第28話 ネジと歯車の片眼鏡


 ヴァルくんとの出会いを皮切りに、妙な来客が増えた〈魔王の書庫〉。

 そこに輪をかけて珍妙な人がやって来たのは、悪魔リリムが引っ掻き回していった翌日のことだった。


「『ブッカブーといっしょ』の十七巻、舞台化記念限定版ですねー。ええと、こちら予約販売のみの商品ですね。来週の火の日まででしたら問題なく受付できますが、本日ご予約されますか?」


 前日の貧血騒動(貧血ではない)を受けて昼から出勤をしていたわたしは、売場で声をかけられて、ごくごく一般的な予約受付を承っていた。感じのいい人間女性のお客さんを相手に、予約伝票を作って手渡す。


「では予約受付は完了しましたので、商品が入荷次第、ご連絡差し上げます」

「ありがとうございます! よろしくお願いします!」


 ぱぁっと破顔し、うきうきと帰っていかれる後ろ姿を見ていると、なんだかこちらまで嬉しくなってくる。


 ……平穏な日常。実に素晴らしい。


 もともと、わたしが本屋に勤めたいと思ったのは、穏やかで充実した時間を過ごせそうだと思ったからだった。静かな店内に知的な客層。さまざまな知識が詰まった本を綺麗に並べ、笑顔で接客する姿に憧れた。


 ……まあ、現実はそう甘くはなかったけど。


 毎日届く何百冊の新刊既刊。本社からねじ込まれてくるフェアの数々。売れなくて返したのになぜか戻ってくる返品書籍。そんな商品をさばくだけでも苦労するのに、無理難題を吹っ掛けてきたり、罵詈雑言を浴びせてきたりする

 それに加えて、無体な子どもに荒らされたり、立ち読みで傷み廃棄処分になる商品の多いこと多いこと……。特に本好きというわけでもないわたしでも、心からげんなりしてしまうのだ。本当に本を愛している人がここに勤めたら、一日で発狂してしまうんじゃないだろうか。


 それでもこの仕事を続けていられるのは、今のようなお客さんがいてくれるからだった。店員とお客の関係でも、笑顔でかけてくれる「ありがとう」の言葉は胸に沁み入るほど嬉しい。

 そんな気持ちでお客さんを見送り、売場作業に戻ろうとした時だった。


「きゃっ……!?」


 弾む足取りだったお客さんが、驚きの声を上げて飛びのいた。何事かとそちらへ目を向けると、


 そこに、異様な男がいた。


 がっしりした肩幅と、見上げるような背丈。肩掛けにした旅行用マントは古びてみすぼらしく、その下の旅装も似たり寄ったりのくたびれ様。

 そこまでならまだ普通の旅行客だが、それからかけ離れたものが顔についていた。金銅色の歯車やネジがいくつもついた、片眼鏡モノクルにも似た、しかしそうではないものだ。真珠の光沢を持った薄紫のレンズはともかく、常に手で支えなくては安定しないような重量感は、とても実用性があるとは言い難い。まるで芝居の小道具だ。

 しかし男は、その片眼鏡の視界に頼るように反対の目を閉じ、きょろきょろと辺りを見回しながら歩いていた。視野が狭いのか注意力散漫なのか、ふらふらして、他のお客にぶつかりそうでこっちがハラハラする。


「な、なんすかね、アレ……」

「わたしに聞かないでよ……」


 寄ってきたハンスに聞かれてもわかるわけがない。


 ……これでも、一大観光地で働いて一年だ。地元ではお目にかかれなかったようないろんな種族と出会ってきたけれど、こういうパターンは初めてだった。


 種族は人間か、人間寄りの亜人だと思う。けれど仮面と見紛うような片眼鏡の表面積のおかげで、いまいち確信は得られない。

 周囲の視線などものともせず、レジカウンターの近くまでやって来た男は、そこでいったん足を止め、ぐるりと上のほうを見回した。


「……警備のヒト、呼びます?」


 こそっと出された提案に、即答できずに「うーん」と唸る。

 いつもなら店長か副店長に丸投げするところだが、あいにく今は、二人とも不在である。となれば、社員のわたしが、判断しなくちゃならないんだけど。


 ……難しいな、これ。


 確かに不審ではあるけれど、危険というほどではない。他のお客にぶつかりそう、というだけなら、去年の年末に来店した一足巨人スキヤポデスのお客だって同じだった。理由がわからない以上、安易な対処はご法度だ。多種族社会の難しいところである。

