第32話 聖火騎士団の再来


 切断された頭部と身体は、ぐしゃり、とその場に崩れ落ちた。

 それを笑顔で見届けた悪魔が、金髪を片手で振り払い、その目をこちらに向けてくる。思わずびくりとしたわたしの前に、熊男が進み出て槍を構えた。


「リリム、お前――」

「あら。わざわざ来てくれたのにごめんね、リオ。今は貴方に付き合っているヒマないの。探し物をしなくっちゃ」


 いやに親しげに応じた悪魔は、隣に佇むケイちゃんに抱き着く。今しがた人の頭を斬り落としたばかりの異世界の少女は、それでもぼんやりと、虚ろな目をどこか遠くに向けていた。その片手に、真っ白なままの剣を下げて。

 リリムは小首を傾けて、目が合ったわたしに、ニコリと笑いかけてくる。


「貴女は後で、ちゃんと楽しく殺してあげるからね。ユッテちゃん」

「っ、ちょっと待っ……」

「じゃあね」


 止める間もなく、突如として巻き上がった闇の渦に二人の姿が呑み込まれる。その毒々しい色味の渦が収まった時――そこにはもう、なにも残っていなかった。

 首を失い、倒れ伏していたはずの、ヴァルくんの身体も。


「……うそでしょ……」


 どうしてこんなことになったのだろう。

 どうしてヴァルくんが、あんな目に遭わなくちゃいけなかったんだろう。

 わたしがしゃべり過ぎたから? わたしが挑発し過ぎたから? わたしがリリムを怒らせたから、あんなにも彼に執着していたあの悪魔に、こんなことをさせてしまったのだろうか? わたしのせいで――


「ヴァルくん……!」


「――はい。なにか?」


 すぐ後ろから聞こえた返事に、溢れかけた感情がピタリと止まる。


 ……ちょっと待て。ちょっと待てよ。今わたし普通に忘れてたけど、いつも一緒にいた〈ヴァルくん〉って、確か――


 するりと後ろから伸びた手に、顎を取られて仰向かされる。

 上から覗き込んできたその人は、紅い双眸を、至極楽しそうに細めて笑う。


「もしかして、心配してくれました? 魔力で作ったこの人形からだを?」

「~~~~っ!」


 座り込んだわたしを見下ろすその首は、ちゃんと身体に繋がっている。傷もなく、痛みを堪えている風でもなく、見慣れない大人の姿で、それでもいつもと変わらない笑い方に、身体中から力が抜けた。


「すっごい腹立つ……。諸々の説明を要求します、納得がいくようにお願いします」

「ええ、巻き込んだ以上、それはきちんと。……しかし、今は先に」


 顎を離れた手に、柔く頭を撫でられる。そんなことにも、なにかが溢れそうになって、ぐっと堪える。……泣いてない泣いてない。別に泣くような場面じゃない。

 そんなわたしに並ぶように、ヴァルくんが一歩前に出る。


「この状況でやけに落ち着いている、貴方の話を、聞かせてもらいたいですね」

「……俺かぁ」


 ま、そりゃそうだよな、と砂色の髪を掻く男をわたしも見上げる。

 避難要請が出ているショッピングモール内で、明らかに実用の武器を手にして、狙ったかのようなタイミングで現れたこの男。実際、わたしはそれで助かったから、あまり疑うような真似はしたくないけれど。


「貴方はどうやら、あの悪魔とも親しかったようだ。この人を助けてくれた借りもありますし、役に立つ話ができるなら、無傷で帰らせてやってもいいですよ」

「うーん、まぁそうだなぁ。あんたは話が通じそうだしな」


 ……これだけ落ち着いているのは、確かにおかしい。あの悪魔をただの子どもだと思っているなら、もっと取り乱してもいいはずだ。ヴァルくんのことだって、もっと不審がってもおかしくないのに。

 槍を抱えるように両腕を組んだ男は、呑気な調子で口を開く。


「俺はさぁ、一応『偶然居合わせたグロースメアの騎士団員』としてここに来てるんだけど、それは公的な立場ってやつなんだよな。組織的にはまあ大して変わらんが、アレと関わってんのは別の方面で…………あんたらさ、〈聖火騎士団せいかきしだん〉って知ってるか?」

