第35話 地下大聖堂での戦い


 時間切れを迎えたわたしたちの作戦は、ちょっと引くほど単純だ。


 アウレリオが正面突破で気を引いて、グラティアとわたしが奇襲を仕掛ける。そのうえでさらに隙を見て、ヴァルくんが参戦するという、たったそれだけ。


 それぞれに役割やタイミングはあるけれど、総括すればそんなものだ。そんな単純極まりない作戦を成功させるための鍵は、スピードと、聖騎士グラティアという、リリムには未だ把握されていない隠し戦力だけだった。


 そして今、奇襲組であるわたしたちの前で、壁一枚が崩れ落ちた。

 舞い上がる粉塵の向こうに見えるのは、美しいアーチと荘厳なステンドグラス、焼け焦げも悲惨な聖堂内部。そしてそこで対峙する、見知った一人と二人の姿と、その間で巨体をうねらせる気色の悪いなにかだった。


屍体長蟲ゾンビワームか……厄介な!」


 低く吐き捨てるグラティアの声が聞こえる。その姿はすでに壁の向こう側で、抜き放った長剣が振りかぶられていた。


「だが、私の相手は――貴様だ!」


 振り下ろされた剣の先は、間違いなく金髪ツインテールだったはずだ。

 けれど一瞬の後、その刃を受け止めていたのは白銀の剣だった。小柄な黒髪の女の子が、虚ろな目をしたケイちゃんが、掲げた〈聖剣〉でグラティアの攻撃を止めていた。その膂力も素早さも、あの子自身のものじゃない。その背に守られてニヤリと笑う、悪魔リリムの仕業だ。


「あら? 新しいお客さんね?」

「くっ……!」


 とまあ、そういう状況を横目に見つつ、わたしがするのは自分が持ってきた荷物アイテムあさりだ。魔力がなくても腕力がなくても、じっとしている暇はない。


「ゾンビ……ゾンビか……ゾンビもアンデッドだよね? だったらコレか?」


 考えながらも取り出したのは、表面に聖なる鈴と光十字ひかりじゅうじが刻まれた、拳大の丸いもの。聖騎士御用達の、対アンデッド聖物爆弾だ。

 それをセットするのは半自動セミオート投石器スリングショット。わたしのような非力な人間でも、遠くまで物を飛ばすことができる優れものだ。慣れないからぎこちないけれど、その分、急いで準備する。よし完了!


「いきまーす!」


 一人果敢に怪物と戦っていたアウレリオへと、声を張り上げる。選んだ爆弾に人体への危険物は入っていないから、合図は退避勧告の「こっちです」ではなく、続行可の「いきます」だ。なので間髪入れず、わたしは着火した爆弾を打ち上げた。

 勢いよく飛び出した球体は、狙い違わず、うねる怪物の頭上で爆発する。同時に、聖水や聖灰、浄められた特殊銀の粉が飛び散って、浴びた怪物が軋むような悲鳴を上げて暴れ回る。ねたねたと腐り溶けかけていたその表皮が、異臭と煙を上げて焼け焦げていく。


「ひえ……すっごいなコレ……!」


 ビビったわたしが頭を抱える間にも、アウレリオの槍の一撃が、カリカリに焦げた怪物の脳天を下から串刺しにする。即死でないにしろ、確実な致命傷だ。

 ご覧の攻撃は、本館一階〈エイトの武器屋〉と〈アイテムショップ・エンテ〉、クリンゲル聖騎士団、聖火騎士団の協力でお送りしました!

 ……お店にはちゃんとお代を置いてきたよ! 非常事態なので許して!


