第33話 末裔の立つ瀬


「なにをしている、と聞いているんだが? 聞こえないのか?」


 女性の声が険を帯びる。ちらりと振り返ったアウレリオは焦った顔だが、わたしたちだってどうにもできない。一瞬、ぎゅっと強く両目を閉じた彼は、腹をくくったように声の主へと向き直った。


「はっ、申し訳ありません。残っていた客と店員を保護したところで……」

「保護? きみは兵士か、それとも騎士か? 私の隊のもの以外は、行動を許可していないはずだが」

「自分は、グロースメアの騎士団員です。今日は客として来城していたのですが、その……知人がまだ避難していないと聞き、つい駆けつけてしまいました」


 そんなやり取りのうちに、アウレリオと対する人物が見える位置まで、ヴァルくんが歩み寄る。

 鋭い声音のその主は、二十代後半くらいの人間女性だった。落ち着いた赤茶色の髪をひとつにまとめ、しなやかな長身に凛々しい軽甲冑をまとっている。腰には立派な長剣を一振り。厳しく眇められた目元がこちらを向いた時、その唇が開くより前に、ヴァルくんが「すみません」と先手を打った。


「叱責を受けるべきは我々です。その方は、私たちの命の恩人なんです」

「恩人? ……なにかあったんですか?」

「突然、妙な相手に襲われたんです。私はこの本屋の上階にいたんですが、避難の放送があった直後、黒い影の化け物が現れて……。避難誘導に来た彼女まで巻き込まれて、あわやというところで彼に助けられました」


 そう力説する彼の様子は、なにも知らなければ実に真に迫って見える。知っているわたしからしたら、完全に嘘じゃない辺り凄い、という感じ。匠の技。

 けれど、そんな呑気な感想を持てていたのも、これで上手く誤魔化せるだろうと思っていたからだ。――それがそうでもなく、すらりと抜き出された長剣を迷いなくこちらに向けられた時には、わたしはあまりの意味のわからなさにぽかんと口を開けてしまった。


「ちょっ、なにしてるんですか聖騎士さま! 一般人ですよ!」

「……これが一般人に見えるから、きみはただの騎士に過ぎないんだ」


 研ぎ澄まされた切っ先が向くのは、わたしより上、ヴァルくんの眼前だ。本人同士は平然としているけれど、挟まれたわたしは生きた心地がしない。


淫魔インキュバスか、それとも合いの子カンビオンか。どちらにしろ、私は騙されんぞ。なにが目的でここにいる」

「……おやおや。だてに聖騎士を名乗っていないようだ。そのくせ血の気が多すぎるのも、あの聖女の影響ですかね」

「ぬるいな、挑発のつもりか?」

「おや、ただの事実でしょう?」


 真顔と笑顔、鋭い眼光を交わし合う二人に、間のわたしが限界になった。諸手を挙げて「ちょっと待ってください!」と割って入る。


「確かにこの人は悪魔寄りですけど、悪い人ではないんです。うちのお客さんなのも本当ですし……あっ! そんなことより、このモールでなにがあったんですか? 西の城門が攻撃されたとは聞きましたけど、それだけなら、こっちまで避難する必要ありませんよね?」

「そんなことより……いえ。そうですね、無関係な小物に構っている暇はないのでした」


 いくらか不服そうにしながらも、女性の聖騎士はとりあえず長剣を収めた。ただし右手はまだ、その柄にかけられている。……ちなみにこちら、凄く大物です。百年前まで魔王とかやってました。言わないけど。


「本日未明、キューマ領主より『人間の少女が女悪魔にさらわれた』との一報があったのです。駆けつけた聖騎士団員の調査により、その少女をさらったのは、十年前に行方をくらましていたとある上級悪魔だと知れました。その魔力痕を追って、我々はこの魔王城モールへとやって来たのです」

