第22話 めでたし、めでたし
やがて泣き止んだエウラリアは、恥ずかしそうにしながらも、「いつまで乙女の柔肌に触れているつもりですの」といつもの調子で突っぱねてきた。わたしとしても若干、気まずくなってきたところだったので、その場はさっさと退散する。同性同士でも、他人の裸体はまじまじと見るものじゃない。
しばらくしてバスルームから出てきたエウラリアは、すでに尾びれではなく人間の脚をもっていた。耳も顔立ちも、見慣れた人型になっている。
「……ご迷惑をおかけしましたわ」
「どういたしまして。でもその言葉は、わたしよりも先に、あの子たちにかけてあげるべきですよ」
珍しく殊勝なことを言ってくれるエウラリアにそう言うと、彼女は、綺麗な顔を不安げに歪めた。
「あたくし……きっと嫌われてしまいますわね。ヤスヤさまにも、ケイさんにも」
憂いを含んだ呟きに、思わず「フベルトが含まれないのはもはや様式美ですね」と口を挟むと、「フゴはもう少し、あたくしを嫌いになるべきでしてよ」と返される。フベルト少年、一応きみの愛は届いているようだぞ。迷惑がられてはいるが。
「まあでも、大丈夫なんじゃないですか? ヤスヤくんのことだから、素直に話して謝れば、きっと物凄く怒った後に、ちゃんと許してくれますよ」
「……そうかしら」
「そうですよ。あの子のそういうところを好きになったんでしょ?」
無責任に言い放ち、わたしは準備しておいた夕食の席に彼女を呼ぶ。こういう時に不安が募るのは、お腹が空いているからだ。とりあえず空腹さえ満たしてしまえば、なんとなくうまくいくような気がしてくる。
そんな今日の夕食は、コンソメ味の野菜スープとチキンステーキ、温野菜のサラダを少々。人魚さんたちの許容ラインがわからなかったので、魚介類は一切なしだ。実際、彼女も空腹ではあったようで、おとなしく食事の席についた。
食事を終えても相変わらずエウラリアの表情は晴れなかったが、夜が明けて、わたしの予測はだいたい当たることとなる。
翌日、わたしたちは中庭の東屋で待ち合わせた。
「エウラリア、昨日は――」
「――申し訳ございませんでした! ケイさん! ヤスヤさま!」
言うや否や、がばりとその場に身を伏せたエウラリアを、誰も止めることはできなかった。高慢が服を着て歩いているようだった彼女が、東屋の床に両手をつき、額までもつかんばかりの勢いに、呆気にとられていたヤスヤが慌てて手を差し出す。
「そ、そこまでしなくてもいい。昨日は俺も言い過ぎたし……」
「いいえ、これでもまだ足りません。なにをしたって足りないくらいですわ。だって――ケイさんの声を奪ったのは、本当にあたくしなんですもの!」
「…………え?」
絶句したヤスヤたちに、エウラリアはすべてを話していく。自分が抱いてきた鬱屈。それを晴らしてくれたヤスヤへの感謝。そして自らの願いを叶えるために、なんの落ち度もないケイちゃんを利用したということまで。
土足の床に額づいたまま、声に滲む涙を払うように言い募る。
「本当に……本当に、浅はかで身勝手な行動でしたわ。どれだけ謝罪しても足りません。それでも、それでもあたくしは……っ」
「……エウラリア」
静かな呼び声に、びくりと彼女の肩が震える。
「顔を上げてくれ」
否やと言うこともできないのだろう、そろそろと身体を起こして見上げたエウラリアのその頬を、ヤスヤは無言で、両側から両手で思い切り挟み込んだ。バチン!と無関係な我々が身を竦めるほどの音が高く鳴る。うわこれ絶対に痛いやつ。
けれどヤスヤはそれで終わりにせず、エウラリアの顔を包み込んだまま――驚いたことに、ニカッと晴れやかに笑ったのだった。
「ヤ、スヤ……さま……?」
「最近、妙に気が立っているようだったが、そういうことだったんだな! うむ、理由がわかってすっきりした!」
「…………は?」
