第27話 甘いお誘いは首輪の契約
体調が落ち着いたのでついでに迷子を送ってくる、と伝えると、副店長は頷いて送り出してくれた。呼び出し迷子がここにいる以上、どちらにしろ店を離れる人員が必要なのだから、ぶっ倒れたわたしが適任だと判断したのだろう。連勤初日に申し訳ないが、戻ったら倍働くので勘弁してもらいたい。
なにはともあれそういうわけで、我々三人は、横並びに手を繋いで本館へと出発した。
ちなみに真ん中はヴァルくんである。わたしは最初、二人に向けて両手をそれぞれ差し出したのだが、右手を取った彼に「さっきの今で、なにを考えているんですか」と心底呆れられてその役を取られたのだ。どうやら魔力吸い取りを警戒してくれているらしい。リリム本人は至極どうでもよさそうに、ヴァルくんと手を繋げることを喜んでいたけれど。
道中、お客の往来は多いけれど、横並びになった美形幼児たちは、なんの頓着もなさそうに言葉を交わし合っていた。
主なお題は、わたしとヴァルくんの関係性についてである。
「偶然見つかって、便利だから、っていうのはいうのはわかるわよぉ? あたしだって、あの本屋のお兄さんはそうだもの。使えるものは使えばいいわ」
ヴァルくんの無難な説明を聞いて、リリムは桃色の唇に人差し指をあててそう言った。そして長い睫毛に縁取られたブルーアイを、じろりとこちらに向けてくる。
「でも、従属契約も結ばずにここまで深入りを許してる、っていうのが意味ワカンナイの。どうせ使うなら、ちゃんと首輪をつけたほうが安心でしょ?」
裏切られたらどうするの? と敵意剥き出しの上目遣いを向けられて、今更ながら、間にヴァルくんがいてくれることに感謝する。美少女の睨みこわい。
そんな彼女の詰問を、ヴァルくんは「私はそこまで心配していません」と一蹴した。
「彼女にそのつもりがあるのなら、とっくに実行していたでしょう。そしてその前に、私がこの手で、直々に息の根を止めていますよ」
「…………」
なんのつもりか知らないけれど。
ヴァルくんは、あの地下大聖堂であったやり取りを、リリムには一切伝えていなかった。己の存在を公表してもいいと言ったことも、わたしにその判断を委ねたことも、魔王としてではなく、一人の子どもとして生きていく可能性も。
……その意図はわからないけれど、気持ちはわからないでもない。かつての自分を魔王へと導いた相手に、積極的に話したくなる内容ではないだろう。
だからまあ、わたしも茶々入れだけさせてもらう。
「それってつまり、わたしを信用してもらえてる、ってことですか?」
「ええ。貴女の事なかれ日和見精神をね」
うーん、褒められた気がしない、なんて呑気に思ったところで、リリムがピタリと足を止めた。そこは二階の列柱回廊を渡ってすぐ、この込み合う季節になぜか無人の、謁見室裏の小部屋だった。
横並びに連なっているので、我々もつられて足を止める。
ヴァルくんと繋いだ手はそのままに、リリムは、わたしの真正面に回り込んできた。そして唇をとがらせて、探るように見上げてくる。
「……ヴァルちゃんがそこまで言うんなら、あたしもユッテちゃんのこと、ちゃんと信じてあげたいわ。せっかくできた、便利なお友達なんだものね」
「べ、便利なお友達……」
「だけど困ったわぁ。さっき会ったばかりのあたしから見たら、やっぱり貴女って、あたしたちにとっての危険因子なのよね。ウッカリでもバラされちゃった時、こっちの被害が甚大なのよ」
薔薇色の頬に片手をあて、心から憂えるように睫毛を伏せる。その姿は見るものの胸を締め付けるような風情だが、言っていることはどこまでも鋭い不信の塊だ。
思わず身構えるわたしへと、彼女は「だからね」と花の笑顔を見せた。
「契約しましょ、ユッテちゃん。今すぐ、あたしの下僕になって?」
「――!」
そしたら信用してあげる、と甘い声音で囁く悪魔。どろりとした蜂蜜を直接脳内へ流し込まれたような感覚に、背筋がぞわっと粟立った。
砂糖の塊を頬張った時のように、五感が端から麻痺していく。
ひりひりして、ちかちかして、目の前の澄んだブルーアイしか見えなくなる。
「大丈夫、貴女はあたしに任せればいいの」
幼くも甘い囁きしか、聞こえなくなる。
「あたしに全部、委ねればいいのよ」