「つまり、西門の件は無関係ですか?」

「それはどうやら陽動だったようだ。いたのは中級の使い魔一匹で、我々が到着と同時にそちらへ向かった矢先、この付近で桁違いな魔力の動きがあった」


 アウレリオに端的に答えた彼女は、再び、ヴァルくんへと視線を据える。


「なにか知っているなら隠さず話すことだ。当件に協力的か否かで、今後の処遇が決まると思え」


 ああまたそんな言い方を、と焦ったのはわたしとアウレリオだけ。当のヴァルくんは「ふむ」となぜか納得したような声を洩らした。


「では、私が知ることをすべて話しましょう。その代わり、貴女にもになってもらいます」

「……なに?」


 不審を隠さず渋面になる聖騎士。流れを悟って「……まさかヴァルくん」と呟いたわたしに、視線を落とした彼は唇の端で笑う。向こうのほうで、アウレリオが諦めたように呻く声が聞こえた。

 そして彼は、まさかの本当に、すべてを話してしまったのである。





「……貴様が魔王? 討伐ではなく封印で、時を経て復活した? それに〈聖火導師〉に〈聖火騎士団〉だと? ……寝言は寝てから言ってくれないか」


 端的な説明を正確に聞き取った聖騎士は、それを悔いるように頭を抱えていた。


 ……気持ちはわかる。わたしやアウレリオは段階的に理解できたけど、こんな話、一気に詰め込まれても頭痛がするだけだ。寝言でも引くレベル。


 ついつい気の毒になってしまって、わたしから「あの」と声をかけた。ちなみに、説明の間にお姫さま抱っこは解除されている。まだ本調子ではないので、至近距離で支えられてはいるが。早く自立したい。


「残念ですけど、全部本当のことです。〈魔王の母〉がこの人に接触してきたのも、この人の身体が、今も〈聖紋〉結界に封じられているのも。わたしの言葉では信用できないでしょうけど、どういうご縁かわたし、全部この目で見てきてるんです。……〈聖火騎士団〉に関しては、わたしも聞いただけなので、なんとも言えないんですが」

「それについては、自分が保証します」


 アウレリオは、どこか諦観を漂わせながらも踵を揃えて聖騎士に答える。


「詳しくはお話しできませんが、かつての栄華を懐かしむ方々によりその名を与えられた騎士団です。集ったのは家名を背負ったもの、志あるものと様々ですが、そこに地位の上下は関係ないと聞いています」

「国の高官が関わっていると? ……確かに懐古主義な面々がいるとは聞いていたが、そこまで筋金入りだったとは」


 一市民のわたしにはピンとこないが、どうやらずいぶんと本格的な地下組織だったらしい。聖騎士の苦々しそうな様子からして、それも、そこまであり得ない話ではなかったようだ。

 探る視線はそのままに、相手は半歩、歩み寄ってきた。


「……しかしそれが事実なら、どうしてこんなに悠長にしているんだ。早くその悪魔を見つけて、止めなくてはならないんじゃないのか」


 それは確かに気になっていた。上階でリリムが消えてから、すでに結構な時間がたっている。こんな場所で呑気に会話している場合じゃないだろうとわたしも思ったけれど、ヴァルくんの返答は「特に問題はないでしょう」と軽かった。


「こうしていても接触があればわかりますが、今のところ、その気配すらありません。十年かけて辿り着かなかったわけですから、まだ多少の余裕はあるでしょう。……それに、リリムの目的は私の解放と魔王としての再臨ですが、解放されたところで、私のほうにそのつもりはありませんから」

