を抱く。相手のことを知らなければ、親近感は微塵も生まれない。親近感が無ければ、同情することも無い。

 あの時、ユリが路地裏で痩せこけた少女を見た瞬間、関わり合いを避けようとした理由が少し分かったような気がした。関わらなければ、心が痛むことは無い。言い換えれば、相手の事情に深く立ち入ってしまうから見過ごすことが出来なくなるのだ。誰かを救う力なんて、ルーツは持ち合わせていないのに。

「お言葉ですが、司教様。私どもは、誓ってやっておりません。何か……きっと何かの手違いで――」

 広場の台の上では、見知らぬ女が一歩、群衆の方に進み出ていた。足が、まるで生まれたての小鹿のように、ひっきりなしに震えている。

 そして、女の途切れ途切れの声が、離れたルーツたちのところまで届いてきて、ルーツは誰かが意図的に、声を街中に響かせていることを知った。

「誰か、貴方がやっていないということを証明できる者は? 集まっている市民の中に、身知り合いの者はいるかね?」

 優し気な声が、食い気味に女に問いかけた。女はうつむき、つっかえながらも何とか言葉を紡ぎ始める。

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「ですから、私はその日、サンクリン通りの隅で、花を売っていたのです。赤い綺麗な花です。朝から、日暮れまでずっと居て、小さいのが四本しか売れませんでした。店の前で商売するなと、昼時に三人の男たちから何度か蹴られました。暗くなったので、裏街に帰って、後は少し前に親切な人から頂いた、藁を被って眠りました。ですから、北地区の裏路地になんか、行ってません。何度も、何度も、ここに来るまでの間も、申しあげたでしょう」

「その日、貴方が確かにサンクリンに居たということを証明できる者は、この中にいるのかね?」

「花を買って下さった方の顔は覚えています。七つの鐘の時に来てくれたのが、金髪で背丈の高いお兄さん。店じまいを始めた頃に、笑顔が素敵な老夫婦が三つ。買って行ってくれました」

「ならばその人物を。犯行当時、貴方が現場から離れた場所に居り、犯行は不可能だったと証明できる者を、早くこの場に連れてきてもらいたいのだが。姿形などの、誰にでも当てはまりそうな大まかな特徴ではなく、名前、住居の位置、職種、爵位。個人を識別できる情報を一つでも伝えてくれれば、我々も考えを改め、貴方の言う人物を探すよう尽力できる」

 優し気な声には、段々と苛立ちが混じり始めていた。その変貌に、身振り手振りを使って、必死に客の風貌を説明しようとしていた女性の動きが止まる。

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「それは、それは――」

「分からないのかね。であれば、貴方の口から出る言葉は、全て信頼性に欠けているということになる。その時、現場に居なかったという確固たる証拠、不在証明に貴方の意見はなり得ない。裏付けなき弁明は、妄言の枠を出ることはないのだ」

「だけども――」

 女性は、焦るように爪を噛んでいた。が、不意に何かに気が付いたように明るい顔になる。

「もしかして、それなら――。私が事件の時、現場にいたという証拠も、無いんじゃないですか? だって、私は絶対、行ってないんですから」

 しかし声は、証言がある、と、事もなげに返した。

「その日、北地区の路地裏で不審な動きをしている貴方の姿を見たという垂れ込みがあったのだ」

「嘘です。私は、行ってません」

「我々の下に、寄せられた証言は一人によるものだけではない。複数の、身分も、住まいも異なる男女が、貴方を現場付近で目撃したと証言しているんだぞ。貴方は一日中、サンクリンで花を売っていたというが、それはあくまで自己申告。信頼度は限りなく低い。同時に二箇所に存在できぬ以上、より信頼のおける方を信じるとなれば、採用されるのは彼らの証言の方になるだろう」

「そう言われても……、本当に私は出かけていないんですから、行ってないとしか」

「伝わらなかったのであれば、もう一度言おう。私は貴方に、自分が犯人ではないという証拠を出せと言っているのだ。白でなければ即ち黒。疑いが晴れなければ、真偽がどうであれ、貴方は、裏路地での大量殺人の関与者に認定される」

 強い口調でそう言われ、女性は、助けを求めるように後ろを振り返った。だが誰も、何も言葉を発することはない。

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「証言をした者に会わせてください」

「駄目だ」

「どうしてですか? 引っ張ってくることぐらい、簡単に出来るんでしょう。私を無理やり、何も伝えずに、ここまで連れてきたみたいに。私はここに来る途中に、初めて、自分が何の罪で引っ立てられているか知ったんですよ! まだ、私の話も聞いていないのに。勝手にどこの馬の骨とも知れない人の証言だけで、私を犯人扱いして、獣みたいに扱って! こんな大勢の前で、恥をさらさせて――。私は、その人の話が聞きたいだけなんです。聞くだけなら、別に何の問題も無いでしょう。それとも、証言者を人前に出せない理由があるんですか? もしかして、証人なんてほんとはいないんじゃないですか!」

 ほとんど自棄になったように、女性は叫んでいた。

「申し訳ないが、本人の同意なしに連れてくることは出来ないのだ。我々には、証言者の秘密を守る義務がある」

「私の権利は! 毎日の生活を壊されてしまった私の権利は、無いとでも言うんですか? きっと、冤罪だと分かっても、私はこれから白い目で見られてしまいます」

「犯罪者に権利は無い」

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「……たとえそうだとしても、やっていないことを、証明せよというのは、悪魔の証明です。ほんの少し怪しいふるまいをしたからといって全てのことを追及されていては、私たちはみな、犯罪者になってしまいます」

「社会的地位のある者ならば、人に勘繰られるような真似はしないはずだ。要は、疑われるような怪しい行動をとっている方が悪いのだ」

「……そんな。白か黒かじゃなくて、黒か、黒じゃないかが争点になるんじゃないんですか? なのに、潔白を証明できなければ、その瞬間、黒だなんて……、あんまりです。酷い。ひどすぎる」 

 ルーツも女性を責める声が正しいとは思えなかった。だが、何も知らない以上、滅多なことは言えなかった。

 それに、たとえ口に出していたとしても、不平不満を聞く羽目になるのはユリだけで、返ってくるのは、なんで私に言うの? という戸惑いの声だけだったろう。

「なら、せめて――」

 女性は打ちのめされていた。

「せめて、聞いてみてもいいですか、此処にいる人たちに」

「ご自由にどうぞ。気のすむまで」

 女性を問い詰めていた声が止む。ルーツは固唾をのんで、次の言葉を待った。

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