「〈聖火騎士団〉って……あの、フィニクス帝国の?」


 歴史の教科書に出て来る言葉だ。

 かつて大陸に栄えた大帝国。不死鳥フェニックスの加護を得たその国で、国家的な大司祭〈聖火導師せいかどうし〉を守り、仕えていたという騎士団の名称だ。

 フィニクス帝国の滅亡とともに、彼らは歴史上から姿を消した。長い魔王時代を挟み、聖女リタを始まりとする聖騎士団が人々の希望となった今、不死鳥の聖火を奉じる彼ら〈聖火騎士団〉は、遠い過去の遺物となったはずだ。それなのに。


 そう、と頷いた男は自分を指差す。


「俺な、再興したその〈聖火騎士団〉の一員なんだわ」

「えっ……!?」

「正確には、そののための集まりって感じなんだがな。そんでそのために、あの小うるさい悪魔を確保してたんだ」

「どういうことです? 歴史に埋もれた騎士団のために、なぜ悪魔の確保など?」


 ヴァルくんの詰問にも、男は緊張感のなさを崩さない。


「五百年前の帝国滅亡に際して、国の要だった〈聖火導師〉が消えた。そりゃ殺されて骨になったんだろ、と終わらせられないのが、残念ながら〈聖火導師〉だ。なぜならそれは、国家の守護神たる不死鳥からに与えられる称号だから。――つまり、〈聖火導師〉は死なないはずなんだ」

「え……」


 どこかで聞いたような特性に、思わず隣を見上げてしまう。

 歴史の教科書には『特別な加護を受けた司祭』としか記述がなかったはずだけど、不死鳥の加護なら、確かにその不死を受け継ぐ形でもおかしくない。けれど。


 男を見返す紅い瞳の横顔からは、感情らしい感情はなにも読み取れない。男のほうも淡々と、自分の話をし続ける。


「帝国の栄華再来のため、俺たちは〈聖火導師〉を探している。悪魔リリムを確保したのも、その一環だ。うちのお偉いさんたちが調べた結果、どうやら五百年前の〈聖火導師〉が姿を消す間際、あの悪魔が接触していたらしいとわかってな。十年ほど前、秘密裏にアレの封印を解いてから、取引をしたり契約をしたりと手を尽くして、そこそこ上手くやってきたんだが……」

「が?」

「裏をかかれたようだ。監視役が二人やられて逃げられた、って本部からの連絡が来て、警戒していたところでこの騒ぎだ。俺の手の内で収まればよかったが、聖騎士団まで出て来られるとなぁ」


 槍を抱えたまま両手を上げ、わかりやすく「お手上げ」を表してみせる。

 そしてその格好のまま、器用に片眉だけを上げた。


「いろいろ聞いて、この目で見てさ、だいたいわかったよ。あんたがそうなんだって」

「そう、とは?」

「リリムのやつが探してた相手。〈魔王の母〉が執着する存在。ここにそんなもんがいるとすれば、そりゃあやっぱり魔王だろうし、百年前に討伐されたはずの魔王が元気に生きてるとなると、『もしかして』とも思わされる」


 もしかして――彼こそが、不死鳥の加護を受けていながら姿を消した、フィニクス帝国の〈聖火導師〉なのではないか、と。


 わたしでも辿り着いた結論だ。呑気に見えるこの男だが、見た目ほど愚昧でないことはわかっている。

 その探るような視線にも、ヴァルくんはフンと鼻を鳴らしただけだった。


「まあ、さほど役に立たない話でもなかったようですね。それで貴方は、これからどうするつもりです?」

「さて……聖騎士団がなにも聞かずにアレを始末してくれるならそれもいいが、そう上手くもいかねえんだろうな。……ああ、もしもあんたらがアレをどうにかするってんなら、協力するぜ。事情を知るもの同士、そっちもやりやすいだろ?」


 おそらく聞きたかったのはそういうことではないのだろうけれど、ヴァルくんはそれ以上の追及はせず、値踏みするような目を相手に向ける。それで思い出したように、男は「そうだ」と付け足した。


「俺の名前はアウレリオ・フォン・ピラータだ。正真正銘の実名だから、名で縛りたいなら縛ってくれていい。それなら多少は信用できるだろ?」

「ピラータ……フン、なるほど」


 わたしには覚えのない家名も、ヴァルくんには思い至るところがあったらしい。


「いいでしょう。信用はしませんが、活用はさせてもらいます。もちろん、妙な真似をするようなら命の保証はありません。今の私に、慈悲など期待しないことだ」

「おう、了解した。なるべく上手く活用してつかってから殺してくれ」


 やはり軽薄な承諾とともに、騎士団式の敬礼をする。

 そうしてこの状況で、ヴァルくんの秘密を共有した仲間が、思いがけずも増えてしまったのだった。





 ともかく、リリムとケイちゃんを野放しにしてはおけない。そのための話は移動しながら、という段になって、わたしは初めて気がついた。


「…………すみません。腰が抜けていた模様です」


 頭は落ち着いたつもりでも、次々と起こった衝撃の余波は、しっかり残っていたらしい。ぺたんと座り込んだまま、まったく動かない足腰に焦っていると、不意にヴァルくんがすぐ隣で片膝をついた。


