第34話 螺旋の先の答え


「……というかですね、いちいち言葉選びが不穏なんですよ、ヴァルくんは」


 薄暗い螺旋階段。先を行く黒い毛並みにわたしはそう言う。


「『終わりの始まり』って。世界の終末かと思うじゃないですか」

『おや、でも間違ってはいないでしょう?』


 器用にも足を止めずに振り向いた黒猫は、にこやかな声音でそれに答える。


『居場所さえわかれば、あとは追い詰めて引導を渡すだけです。向こうにとっては、自由が終わるその始まりですよ』

「すごい強気。いやだから、そういう言い方するから魔王とか言われるんですよ」

『魔王でしたからね』

「染み付いてらっしゃるう」

「……おい、呑気が過ぎるぞ。気を抜くな」


 厳しく叱られて、慌てて両手で口を塞ぐ。いかんいかん、猫ヴァルくんと話してたら、うっかり気が緩んでしまう。他人のせいにするなって怒られそうだけど。

 そんなわたしの後ろ頭に、グラティアの呆れたような溜め息が聞こえた。


 猫ヴァルくんを先頭にして、後に続くのはわたしとグラティア。

 その二人と一匹で下りていくのは、西塔内部の螺旋階段だ。普段、城内に時間を知らせる時計塔として見上げていたその下には、なんと地下深くへと続く秘密の階段が存在していた。魔王城内にいくつもある〈開かずの扉〉のその一つだ。

 魔王城事務局の下、厳重に管理されていたようだけど、その封印は、当然のように猫ヴァルくんが開けてしまった。まったく恐ろしい猫である。


 しばらく螺旋階段を下りた頃、ふとピクリと耳を動かしたその猫が、少しだけ足を止めてどこか遠くへと顔を向けた。


『どうやらが当たりだったようです。なかなか凄まじい有り様ですよ』

「では、我々はこのまま進んで問題ないな」

『ええ。大丈夫でしょう』


 猫ヴァルくんが口にした『あちら』とは、別ルートから地下を目指すアウレリオのことだ。

 あちこちに保安術式が編まれている魔王城モールで、ケイちゃんを連れたままでの自由な転移は、さしものリリムにも難しい。その状況下で彼女が使いそうな道をヴァルくんに絞ってもらい、二手に分かれて追っているのだ。

 ちなみにこの猫ヴァルくん、アウレリオにもついている。驚いたことに今の彼は、一度に複数の魔力体を動かせるらしい。おまけに元は同じということで、意識や視界の共有も可能。自立歩行する賢い通信機といった感じである。すごい便利。

 ……それにしても、成人ヴァルくんが猫ヴァルくんを作った時の、アウレリオの顔といったら。

 前に会った時には、まったく想像もしていなかったのだろう。猫好きだと公言していた分、正体を知って複雑さもいや増すようだった。残念。


 あちらにリリムの痕跡があったことから、こっちでの遭遇確率は低いと判断された。わたしたちも一気にペースを上げる。

 螺旋階段を下り切ると、そこは小さな部屋になっていた。一方の壁に扉があり、そこから奥へと通路が伸びる。暗く湿った石造りの通路だ。横に二人と並べないそこを一列になって歩き続けると、やがてまた、開けた場所に辿り着く。

 明らかに機能面しか考えられていない、簡素な石造りの広い水場。そこで静かに水面を揺らしていたのは、奥の石樋から流れ落ちる、美しい虹色の湧水だった。


 ――その輝きは間違いなく、あの地下聖堂の泉と同じだ。


「ほう、これが噂の〈霊泉〉か。確かに、覚えのある魔力だ」

「本当に、繋がってたんだ……」


 魔力付与エンチャントに利用されているとわかってはいたけれど、本当に城内から繋がる道があるとは驚きだ。

 そして――


『あちらはまだ、所定の位置に着いていないようです。今のうちに準備を』

「本当にやってしまっていいんだな?」

『場所を選べば平気でしょう。危険な箇所は、私が指示するので避けてください』


 これからの段取りを確認し合う一人と一匹を余所に、わたしは、きらめく水が流れ出てくるその方向を睨み据える。


 ……この壁の向こうに、リリムがいる。


 もしかしたら、もう勘付かれているかもしれない。こちらの行動など筒抜けで、になるのはわたしたちのほうかもしれない。そうとも知らず、わたしたちは、愚かにも破滅に向かって突き進んでいるのかも――


 その時、不意に「ユッテ」と呼ばれて我に返った。見ると、不審と心配の間のような眼差しで、グラティアがわたしを見つめていた。あれ、いつの間にか猫ヴァルくんがいない。どこ行ったんだろう。


「今更かもしれないが……どうして、きみまでついてきたんだ?」

「え?」

「私やアウレリオは騎士だし、それぞれに背負うものがある。しかし、きみはただの書店員だろう。こんな危険に付き合う必要はないはずだ」

「あー……そうですね。お荷物をお任せして申し訳ないとは思ってます」


 魔力はミジンコ。腕っぷしも人並み程度。自分で自分を守る力量さえないわたしは、普通に考えてただの足手まといである。本当なら、先に避難した副店長たちのところへ自主的に向かうべき立場のはず。