 そうこうしている一方で、グラティアと二人のほうでも攻防が繰り広げられていたようだった。

 わたしが目を向けた時、操られたケイちゃんの斬撃を弾いて遠ざけたグラティアが、隠れていたリリムへと鋭い突きを繰り出す瞬間だった。バックステップで避けたリリムを追って、グラティアはさらに光るなにかを投擲する。

 それすら難なく避けたリリムは、「あら?」と呟いた。


「貴女の魔力、どこかで見た覚えがあるわね」

「だろうな、〈魔王の母〉リリム。――我が名はグラティア・フォン・S=ハイリガー。貴様を封じた、勇者と聖女の末裔だ!」


 勇ましく名乗りを上げたグラティアは、同時に「拘束アッフェッラーレ!」と短縮詠唱する。途端、床面から伸びた幾本もの光の帯が、リリムの身体を縛り上げた。


「きゃっ!?」

「残念だが、貴様と昔語りをする暇はない。ひとまずこの人質は返してもらうぞ」


 不意を突いたはずのケイちゃんの攻撃をさらりと受け流し、うなじに手刀を叩き込んでその動きを止める。糸が切れたように倒れ込む小さな身体を、グラティアは片腕で平然と抱え上げ、拘束したままのリリムに再び剣を突きつけた。


 ……え、なにあれめっちゃ強い。凄いかっこいい。あれで男の人だったら完全に惚れるやつじゃん。さすが聖騎士。


 ほれぼれとその活躍に見とれていたら、当人から「ユッテ!」と鋭く名前を呼ばれた。そうだそうだ、わたしケイちゃん回収係だった。

 爆砕した瓦礫を乗り越えて、彼女たちがいる祭壇前へと急いで向かう。

 しかしその途中、ふと、そこの泉に目が留まった。


「……ん?」


 魔王と聖女の魔力が溶け合い、複雑な輝きを帯びていたはずの祭壇の泉。その水のきらめきが、気のせいだろうか、今にも消えそうなほど薄く見える。それはまるで、寄るべき核を失っているかのように。

 ――まさか、と思ったその時だった。


「うぐっ……!?」


 呻く声。はっと目線を前に戻すと、グラティアの動きが止まっていた。

 ――その右脇腹から突き出ていたのは、鮮血をまとった白銀の切っ先。今はケイちゃんにしか作れないはずの、あの〈聖剣〉の刃だった。


「あのねぇ……なめてもらっちゃ困るのよ」


 崩れ落ちるグラティア。それを置いて下がるケイちゃんの後ろで、ゆっくりと身体を伸ばす女がいた。


「あたしに身を捧げたあのコのことも、あのコの魔力を得たあたしの力も」


 ツインテールにした金髪。長い睫毛に縁取られたブルーアイ。それは見知った子どもと同じはずなのに、ピンクのベビードールをまとった煽情的な肢体は、どう見ても子どものものではなくなっている。豊満なバストも、引き締まった腹部も、白く伸びた脚線美も。惜しげもなくすべてを晒したその姿は、わたしの同年代としか思えない、若く美しい女のものだ。

 真っ赤な唇を吊り上げて、女は甘い毒のように笑う。


「勇者と聖女の末裔ですって? たった数代で、ずいぶん落ちぶれたものね。貴女たちみたいなのが平気でいるから、ヴァルちゃんまで平和ボケしちゃったんだわ」

「っ、グラティアさん……!」


 いろいろな驚きを振り払い、ともかく駆け寄ろうとしたわたしの前に、ゆらりとケイちゃんが立ち塞がる。虚ろな目、血濡れた〈聖剣〉に怯んだわたしを、悪魔のブルーアイが蔑むように見下ろす。


「後から楽しく殺すつもりだったけど、こんな悪辣な血筋の人間を、ここまで連れてくるなんて。やっぱり貴女、ヴァルちゃんには近づけられないわ。――貴方もよ、リオ。三人まとめて、ここで死んでちょうだい」


 カン! とヒールで床を叩く音とともに、リリムの足元から波打つように生えた荊の群れが、わたしたちに襲いかかってくる。わたしはもとより、槍で抗ったアウレリオも、負傷に顔を歪めるグラティアも、あっという間に捕まってしまった。