 つまり――まずは話さなくてはいけないわけだ。あの妙なのと。


「……これ以上なく不本意だけど、ちょっとお話を伺ってきます。なにかあったら、警備のほうに連絡よろしく」

「了解しました! ご武運を!」

「くっそ腹立つ」


 ビシッと騎士団の敬礼を真似たハンスに思わず本音をぶつけながら、男のほうへと近寄っていく。顔に貼り付けるのは、一年鍛えた接客スマイルだ。


「いらっしゃいませ、お客さま。なにかお探しですか?」

「お? おぉー、探し物と言えば探し物だなぁ」


 朗らかと言えば聞こえはいい、呑気な返事とともに見下ろされる。


 ……んんんっ、近付いてみると予想以上にデカい……!


 頭二つは違う気がする。あまりの身長差に圧迫感を覚えて思わず後ずさると、相手は「お?」と間抜けな声を零して、ああ、と思い出したように不格好な片眼鏡を顔から外した。

 その下から現れたのは、なんとも人が好さそうな人相だった。浅く焼けた肌に、短く刈り込まれた砂色の髪。翡翠色の目は予想外につぶらで、ガタイの良さと合わせて、なんとなく熊を連想させられる。年齢はおそらく二十代半ばか。

 その目をぱちぱちと瞬かせて、彼は、改めてわたしを見下ろした。


「悪い悪い、怖がらせたか? ……ってああ、もしかしてコレがマズくて、声をかけられたのかな? 変だもんなぁ、これ」


 自覚があったのか……と呟くのは胸中で。「申し訳ない」と軽く頭を下げる相手には、あくまで笑顔で対応する。


「なにかお探しでしたら、よろしければ、ご一緒にお探しいたしますよ。タイトルや作者名など、教えていただいてもよろしいですか?」

「ああ、それだけど。探してるのは本じゃないんだ」

「はい?」


 本屋に来て、探し物が本じゃないとは、どういうことだ。

 嫌な予感に構える間もなく、熊男はさらりと爆弾を投下した。


「昨日ここに、金髪の小さい子どもが来ただろう。ピンクの派手な服を着た、四歳くらいの女の子だ」


 疑問形ですらない確認の言葉に、わたしは思わず相手を見返す。


 ……それって確実に、リリムだよね。


 それを探る穏当な理由が思いつかずに押し黙ると、見下ろす男は少し困ったように「そう警戒しないでくれ」と苦笑した。


「実はその子どもっていうのが、うちの上司の子なんだけど。まあ悪戯盛りで困っててな、自分からは言わないをしてるかもしれないからって、上司に頼まれて確認して回ってるんだ」

「……なるほど」


 ありそうな話、ではあるのかもしれない。

 昨日のリリムは見るからに「可愛がられているお嬢さまです!」といった風体だったし、お金持ちな親御さんが愛娘の後始末を部下に任せる、というのも納得できなくはない。


 ――ただしそれは、彼女が上級悪魔〈魔王の母〉だと知らなければだ。


 リリムの親と言えるのは、夜の女神リリスだけ。この熊男が女神の部下には見えないし、となると、昨日のがどうとかいう話が気になってくる。もしくは、女悪魔として、上司さんとやらを誑かしている可能性も若干あるだろうか。


 ……もうちょっとちゃんと、ヴァルくんの話を聞いとけばよかったなぁ。


 とにかく仕事に戻らなければ、という気持ちが先行して、後回しにしたことが悔やまれる。そんなわたしの懊悩も知らず、熊男は店の上階へと顔を向けた。


「そういうわけだから、その子がうろついた辺りを見させてもらえないかと思ってな。この店では、真っ直ぐあの上の辺りに向かったみたいだから、その辺だけでいいんだが」

「……ん? その子がどう動いたか、わかるんですか?」

「おう。このを使うとわかるんだ。なんかよくわからんが、お守りの魔石の波長を登録してあるらしい」


 見てみるか? と言われたけれど、謹んで遠慮させてもらう。信用云々を抜きにしても、さすがにそれは出過ぎた真似だ。

 ここの店員として今すべきは、特に害のないこのお客の要望を即行で叶え、なるべく早くお帰りいただくことだろう。そう結論したわたしは笑顔で快諾して、希少本が並ぶ上階へと熊男を通した。