 それでもわたしがついてきたのは、心配事があるからだ。


「ただの書店員が一緒なら、グラティアさんも、うっかりヴァルくんのことまで討伐したりしないかなと思いまして。あなたを信用していないわけではないんですけど、やっぱり、相性ってあるじゃないですか? 協力できれば心強いのに、仲間割れで終わっちゃったら嫌なので」

「……私としては、それも解せないんだが。どうしてきみは、操られてもいないのに、〈魔王〉を名乗るもののためにそこまでするんだ?」

「へ?」


 至極真剣に言われた意味がわからず、間抜けな声を出してしまう。


「真偽はともかく、相手はあの〈魔王〉だぞ。知らないわけじゃないだろう。魔物の闊歩、悪逆の横行を許して人々を苦しめ、正義を抱いた勇敢なる先人たちをことごとく潰し、己の欲と贅のために暗黒の時代を作り上げた暴君だ。怨んだり恐れたりすることこそあれ、気遣うような相手ではないだろう。正直、向後の憂いを断つためにも、まとめて浄化したほうがいいと私は今でも思っている」

「ああ、なるほど」


 そういえば、〈魔王〉というのはそういう人なんだった。すっかり忘れていたけれど。


 ……改めて考えると、確かによくわからないな。なんでわたし、こんな危ないことに首を突っ込んでるんだろう。


 平穏無事な生活が、わたしの切実な望みだった。それなのに今のわたしは、聖騎士と一緒になって、上級悪魔に喧嘩を売ろうとしている。どうしてこんなことになったんだろう、と両腕を組んで考えて、なんとなく、浮かんだ答えに口を開く。


「なんというか……わたしにとっては、彼も、他と同じお客さんなので」

「金払いがよければ、相手がなにものでも関係ないと?」

「まさか。あの人がお金を払ったことなんて一回もないですよ。うちに来ても、上の階の本を読んでるだけですもん」


 むしろ、何度わたしがごはんを奢ったことか……と小さくぼやくと、僅かに軽蔑の色を浮かべていたグラティアは、訝しそうにそれを改める。

 けれど実際、お金とか、そういうことではないのだ。


「お店のですね、一部になっちゃってるんです。毎日必ず来店して、副店長と本の話をして、好きな場所で好きな本を読んで。そんな光景が、もうわたしの日常なんです。お店はわたしの一部ですから、あの人も、わたしの一部になってるんですよ」


 そういうことだ、と自分も納得する。

 出会いと身元こそ衝撃的であれ、彼はもう、わたしの『平穏無事』の一部になった。皮肉に苛立たされるのも、お菓子で餌付けできるのも、小さな手と手を握り繋いで、隣に並んで歩くのも。すべて、わたしの一部だった。

 だからわたしは守りたいのだ。わたしが望む『平穏無事』を。


「……まるで恋する乙女だな」

「ぶふぉおっ!」


 武骨な言動の聖騎士からは予想もできなかった甘い評価に、思わず思い切り噎せ込んでしまう。いやちょっとこの状況で爆弾投下とかやめてくださいよ壁の向こうにバレるでしょ!


 ……あっ! わかったぞ! わたしの中の『ヴァルくん』と、この人が知ってる『ヴァルくん』は見た目年齢が違うんだ! だから恋とか言い出すんだ!


 それは大いに間違ってますよと主張しようとしたところで、するりと黒猫が戻ってくる。見上げる赤眼に、多分に呆れた色を映して。


『仲が良いのは結構ですが、じゃれ合ってタイミングを逃すようなヘマはしないでくださいよ。――そろそろです』

「ふん、待ちくたびれたな。きみは下がっていろ、ユッテ」


 他人の平静をぶち壊しておいて自身は平然と踵を返すグラティアに、どうしようもなく顔が渋くなる。それでも今は、そんな議論をしている時じゃない。着々と最後の仕上げを進めている一人と一匹から目を離さないまま、わたしは水場の隅っこ、通ってきた通路のすぐ脇辺りに移動した。


『向こうのものは消しました。も、行動開始と同時に消します』

「タイミングを逃すようなヘマをするなよ。自称魔王」


 元魔王と女性聖騎士が言葉を交わす中、分厚い石壁の向こうがにわかに騒がしくなる。大声の端々が聞こえ、奇怪な悲鳴が微かに届く。

 その一瞬。


『では――始めましょう』


 黒猫の合図に、グラティアが両手をついた石畳の床へと声を発する。

 その手元から水場を突っ切り、湧水が流れ出る壁の複数箇所に走って描き出されるのは、青白い光の複雑な模様。

 聖騎士は魔法騎士。

 秀でたその魔力で、多彩な魔法を操る高位の魔術師でもある。



「――爆砕光陣エスプロジオーネ!!」



 カッと魔法陣が光った直後、黒猫が消え、そして大聖堂と隔てる壁が爆散した。




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