「腕は動くでしょう。掴まってください」

「え? はい。え? なに……ひゃあっ!」


 素直に言うことを聞いた自分を怨みたい。その肩に掴まるや否や、わたしの背中と膝裏を持ったヴァルくんは、易々とわたしを抱き上げたのだ。いわゆるお姫さま抱っこである。嘘でしょ顔近すぎるでしょ死ぬ。美形にあてられて死ぬ。

 羞恥で瀕死のわたしに対し、彼は得意げに、ふふん、と笑う。


「屈辱でも、私の上で自害はしないでくださいね」

「ぐぬぬ……」


 顔が熱いのが腹立たしい。

 体格のある自分が代わろうか、と口を出したアウレリオを、しかしヴァルくんはすげなく却下した。曰く「即時に得物を振るえない兵卒に存在価値はない」らしい。わたくし、完全にお荷物である。うう、知ってた。


 ともかくそうして、アウレリオを先頭に〈魔王の書庫〉上階を後にする。起こったことに比べれば、店内の被害はほとんどないのが唯一の救いだ。


「というかそもそもですね、なにが起こってその姿になってるんですか? さっきまで、その……そんな姿じゃなかったじゃないですか」


 五歳児体型のままなら、こんな羞恥も屈辱もなかったのに。アウレリオの手前そんな言い方をしたわたしに、ヴァルくんは歩きながら「貴女たちの言う『ナーハフォルガーの書』のせいですね」と答えた。


「あの古書の封印が解かれたからですよ。あれは、正確には魔導書ではなく、私の魔力の大半を封じていた魔力の器だったんです」


 彼曰く、あの本自体はただの日誌のような指南書のようなものに過ぎず、ただその性質上、魔力耐性が強かったために器として機能していただけらしい。

 ……つまり、百年前の戦いで彼を封印するために、勇者や聖女が削ぎ落としたという彼の魔力が、あの本に封じられていたと。そしてそれが戻ったから、魔力人形であるその身体が、成人相当のものになったと。


「リリムがケイに作らせていたあの〈聖剣〉は、触れたものの魔力を吸い取り浄化するものでした……聖女リタが有していたものと同じです。それで害することによって、リリムはこの魔力人形わたしを無力化しようとした。……実際には、器のほうにまだ魔力を留めてあったので、大した痛手ではなかったわけですが」

「……なんで、そんなやり方を」


 これだけ元気で動けるのなら、あの場で終わらせる方法もあったはずだ。あんなに惨い光景を見せて、ケイちゃんも連れ去られるままにして、いったいどういうつもりだったのか。

 批難めいた色を隠せないわたしに、ヴァルくんは軽く肩を竦める。


「分が悪いのは事実でしたからね。彼女は強かである反面、そういう己への陶酔も強い。あそこで上手く立ち回らせてやれば、せいぜい油断するだろうと踏んだだけです。とりあえず態勢を立て直すには、悪くない手だったでしょう?」

「……そうかもしれませんけど。でも、本当に心臓に悪かったんですから、できればもう勘弁してください」

「ふむ。まあ善処します」


 信用度の低い返答に眉を寄せた時、先に立って店の外を見回していたアウレリオが、小さく「あっ、やべっ」と声を上げた。なにかとそちらを見た直後、廊下から女性の鋭い声が飛んでくる。


「そこ。なにをしている。この建物には、避難要請が出ているはずだぞ」


 それはこちらの台詞でもある。

 けれど、そんなところにわざわざ来る相手となれば、要請を出した側以外にない。ヴァルくんが口元だけで「聖騎士ですか」と呟いた。


 聖騎士とは、聖女リタを始まりとして、魔王討伐のために結成された聖なる騎士団の構成員である。各都市騎士団のさらに上に位置する彼らの使命は、邪悪な魔の脅威から人々を守ること。悪魔や邪神への崇拝を取り締まり、この世界への魔王の再来を防ぐこと。――つまりは、ヴァルくんの天敵である。


 どうやらわたしたち三人は、ろくな打ち合わせをする間もなく、最も厄介な相手にぶち当たってしまったようだった。




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