第67話 気が付いた時には

「貴様、見たな」

 ラードルの口調が変わった。

「反応したな、かわしたな」

 ユリは、首を横に振る。

「見えてたよね」

 ラードルから少し離れた所に、カネルが立っていた。脱力したように壁に背中を預けて、ぐったりしているユリの元に、ラードルがにじり寄るようにして一歩近づく。

「見えてない。今、初めて――」

 ユリは今にも泣き出しそうに顔を歪めながら、それでも否定し続けていた。

「何も、心配することはない。本当に、学院試験を受けた子どもだというなら何のお咎めも受けることは無い。少し質問をして、それで終わりだ、すぐに家に帰れる」

 何とかしなければ。だが、ルーツの足は凍り付いたようにその場から動かない。

 ――この際、ユリが何者なのか知っておいた方がいいんじゃないの。実際、いつの間にか、すり替わっていた可能性もあるわけだし。

 心の声は、ここぞとばかりに聞こえのいい言葉で囁き、ルーツを誘惑した。

―――――――――445―――――――――

「だが、ここで問題となるのは――」

 何の前触れも無く、ラードルはユリの顔に向かって、指先を突き付けた。ユリの眼が恐怖に大きく見開かれる。

「貴様が、このお嬢さんに化けているかもしれないという問題だ」

 ラードルは、既にユリが口にしたことを何も信じてはいなかった。今、此処にいるユリは偽物で、他に本物が居るという自分の仮説の通りに事を進めようとしている。

「まずはその懸念を払拭しないことには、確認したところで意味がない」

 ユリは後ずさりして逃げようとしていた。が、後ろは壁だった。ユリは、ルーツを見る。そしてラードルを、この時初めてはっきりと見つめた。

「やらなければ、やられるぞ。何のつもりかは知らないが、貴様みたいな小さな子どもが、あの呪文を読み解けるわけがない。本当の姿を現せ、化け物が」

 ラードルの威圧するような低い声に乗じて、ユリの右手がすうっと上がっていく。そして指先が、ラードルの顔面に向かって真っすぐに突き出されたところで止まった。

「それでいい、抵抗して見ろ。しかし――、逃げられると思うな」

 ラードルは無性に嬉しそうな声で笑った。だがそれは、最初にカルラを騙した時のような純粋な馬鹿笑いではなく、どことなく狂気をはらんだ危うい笑いだった。

―――――――――446―――――――――

 ユリが居なくなってしまう。ルーツの身体には、冷え冷えとした恐怖が染み入ってきていた。心の中に冷たく、どす黒い何かが溜まっていき、重苦しい気分になる。

 ラードルがユリを痛めつける。そう思ったわけではなかった。むしろ、ルーツはなぜだか、ユリが今すぐに、コテンパンに打ちのめされてしまった方がいいような気がしていた。ユリがもし、ラードルに向かって魔法を使うようなことがあれば、その時ルーツが知っているユリは消えてしまう。根拠もないのに、そんな気がした。ユリは魔法をうまく使いこなすことが出来ない。ルーツはその目で見て、分かっているはずなのに、ラードルを見つめるユリの瞳を見ていると、心が騒いだ。


 ラードルが口元を歪ませる。ユリの目つきがそれに応じて鋭くなった。そして、ラードルの手元が薄仄かに光って――、

「ユリ、逃げるよ!」

 ラードルには何が起こったか、分からなかっただろう。それほど、ラードルにとって意外なことが、そして張本人であるルーツにとっても、意外なことが一度に起こった。地面にへたりこんでいるユリがルーツを見上げている。そしてラードルが、腰を押さえてルーツの方を睨みつけている。女性、カルラ、カネルの三人は、驚きと戸惑いが綯い交ぜになった顔でルーツを見ていた。

―――――――――447―――――――――

「やっぱりお前も、こいつの仲間か!」

 自分に背を向けているラードルの腰目掛けて、全体重を乗せた肘鉄を食らわした。ルーツがしたのはそれだけのことだった。ユリを失ってしまう。その一心で、ルーツは最も安直で、それでいて唯一の抵抗を試みた。

 だが、まさか、ルーツから攻撃を食らうとは思っていなかったからだろうか。それとも、打ちどころが悪かったせいだろうか。

 ルーツより一回りも二回りも大きな身体をしているラードルは、背後からの一撃をまともに食らい、つんのめって、手をついた。そして、その一瞬の隙は、ルーツがユリの手を掴むには十分すぎる間になった。


 気が付いた時には、ルーツはユリの手を掴んでいた。

 ユリが立ち上がるのを待たず、細道の奥に向かって走り出す。ユリが何か言ってはいたが、今のルーツに聞いている余裕は無かった。

「待て! カルラ、捕まえろ!」

 その声とともに、今まさに、ルーツが踏み出そうとしていた地面が焼け焦げる。

 だが、魔法を放ったのが誰であったとしても、あんなに魔法をうまく使いこなしていた人が、こんなに大きな的相手に、これほど近距離で外すはずがない。

 つまり、今の一発は牽制だった。止まれ、止まらなければ次は当てる。ルーツたちの後ろにいる人物はそう言いたいのだろう。

 しかし、ルーツは止まらなかった。無意識に、ユリの身体を引き寄せる。

 そして、狭い隙間を突っ切って、この細道よりもさらに狭い、迷路のような裏路地に、飛び込むように身を躍らせた。

 と同時に、ルーツの頭のすぐ上を、赤い光線がかすめていく。

―――――――――448―――――――――

「止まれ! 逃げてもすぐに分かるぞ!」

 後ろからは、そんな警告が聞こえていた。が、ルーツは、ラードルとおぼしき大声を、聞かぬふりして逃げ続けた。

 一つ、二つ、三つ、四つ。とにかく曲がり角を見つけるたびに、ルーツは必死で曲がっていった。勢い余って、何度か角に衝突したが痛みは無かった。

 そして、しゃにむに進んでいくうちに、ルーツたちのすぐ後ろまで迫っていた足音は、何も聞こえなくなっている。

 だが、ルーツはそれでも止まらなかった。緊張と疲れで、自分の身体が悲鳴をあげているのを無視し、とにかく走る。だから、ユリが手を振りほどこうとしていた事にも気がつかぬまま、ルーツは入り組んだ方へ、細い方へ、暗い方へと進んでいった。









―――――――――449―――――――――


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