間の抜けた声を出したのは、エウラリアかわたしか、それともフベルトか。声は出せなくても同じ思いだろう顔のケイちゃんも見つめる中、困惑したエウラリアが喉を震わせる。
「あの……ヤスヤさま? あたくし……あたくしずっと、嘘をついて……ケイさんにも、ひどいことをして……」
「ああ、それについては怒ってるぞ。でもエウラリアは謝ったし、俺が困った分は今、痛い目を見てもらったし。だから俺にはもう、謝らなくていい」
俺には、という言葉に、唯一自由になるエウラリアの目がなにかを探す。
それはもちろん、ケイちゃんだ。
「ケイさん、あたくし……」
なにかを言いかけたエウラリアの前に、ケイちゃんがしゃがみ込んで目線を合わせる。あのエウラリアが怯むほどにじっと見つめ、そして兄が固定したままの彼女の額に、ケイちゃんは前振りなくデコピンを繰り出した。うわ兄妹。
「きゃんっ!」
可愛い悲鳴を上げて被弾箇所を押さえるエウラリア。その拍子にヤスヤが手を離すのを見計らって、ケイちゃんは、両腕を広げてエウラリアに抱き着いた。驚きに固まる彼女をぎゅうっと抱き締めて、それからケイちゃんは、ヤスヤとそっくりな笑顔を満面に浮かべる。
間違いなく、わたしが見た中で、一番嬉しそうな笑顔を。
「……ゆ、許して……くださいますの?」
おそるおそるの囁きに、ケイちゃんは「もちろん」と言うように大きく頷く。そしてもう一度、ぎゅっと彼女を抱き締めたものだから、エウラリアはいろんな糸が切れたように泣き出してしまった。
「フベルトさんも抱き着いてきます?」
「……いや……オレは、いい……」
目の前の急展開に少し引き気味だったフベルトも、緊迫感が飛び去った様子の三人に、やがて「やれやれ」と首を振る。そしておそるおそる、それでも自分の意思でエウラリアの肩を軽く叩き、ぎこちなくも微笑みかけていた。
そんな四人組の光景を眺めて、わたしは呟く。
「めでたしめでたし……かな?」
「まだ終わりではないでしょう」
「わっ! ヴァルくん!」
独り言に返事が返って、隣にいた相手に初めて気づく。今日はまだ店に寄っていないのに、なぜここがわかったのか。……魔王だからか。そうか。
わたしの声に振り向いた面々も、突然現れた子どもに目をぱちくりさせている。その視線にも臆さずに、ヴァルくんは「それで」と首を傾げた。
「ケイおねえさんのこえって、もとにもどるんですか?」
「も――もちろんですわ! キューマを統べる領主一族の魔法ですもの、解呪の方法もきちんと受け継がれています!」
はっとしたようなその場の視線を受けて、エウラリアは急いで頷いた。のだが、安堵に顔を緩める仲間たちを見て、気まずそうに「ただ」と俯く。
「本当に申し訳ないのだけれど……あたくしには、それができなくて」
「できない!?」
途端に上がったヤスヤの大声に、エウラリアがびくりと小さくなる。咎める視線を妹に向けられた兄が「すまん」と謝り、エウラリアは、自分では解呪を行えないわけを説明した。
「……つまり、エウラリアではもう、解呪のための魔力が足りないというわけか」
「しかも秘伝魔法のため、キューマの領主一族にしか扱えないと」
ヤスヤとわたしで総括すると、「ええ」と肩を落とすエウラリア。すぐにはどうにもならないことに同じく落ち込むかと思われたヤスヤだが、しかし残念、そこまでヤワな人間じゃなかった。
彼は「ふむ」と力強く頷くや、高々と拳を掲げて言ったのだ。
「なら話は簡単だな! 今すぐキューマに向かおう!」
「えっ、今すぐですか?」
「ああ! 早く出発すれば、それだけ早く到着する! 早く行動した分だけ、早く圭の声も元に戻るんだ!」
意気揚々と言い切るヤスヤに、なんというか、百年前の勇者ユウタロウもこうだったのだろうかと、しみじみ感心してしまった。
チキュウ生まれって強い。
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