 片眼鏡を再び装備した男を後ろに、昨日と同じ道を辿る。その途中で、ふと前方の閲覧スペースに、いつもの姿が見えないことに気がついた。


 ……あれ? 珍しくヴァルくんがいない。


 最近ずっとそこにいたから、今日もいるものと思っていたが。まあ他の場所にいるんだろうと深くは考えずに、無人の閲覧スペースで足を止めた。


「ここで止まって、引き返したのか……。うーん、特になにもないみたいだな」


 昨日わたしが倒れた辺りできょろきょろしていた熊男は、やがて、諦めたように片眼鏡を外す。ほっとしているようにも不満そうにも見える顔で「まあいいかぁ」と呟いて、わたしのほうへと向き直った。


「なあ、あの子はなにしにここに来たんだ? 本を読むため、ってわけでもないんだろ? 本棚にはなんの痕も残ってないし」

「……どうして、それをわたしに聞くんですか?」

「ん? だって昨日、あれを案内したのもあんただろ?」


 意外なことを聞かれたように、相手は眉を跳ね上げる。


「上とは言ったけど、詳しくどことは言ってない。それなのに先に立ってここに来て、ここで立ち止まったのはあんただぜ。確かに間違いなかったが、コレで見たわけでもないのにわかるってことは、あんたが昨日もそうしてたってことだろう?」


 確かにそうだ。その通りだ。

 リリムをヴァルくんの元へと案内した経緯を説明できなくて、いっそ口を噤んでおこうと思ったのに、すべては無に帰してしまったらしい。どうやらこの熊男、見た目ほど愚鈍ではないようだ。


 ……少なくとも、ヴァルくんのことは言えないよな。


 思わず身構えたのがバレたのだろうか。本棚を背にしたわたしの頭上に、ぬっと覆いかぶさるように、浅黒い顔が降ってきた。


「あんたまだ、なんかいろいろ知ってそうだな」

「えっ……」

「それに……いい匂いがする」


 真剣な翡翠の瞳に映った、自分の間抜け面が見える。どこか切なげな掠れた声音に、無意識に後ずさった踵が本棚にぶつかる。開けた距離が、また詰められる。

 ――逃げなくては、と身体が強張った次の瞬間、


「わかった! ――ブドウとバターの匂いだ!」

「…………へ?」


 ぺかーっと顔面を輝かせた熊男に、ぽかんと口を開けてしまう。


 ……ブドウとバター?

 確かに、昨日の貧血騒動のお詫びとして、出勤前にブドウのマフィンを焼いてきたけど。そんな匂いがまだすると? いったいどういう鼻してんの?


 呆気にとられる間にも、ぐごごごきゅううう……と凄まじい音が鳴り響く。ベヒモスでも出たのかと思ったら、目の前の胃袋の音らしい。怖い。


「はぁあ、腹減ったぁ……。船が着いて直でここまで来たから、実は昼飯もまだなんだよ。やること終わるまではと思ってたけど、もういいいよな? 別になんもなかったもんな?」

「え、ええ……いいんじゃないですか?」

「よっし、昼飯だー! 一階レストランもいいけど、有名な三獣サンドも食べたいんだよなぁ! なんにすっかなぁ!」


 途端にウキウキし始めた相手に、開いた口が塞がらない。

 そんなわたしに構うことなく、片眼鏡を荷物に突っ込んだ熊男は、「それじゃあな」と笑顔で手を上げた。


「また来るよ。ユッテさん」

「…………えっ?」


 どうして名前を、と問う間もなく、長い脚の大股歩きで風のように去っていく。それに合わせて遠ざかっていった怪物の声のようなお腹の音に、いろいろと、バカバカしくなって脱力した。


 ……なんだったんだ。あの人。




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