第130話 うるさくしないで

「待ってたわ」

 やっぱり、おかしい。随分と遅かったのね――、ぐらいのイラつきを滲ませた一言があってもよさそうなものなのに、ユリの表情は実に落ち着いていた。

 咄嗟に、怒らないの? と尋ねかけ、わざわざ進んで怒られることはないじゃないかと、ルーツは一人で首を振る。

―――――――――303―――――――――

「これ――、んと、この家って誰の――、じゃなくて、そもそも此処ってどこ? 兵士たちからは逃げれたの? ニーナはどうなって、僕の怪我は――」

 聞きたいことがありすぎて、支離滅裂な言い方になった。

「そこに座って」

「あ、うん。分かったけど――」

 ユリは軽くあしらうように、ルーツの発言を聞き流す。

 そして、自分の正面に置いてある、ルーツがたった今、階段から落としてしまった椅子と同サイズのものを顎で指した。

「座って。早く」

 有無を言わせぬ言い方に、ルーツはテクテクと歩き、ユリの言う通りにして下を向く。なんだか、上を向いたらその瞬間、激しい剣幕で怒鳴られそうで、しばらくは床の模様と睨めっこしていたのだが、いつまで経ってもユリがうんともすんとも言わないので、仕方なくゆっくり顔をあげると、

「怪我の調子は――大丈夫そうね」

 ユリはようやく切り出した。

―――――――――304―――――――――

「いずれにせよ、目覚めて良かったわ。こうして、話も出来ることだし」

 目覚めないかもしれないと思うほど、ルーツの怪我は酷かったということなのだろうか。ルーツは背中の肉を摘まむようにして、しこりを撫でた。

 あの時は、すぐに気を失ってしまったから、実際槍が、どれだけ深く刺さっていたかはあまり覚えていない。だが今は、もう出血はしていないようだった。

「誰が――、ユリが治してくれたの?」

 そんなわけはないと分かっていながら、ご機嫌取りのつもりだったのか、ルーツはそう言った。

「それか、ユリの知り合い?」

「まあ、そんなところ。でも、ルーツが知る必要はないわ。どうせ、貴方に答えを確認する術はないんですもの」

 それは、どこかで聞き覚えのある、少し奇妙な言い方だった。以前だったら、ルーツは露骨に違和感を顔に出していたことだろう。

 だが、これもまた、ルーツの知らないユリの一面なのだ。何も否定的になることは無い。先日路地裏で物にした、そんな大らかな考え方が、ルーツの口を噤ませた。

―――――――――305―――――――――

「良かったわね、膿まなくて」

「見たの?」

「何か、都合悪かった?」

「別に……いいけどさ」

 二人は黙った。会話が続かなかった。

 沈黙が、ルーツにはとてもじれったく思える。

「あのさ」と切り出しても空気はますます重くなるばっかりで、

「どうしてわざわざ上まで呼んだの? 此処まで来るの、結構大変だったんだけど」

「そう? だったら、私を呼べばよかったじゃない。手を貸すぐらいなら、してあげたんだけど」

 話しかけたところで、すぐに論点をすり替えられ、会話はすぐに終わってしまう。

「じゃあ、この家。まるで、爆発でも起きたみたいに、あちこち崩れてるけど、どうなってるの? この家の人って今どこにいるの? 挨拶したいんだけど、ほら。親切にしてもらったみたいだし」

「話す必要を感じられない。それってホントに貴方の知りたいことなの?」

「当たり前じゃん。何が起こったのか、話してほしいし、どうしてもったいぶる必要が――」

「私、意味のない会話って嫌いなのよ、疲れるし。貴方がそれを知ったところで、何かが変わるとは思えない」

―――――――――306―――――――――

「そんな言い方ってないだろ! 僕が寝てる間に、何があったかは知らないけどさ」

 あまりにも素っ気無いユリの態度に、ルーツは喚くように言った。

「そりゃ、ユリもユリなりに苦労したのかもしれないけどさ。一応、二人でやっていくって決めたんだから、そんなに露骨に遠ざけられると、僕だって心に来るよ」

 ユリは静かにしてほしい、とでも言いたげに額を押さえ、脚を組む。それから呟くように言った。

「聞いてはいたけど、人間って本当にうるさいのね」

「どういう事? ユリだって、僕とおんなじ人間じゃんか」

「分かったから、もう口を挟まないで。今、話してあげるから」

 自虐的なルーツを無視して、ユリは本当に面倒くさそうにため息をつく。

「もう、ゴメンって。今まで悪かったよ。だから、そんなぶっきらぼうにしないでよ」

「貴方こそ、何を言ってるの? 別に、私、怒ってもいないし、機嫌悪くも無いんだけど。ただ、ちょっと寝不足だから。あんまりうるさくしないで欲しいってだけの話。貴方の声、ワンワンと頭に響くのよ」

「だから、そういうのを機嫌が悪いって言うんだよ」

 てっきり、反論してくるものだとばかり思っていたのだが、ユリは不思議そうな顔で、ルーツの顔をじっと見つめるだけで。腹の中を探られている気分になったルーツは、きまり悪くなって身じろいだ。

―――――――――307―――――――――

「まあ、私が悪いってことで良いわよ。別に、どっちでもいいことだし。――それより、私が貴方を待っていた理由をとっとと話さないとね。もうすぐ『アレ』が始まることだし」

 アレとは何のことだろう。と、ルーツがいぶかし気な顔を浮かべていると、ユリは立ち上がって、少し脇にずれた。そして、窓の外を指差して――、街の景色がルーツの目に飛び込んでくる。

 三角屋根の家々が、一列になってどこまでも続いていた。赤や黄に色づいた蔦状の植物の葉っぱが屋根を覆うように生えているせいで、屋根の色はどれも同じに見えている。なかでも、ひときわ高くそびえ立っているのは、時計塔とでも呼べばいいのだろうか。大きな金色の釣り鐘は、街のシンボルのように、とても目立っていた。

 しかし、王都というくらいなのだから、どこかに王族たちが住んでいる城が建っているはずなのだが、なぜか一番象徴的であるはずのそれは、逆方向にあるのか、目を凝らしても見つからない。

「そっちじゃないわ。私が見て欲しいのはもっと下の方。此処から見て正面の――、そう。そこの水が枯れている噴水のすぐ傍」

 ユリの言った通りに、目線を動かすと、そこにはちょっとした広場があった。此処から数分も歩けば、辿り着ける距離だろう。ルーツは、適当に目算した。

―――――――――308―――――――――

「三本の道が合流してる所のこと、言ってるんだよね、あの突き当りにある……扇形で合ってるのかな、あの形」

 返事がないので、おそらく合っているのだろうと、ルーツはそう確信する。

 此処からだと、各々の表情までは捉えることが出来ないのだが、多くの人が広場に集まって、人垣を作っているのだけはよく分かった。

 広場には少し傾斜がかかり、奥に行くにつれて、土地は少しずつ高くなっている。あの分だと、最奥に置かれている黄土色の台に登れば、広場全体が見渡せるだろう。

 にしても、あれは、演説台なのだろうか? それにしては横幅がやけに広く、少しスペースを取りすぎているような気もするのだが。

「私が良いというまで、もう少しそこを見つめてて」

 ユリがそう言うので、ルーツは何の変哲もない、台をじっと見つめ続けていた。

 しかし、こうしていると、いつぞやに譲り受けた双眼鏡が恋しくなってくる。あれは、村に置いてきてしまったけれど――、ずっと目をかっぴろげたままでいるのは、予想以上に辛いことだった。


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