 思わず動くと服越しにも棘が刺さり、傷から血が溢れるのが自分でもわかった。


 ……これは、思ったよりもやばいかも。


 短い人生だったなぁ……と感傷に浸るのは、けれど、まだもう少し早そうだ。棘の痛みに小さく息をつき、わたしは最後に、口を開いた。


「……わかりました。とても残念ですが、我々はここまでだったようです」

「あら、ずいぶんと物分かりがいいのね。なにを企んでるの?」

「企むなんて滅相もない。ただ、最期に少し教えていただきたくて、下手したてに出てみているだけです。これから死に行く愚かな小娘に、最期のご慈悲をいただきたくて」

「まぁあ、悪魔の慈悲を? 上手な命乞いの仕方が知りたいの? それとも、あたしの耳を楽しませてくれる悲鳴の上げ方? 大陸で一番残虐な処刑方法とか?」

「いいえ。ただ――」


 至極楽しそうに慈悲内容を考えてくれるリリムから、その背後へと、わたしはおもむろに視線を移す。


「あなたが感じ取れる魔力の濃度って、どれくらいからなのかな、って」

「ッ――!」


 鋭く振り向いたリリムの前、わたしが見やった場所にはしかし、誰もいない。


 


 刹那のうちに実体を持った黒い影が、金髪の後ろ首を片手で掴む。そして反対の手で白い腕を掴んで引いたその勢いのまま、なんとも乱雑に彼女を泉の縁へと押し倒した。片膝で背中を押さえつけ、水面に鼻先をつかせるような体勢で、遠慮容赦のない早業だった。

 主の気が逸れたせいだろうか、荊が緩んで解放される。思わずへたり込んだその耳に、地を這うように吐き捨てる声が聞こえてくる。


「私が誰とともにいるかは、貴女に決められることではない。いい加減、庇護者面をした勝手な真似は、やめてもらえませんか?」

「…………どう、して?」


 ぽつり、と落とされた呟きは、呆然として聞こえた。


「どうして? ねえ、どうしてなの? ヴァレリオ」


 痛みを堪えて顔を上げたわたしは、ゆらりと近付く少女に気がつく。

 ゆっくりと持ち上げられたその手の剣は、真っ直ぐわたしを切っ先に捉える。


?」

「――ッ」


 繰り出されたのは突きだった。正確にわたしの首を狙っていたその刺突は、しかし、届く前に遠ざかる。なぜかと言えば、突然、後ろから首根っこを掴んで引っ張られたからである。喉がぐえってなった。


「手荒ですみません。大丈夫ですか」

「非常事態理解……おかげで生きてます」


 噎せ込みながらも応じる相手は、成人体のヴァルくんである。この神出鬼没っぷりにも慣れたので、感謝はあれど驚きはない。嘘です、驚く暇がなかっただけです。まさかこの状況で助けてもらえるとは思ってなかった。


 しかしそのせいで、リリムが再び、自由を得てしまった。


 分裂させた魔力体では、彼女を抑え込むには事足りなかったらしい。向こうのヴァルくんを振り払ったリリムは、金髪を振ってまくし立てる。


「やっぱり弱くなったわ、貴方。そんなヒト見捨てて、あたしの相手だけしてればよかったのに。それが無理なら、あたしを殺して助ければよかったのに。〈聖紋〉が惜しくたって、そのコを殺すことだってできたのに。いったいどうしちゃったの? どうしてそんなに、生ぬるくなっちゃったの?」

「……四百年の治世と百年の封印」


 応える彼の声は、静かだった。


「五百年という歳月は、それだけのものなのですよ。リリム。私はもう、そういう生き方をするのには飽きたんです」

「飽きた? 聖者として生きるのにも飽きて、魔王として生きるのにも飽きて、それでどうするつもりなの? 尽くしてきたあたしに、殺してほしいの?」

「いいえ。私はただ、己のために生きると決めただけです。愚かな国民のためでもなく、哀れな魔物のためでもなく――『私のため』を振りかざす、貴女のためでもなく」


 リリムの顔が歪むのが見えた。とても複雑な感情を孕んだその歪みは痛々しくて、思わず手を差し伸べたい気持ちになる。

 けれど、わたしが手を伸ばした先は、隣に立った人の手だ。慣れ親しんだ子どものものより大きく、力強く、けれどやっぱりひやりと冷たいその手を握ると、長い指で強く握り返される。