他のすべてが、消えてなくなる。
「だから、さあ、血の契約を――」
「――それはおすすめできませんね」
ばさり、と切り捨てる言葉に、目の前のすべてが弾けた気がした。
城内放送。西塔の鐘の音。行き交うお客。そのざわめき。唐突に耳を打ったそれらの音に、初めて無音だったことに気がついた。ぱちぱちと瞬きながら呆けていると、繋いだ片手をぎゅっと引かれる。「しっかりしろ」とでも言うように。
……なんだ今の。
自分に起こった異常事態をぼんやり解析する間にも、甘やかだったリリムの目が、ギリッと鋭く吊り上がる。
「もう! なんであたしの邪魔ばっかりするの? ちゃんと契約したほうが、絶対安全なのに!」
「それが安全でないから、すすめられないと言っているんです」
見なさい、とヴァルくんが目線を向けるのは、部屋の天井四隅につけられた小さな機械。城内の装飾から浮かないよう、配慮して設置されたその正体は。
「魔力感知式の監視カメラだそうです。貴女も気付いていないわけないでしょうが、あれの他にも、何重もの保安術式がこの城中に編まれている。こんなところで上級悪魔が従属契約など結べば、すぐに特定され、追われることになるでしょう。それでもいいと言えるほどの余裕は、今の貴女にはないのでは? ――それに」
そこでくいっと顎を上げたヴァルくんは、自身の首筋を指差してニイッと笑う。
「そんなことになれば、首輪の主にも、怒られるんじゃないですか?」
「……首輪……?」
思わず目をやったリリムの首元に、けれど、そのようなものは存在しない。
それなのに彼女が見せた表情は、これまで片鱗すらなかったほどに苦々しく、忌々しそうなものだった。
「……気付いてたの? いじわるね」
「諦めて大人しくしていなさい。せめて、この城にいる間は」
フン、と鼻を鳴らされて、リリムも「ふん!」とそっぽを向く。それでも手は離さないままなのだから、きみら本当に仲良しだな、なんて思ってしまう。
なにはともあれ、事が収まったのならそれでいい。
無理な契約を迫る悪魔でも、ワガママ放題のお嬢さまでも、あのうすぼんやりとした世話係に引き渡せれば、それでわたしはお役御免だ。
些末なことは気にしない。
最終的に平穏であるなら、わたしはまったく、それでいいのだ。
インフォメーションで待っていたのは、予想に反してテディではなかった。
三十代くらいの男性で、うすぼんやりとはしていないものの、なんとなく風采の上がらない出で立ちだ。旅人のように斜め掛けにしたマントが目を引くけれど、特徴といえばそれくらい。せめて泰然と構えていればまだマシだろうに、きょろきょろと視線と姿勢を定められない様子が、なんとも頼りなく見えてしまう。
そんな男性は、リリムの姿を見た瞬間、半分涙目で詰め寄ってきた。
「勝手にいなくなるなんて、どういうつもりだ! 探したんだぞ!」
「ごめんなさぁい。でもあたし、ちゃんとおねえさんにつれてきてもらったのよ? えらいでしょ?」
「偉いやつは最初からいなくなったりしないんだ!」
切実な叫びを放った彼は、はっと我に返ったようにこちらを見た。
「ご、ご迷惑をおかけしてすみませんでした。なんというか……ませた子どもで、驚かれたでしょう。失礼をしていなかったらいいんですが」
「ああいえ、お気になさらず。この年頃の女の子は、男の子よりもしっかりするのが早いですもんね」
「ええもう本当に。しっかりし過ぎて困ってまして……」
あっはっは、と交わす笑い声が、取り繕うようだと思ってしまうのは、わたしの勘繰り過ぎだろうか。
……まあ、うん。詳しくは知らないけど、多分似たような立場なんだろうな。
ちょっと不穏な秘密を持った美形幼児の保護者役には、いろいろと苦労があるのだろう。わかるわかる、なんて一方的な親近感は口にしないまま、抱きかかえられて去っていく悪魔リリムとその保護者の背を見送った。
「それじゃ、わたしたちも戻りましょうか」
「そうですね」
――これで嵐は過ぎ去った、とその時のわたしは思ったけれど。
なんということでしょう。
それはまだ、大嵐の前触れに過ぎなかったのだ。
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