第23話 別れと予兆


 魔王島と本土の間には、現在、二種類の船便が行き来している。

 東の海都グロースメアとの往復便と、正面対岸にある廃都ルーチェへの往復便だ。グロースメア便は朝と昼の一日二便しかないが、対岸の港町との便は、距離の近さもあって一日四便往復している。

 目指すキューマが西側になるからと、ヤスヤたちは対岸への船に乗ることにしたらしい。となると、次に出る便は昼過ぎだ。


 そういうことで話がまとまりかけた頃、フベルトがサッと挙手をした。


「……だったら最後に、『ナーハフォルガーの書』を見てきたいんだが。次、いつここに来られるか、わからないし」


 恰好をつけながらも必死な様子に、そういえば昨日、やたらと興奮していたなと思い出す。最強の魔導書に憧れる年頃か。わたしにはそんな頃なかったけど。


 ともあれ――荷造りの時間を含めても四人にはそこそこ余裕があるらしく、最後に我が職場〈魔王の書庫〉を改めて案内することになった。


「そういえば、うちで扱っている漫画コミックスも、勇者ユウタロウによってもたらされたチキュウのものなんですよね」

「ああ! 漫画もそうなんですか! むうう、俺も文字が読めればなあ」

「幼児用の文字ドリルなども扱っていますけど、買っていかれます?」


 そんな会話をしながら店に到着すると、ちょうど副店長に出くわした。ヤスヤたちの調べものがなんとか解決した旨を伝えて、最後の見学許可を願い出ると、喜んで上階へと通してくれる。……そういやわたし明日から連勤だったな。生きよう。


 二階東側の閲覧スペースまでやってくると、フベルトのテンションは最高潮だった。〈聖紋〉結界によって守られた魔導書へと駆け寄ると、両方の拳を握って、右左あらゆる角度から食い入るようにそれを見つめる。


「すごい! 本物だ! こんな間近で見られるなんて! くそう、読みたい! いったいどんな冒涜的知識が、この中に詰まっているのか……!」

「喜んでいただけてなによりですが、触るだけで大事件ですのでお気をつけて」


 大興奮の小鬼に一応、注意するけれど、それもあくまで一応だ。実際にやらかすほどの度胸はないと知っているので、生温かい目で見守るくらいにする。

 そんなわたしたちを余所に、すっと前に進み出る人がいた。


 ――ケイちゃんだ。


 大きく見開いたその目には、結界表面をゆっくりと旋回する〈聖紋〉が映り込んでいる。そして、そこにあるなにかを追うように指先が上げられ、なにかを辿るように唇が動く。


「……ケイちゃん?」


 呼びかける声にも気付かずに、その手はなおも伸ばされる。止めようと間に入る隙もなく、白く細い指先が、淡い光を放つ結界に触れ――


「圭!」

「……っ!」

「触ったらダメだって、ユッテさんの話、聞いただろ!」


 横から手首を掴まれて、ケイちゃんは、ふと目が覚めたようにヤスヤを見た。

 さらに一拍置いて、ようやく自分の行動を自覚したらしく、慌てて後ずさりしてこちらへ頭を下げる。「大丈夫ですよ、未遂ですし」とフォローしたけれど、すっかり恐縮してしまったらしく、来た時と同じくらい小さく縮こまってしまった。その様子は、もうすっかり、いつものケイちゃんだが。


 ……なんだったんだろう、今の。


 まるで魔導書に魅入られたかのような、そんな風にすら見える行動だったけれど――でも、そんなはずはない。この〈聖紋〉結界は、それを防ぐためのものでもある。結界は魔導書を守りもするが、それと同時に、魔導書の影響から人々を守るものでもあるはずなのだから。


 ……後で、副店長に報告しよう。


 今のはグレーゾーンだったけど、本当に魔導書の影響が漏れ出ているのだとしたら大変だ。百年たって魔王の化身が抜け出しているのだから、ここの〈聖紋〉結界だって、もしかしたら綻びが出来始めているのかもしれない。


 そんなことがありながらも、我々は最後の職場見学を終えた。ついでに城下町で軽い昼食もともにして、わたしはそのまま、彼らを港まで見送りに行った。

 なんだかんだとしてしまったせいか、結局、港に着いたのは出航時間の間近だった。船着き場でそれぞれと別れの挨拶を交わす中、ふとエウラリアが「その猫」とわたしの足元を見た。


「昨日もいましたけれど、ユッテさんの飼い妖精猫ケット・シーかなにかですの?」


 そこにいるのは言わずもがな、黒毛赤眼の、野次猫ことヴァルくん猫だ。

 どうやら城門を出る時はこの姿と決めたらしく、今日も、店で別れたと思ったらいつの間にかこれで合流してきていた。ヤスヤたちとの別れが惜しい、というよりは、やっぱり野次馬根性なんだろうが。


「いや、そういうわけじゃないんですけど……どこかで懐かれたみたいで」

「……ずいぶんと豪儀な猫に懐かれたものですわね」

「え?」


 その意味を尋ねるより先に、「出航しますよー! 乗船の方はお早く!」と船員の大声が港に響く。慌ただしくなってしまったが、これで本当にお別れだ。


「あたくしのせいで、ユッテさんにはご迷惑をおかけしました。お店の方々にも、よろしく伝えてくださいませ」

「本当にお世話になりました! 圭のこと、ちゃんと治してまた来ます!」

「……オレも、あんたには恩があるからな」


 口々に言う仲間たちと船べりに並び、ぺこりと頭を下げたケイちゃんに向かって、わたしは「お気をつけて」と片手を振る。顔を上げたケイちゃんが笑って手を振り返してくれたので、わたしも笑って見送った。

 そうして、異世界人二人を含む一行は、魔王の島を去っていった。





「……ウフフッ、見ィつけた」


 ひどく恍惚としたブルーアイが、その様を見下ろしているのも気付かずに。




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