「それに関しても、私はまだ信じていないのだがな」


 ギラリと鋭い疑念の視線にも、ヴァルくんの反応はそっけない。


「疑いたいのならご自由にどうぞ。しかしすべてを知った以上、ここで貴女が選べるのは『協力か死か』だけです」

「なんだと」

「どちらにしろ、我々はリリムを捕らえなくてはならない。私の意志がどうであれ、すぐにも保護しなくてはならない人質がいることを、貴女は忘れないほうがいいでしょうね」


 こうして疑い合う間にも、ケイちゃんに危険が迫っているかもしれない。

 自分はなんのためにここにいるのか、今なにを優先すべきなのかを元・魔王から指摘された聖騎士は、ぐっと言葉を呑み込む。

 そして思考の後、固い決意が窺える目で、真っ直ぐにヴァルくんを見返した。


「……いいだろう。ただし協力するのは私だけだ。他の聖騎士を関わらせることは許さない」

「えっ! なんでですか?」


 これほど心強い戦力はないのにと、思わず声を上げたわたしを見やり、彼女は短い沈黙を置く。そして厳しい表情を崩さないまま、思わぬ言葉を絞り出した。


「きみたちの話が事実なら、私は、私の先祖が選んだ道を、我が一族の名誉のために守らなくてはならないからだ」

「え?」


 とっさに理解できないわたしと違い、他の二人は「ほう」「ああ」と納得だか関心だかの声を上げた。目を丸くしたアウレリオが、見上げる上体を僅かに乗り出す。


「そういえば、聞いたことがあります。今のクリンゲル聖騎士団を率いるのはハイリガー家の当主弟で、その下には、ハイリガー当主の娘として、非常に有能な女性騎士がいると。それが貴女ですか」

「有能かどうかは知らないが、ハイリガーの女聖騎士は私だけだ。名はグラティアという」


 興味津々な翡翠の視線にも、グラティアと名乗った彼女は淡白だ。そんなそっけなさのせいで、しばらく考えてしまったけれど。


「ハイリガー家って……ん!? もしかして、あのハイリガー家なんですか!?」


 ようやく思い出したその家名は、聖女ハイリガー、つまりあの聖女リタと勇者ユウタロウに始まる一族の名前だった。


 異世界から召喚され魔王を倒した勇者ユウタロウは、その後、この世界に留まった。魔王の支配から解き放たれた人々を導き、王を持たない議会制民主主義の国を作り、自らは市井にあったまま、多くの偉大な業績を残して生涯を終えた。

 そんな教科書の記述の一方で、「彼はかねてから想い合っていた聖女リタと結ばれ、幸せな家庭を築いていきました。めでたしめでたし」と語られる物語が数多くある。『勇者叙事詩』はもちろん、絵本や児童書、大人向けの大河小説まで。


 その物語の先頭にいるのが、まさに、ハイリガー家の人々なのである。


「なるほど。あの二人の末裔だとすれば、貴女たち一族こそ、の栄誉を一身に受けてきた立場ですからね。それがもし偽りと知れれば、立つ瀬など一瞬でなくなってしまうわけだ」


 この上なく愉快そうなヴァルくんに、ぎりぎりと歯を食いしばるグラティア。それでもそれで抑えられているのは、彼の言うことが間違いではないからだろう。

 しかしこれでは、協力もなにもあったもんじゃない。闇討ちなどされては困るのだ。だからあえての軽い口調で、わたしは「まあほら」と間に入った。


「過去とか理由とか、それはなんでもいいじゃないですか。今、大事なのは、リリムとケイちゃんのことでしょう? さあ、どうするんです? どなたかなにか、いい作戦ありますか?」

「うーん……作戦もなにも、情報が少な過ぎるだろう」


 ほらほら、と挙手を募るわたしの問いに、挙手せず発言したのはアウレリオだ。空気の入れ替えに乗ってくれたのはありがたいが、その内容はなんとも頼りない。しかし、「相手の居場所もわからないんじゃなぁ……」と首を捻る彼に、グラティアまでも同意した。


「かといって、無暗に探し回るのは愚中の愚だ。危険は高いが、相手の目的のものが定かなら、そこに誘い出すほうが確実かもしれない」

「先回りできれば罠も使えますね。それならこの人数でもなんとか……」


 そんな中、不意にヴァルくんが「おや」と小さく呟いた。すぐ間近から見上げると、彼はどこかを見据えたまま、剣呑にその双眸を細めて笑う。


「少し甘く見過ぎていましたか……。残念ですが、アドバンテージは向こうに奪われてしまったようです」

「えっ!? それって……!」


 リリムたちが、彼の本体へと辿り着いてしまったということか。ぞっとするまま思わずヴァルくんのシャツを掴むと、視線を下ろした彼は、ええ、と微笑む。


「時間切れですね。――そして、終わりの始まりです」




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