第25話 天使のような


 ふわふわと波打つ、輝く金髪のツインテール。瞬くたびに音がしそうな長い睫毛と、それに囲まれた丸く大きなブルーアイ。抜けるように白い肌に、薔薇色の頬はふくふくと――それはまさに、絵に描いた天使のような女の子だった。


 ……嘘でしょ。この世にこんな綺麗な子が存在するなんて。


 店のすぐ外で待っていたその美少女に、わたしは思わず呆気に取られた。

 綺麗な顔は双子の姉兄で見慣れたつもりだったけど、これはまったく次元が違う。絵に描いたようと言えばヴァルくんもそうだけど、きらきら輝く無垢な無邪気さは、彼とも一線を画している。まさに天使。地上に舞い降りた天使。

 ヴァルくんより一回り小さな身体にまとう淡いピンク色のワンピースは、レースとフリルがたっぷりと使われていて、彼女の可愛さをぐんと引き上げている。

 あまりの美形に圧倒されるわたしを余所に、天使のような女の子は、目が合った瞬間、ぱあっと華やかな笑顔を見せた。


「わあ! ほんとにあのおねえさんだ! すっごーい! ほんとにあえたわ!」

「えっ? えっ?」


 戸惑うこちらにも構わず、両手をぎゅっと握り合わせた女の子は、ぴょんぴょんと飛び跳ねながら回り出す。それはまあ天使並みに可愛いのだけど。


 ……ってなに? わたしこの子になにかした?


 こんな光属性を極めた子に会っていたら、さすがのわたしも覚えているはず。それなのにまったく状況が掴めずにいると、飛び跳ねていた女の子は勢いのまま、まだそこにいたハンスに抱き着いた。


「ありがとう、おにいさん! おにいさんのおかげだわ! すてき!」

「お、おお? いやそれほどでも……」


 美少女からの感謝に、でれっと顔を緩めるハンス。え、いや……さすがにそれは危ないでしょ。少なくとも十年は早すぎる。カイルさん呼ぼうかな。

 わたしのドン引きに気付いたハンスは、慌てて女の子を引き離し、「それじゃあ自分は仕事に戻るんで!」と店内へと去っていく。少しきょとんとした女の子は、可愛らしく小首を傾げてわたしを振り仰いだ。


「へんなおにいさん。うれしそうだったのに、なんでにげてっちゃうのかしら?」

「……一応、お仕事中なので。あのお兄さんも、わたしも」


 だから余計なことに割く時間はないのだとわかってもらいたいのに、拗ねた天使は「おれいをされるのもダメなおしごとなの? つまんないの」なんて唇をとがらせている。いや、可愛いんだけど。やっぱり子どもは子どもだな。

 外見が天使でも中身がそうとは限らない。それが子どもだと理解しているわたしは、ちょっと引き気味に本題を促す。


「それであの……わたしになにか、ご用ですか?」

「――そうなの!」


 ぱちんと両手を合わせた彼女は、そのままわたしを上目に見上げる。そして、これ以上ないはにかみ方で、「あのね」とおねだりを繰り出してきた。


「おねえさんの、あたしにちょうだい?」

「………………はい?」


 ……猫?

 思いもしない要請に一瞬、固まると、それだけで我慢が途切れたように、女の子は地団太を踏み始めた。


「くろいいろで、あかいめをしてた、かわいいねこちゃん! あたし、ひとめぼれしちゃったの! だから、ねえ、おねがぁい!」

「あ、ああ……いえ、ちょっと待ってくださいね」

「まったらくれる? あのねこちゃん、あたしにくれる?」

「いやあの、わたしのお話、ちょっと聞いてくれますか?」

「きいたらねこちゃん、あたしにくれる?」

「それは確約できませんが」

「ねこちゃんちょうだぁい!」


 ダメだ。会話が成り立たない。これだから子ども相手は嫌なんだ。

 ヴァルくん相手でなんとなく慣れた気でいたけれど、実際、本物相手だとこんなものなのだ。さっきのヴァルくんには悪いことをした。きっと百年前の勇者一行も、こんな調子だったに違いない。


 痛むこめかみに指先をあてて、引き攣りそうな笑顔を必死で保つ。店の前。天使のような美少女。わたしは店員。……よし。


「えっとですね……実は、あの猫ちゃんは、わたしの猫ちゃんじゃないんです」

「うそつき! おねえさんといっしょにいるの、あたしみたもん!」

「そうですよ、一緒にいたのは本当です。でも飼い主さんは他にいて、わたしはあの猫ちゃんのお散歩をしていただけなんです。だから、わたしがあの猫ちゃんをあげることはできないんです」


 わかりますか?と理解を求めると、ブルーアイいっぱいに涙を溜めた女の子は、束の間、考えるように口を閉ざした。


「……ねこちゃんのかいぬしさん、どこにいるの?」

「このお店のどこかにいるはずですよ。飼い主さんに、お願いに行きますか?」


 なるべく優しく問いかけると、こくん、と頷く女の子。その素直さに、わたしは内心、ほっと胸を撫で下ろした。


 ……よしよし。あとはヴァルくんに丸投げしよう。大人相手でも楽々手玉に取るんだから、子ども同士なら余裕だろう。


 面倒事回避の目途が立って、ようやく周りに目を向けられたわたしは、そこでふと気がついた。


「そういえば、大人の人は一緒じゃないんですか? お家の人は?」


 こんな天使のような美少女を単独行動させるなんて、誘拐してくれと言っているようなものじゃないだろうか。服装や言動を見ても、可愛がられていないわけでもなさそうだし……と思っていると、女の子は「いるよ!」と後ろを振り返った。

 その視線を追った先に、いつの間にか、うすぼんやりとした男性が立っていた。きちんとした服装でちゃんと実体もある人間のようだが、いかんせん存在感がうすぼんやりだ。年齢もよくわからない。父親かそれとも、と考えるわたしに、女の子は当然の顔で紹介してくれる。


「テディよ! あたしのおせわをしてくれるの!」

「……なるほど。お世話係さんですね」


 あまり深入りせずに短く頷く。どこにでも家庭の事情というものはあるだろう。ただしお嬢さまのワガママを止め切れていないお世話係には、心の中でマイナス点をつけさせてもらう。お宅のお嬢さま、迷惑です。


 ともかく保護者がいるのなら、よほどの場合には彼がどうにかしてくれるだろう。

 ひとまず安心材料を得られたので、女の子とテディさんを店内へと案内する。カウンターで手続きをして、向かうは上階の閲覧スペースだ。昨日までも連日していたことなので、妙に慣れた感覚がする。謎の熟練感。


 そして案の定、バックヤードで神出鬼没してみせたヴァルくんは、いつもの窓際に落ち着いて本を開いていた。

 わたしたちが来たのを感じてか、彼の目がページを離れてこちらに向く。


「ヴァルくん」


 声をかけて、歩み寄る。


 ――次の瞬間、後ろ腰の辺りになにかが触れたと思うと、ずおっと身体中の空気が吸い取られるような感覚が走り抜けた。


「えっ……」


 くらりと目が眩み、踏み出していた足から力が抜ける。

 焦って手摺りを掴もうとするも、伸ばした手は空を切る。あ、ダメだ。


 なすすべもなく身体が崩れ落ちるのを感じながら、急速に狭まる視界の中。


 紅い双眸が珍しくも焦った色を浮かべるのを見たのを最後に、わたしの意識は、ふつりと途切れた。




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