「そんなんじゃ貴方、すぐに終わりよ! あたしがいなきゃどうにもならないんだから! 他の誰かを信じたって、どうせすぐに裏切られて、死ぬより酷い目に遭うに決まってるんだから!」

「ええ、そうかもしれませんね。しかし――」


 ふと、聖堂内に影が過ぎった気がして、顔を上げる。

 地下だというのに清らかな光を投げかけていたステンドグラスが、今、なにかの影を映していた。一度離れたその影が、再び迫るように大きくなって。


「――この生ぬるい世界。己も弱いくせに、好き好んで弱者を助けようとするお人好しが、結構いるんですよ」


 彼の言葉に被るように、致命的で美しい破壊音とともにステンドグラスが突き破られる。きらきらと色ガラスの雨が降る中、溌溂と眩い光をまとった声が、その場に真っ直ぐに響き渡った。


「けええええええええい!!」


 声の主を悟った瞬間、あまりの驚愕に息が詰まった。〈聖剣〉片手に立ち尽くす女の子の名を叫んだのは、その子の兄以外の何者でもない。


 ……どうして、ヤスヤくんがここに!?


 降り注ぐガラス片から守られながら、飛び込んできた少年が機敏な動きで跳ね起きて、見つけた妹へと駆け寄るのを見る。途端、ふつりと気を失ったケイちゃんを慌てて支えるその傍らで、リリムが顔を引き攣らせ、身を翻そうとするのが見えた時だった。


「逃がしませんわよ、悪魔リリム! 我が友を攫い、キューマの地を荒らした報い、受けていただきますわ!」

「くっ……!」


 頭上から放たれた水の刃に周囲をえぐられ、足元を掬われたリリムは泉の縁に倒れ込む。その眼前に軽々と降り立ったのは、人魚姫のエウラリア。

 その次に転がるように下りてきた小鬼ゴブリンのフベルトは、周囲を見渡し、逃げるようにわたしのほうへ駆け寄ってきた。


「ひどい怪我だ、ユッテさん。早く手当を」

「フベルトくん……あの、なんで……?」

「言ったはずだ。オレは、受けた恩は必ず返す男だとな」


 格好つけて、実際ちょっと格好いいところ悪いけど、そういう意味の質問ではない。けれど次々と起こる新展開に、いろいろとついて行けなくて口を閉じる。


 そしてふと、さっきまで隣にいたはずのヴァルくんがいないことに気がついた。


「あれ……?」


 人口密度が増えた聖堂内を見回す。

 薬をあさるフベルト。必死に身を起こそうとしているグラティア。荊を蹴って駆けつけるアウレリオ。ケイちゃんを支えるヤスヤ。リリムを祭壇の泉へと追い詰めるエウラリア。エウラリアを睨み返すリリム。

 ――そして、追い詰められた悪魔の背後に、ひっそりと立つ黒い影。


「……これでもまだ、貴女には感謝しているんですよ。リリム」

「!」


 小さな子どもの姿をした彼が、両手で悪魔の両目を塞ぐ。びくりと震えた彼女が暴れても、不思議なくらいに、その手が外れることはない。

 慈しむように頭を抱き寄せ、その耳元で語る声が、静かな聖堂によく響く。


「ですからこれは、最後の手向けです」

「やめて……お願いやめて」

「私にあったこのが、貴女にもあっても、いいかもしれない」

「いやっ! いやよお願い! やめて、ヴァレリオ……!」


 それはどちらのものだろう、紫紺の魔力が見る間に溢れ、二人の姿を取り巻いていく。その濃さが増し、量が増すほど、抗う悪魔から力が抜けていくのがわかる。

 繭を作るように紡がれた魔力は、やがて、彼のもとへと収束していく。


「ヴァレ……」


 そして晴れた視界の中、完全に崩れ落ちたリリムの姿は、わたしには見慣れたあの幼児のものへと戻っていた。外された手の下で、ブルーアイはぴたりと閉じられて、無垢な天使の寝顔を見せていた。


「……どうか千年、安らかに」


 そっと囁くその声に、母と呼ばれた悪魔はもう、二度と返事をしなかった。




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