第20話 野次猫と海の魔女


 副店長に軽く事情を説明し、わたしは店を飛び出した。


 他のお客を驚かせないよう気をつけて、それでもたまにぎょっとされるような早足で城門を出たところで、ふと並走する影に気がついた。四本の足でしなやかに駆ける、黒い毛並みの若猫だ。

 それが、ちらりとわたしを見上げてしゃべる。


『真っ直ぐ出てきましたけど、彼らの居場所はわかっているんですか?』

「――えっ!? ヴァルくん!?」


 幼いながらも落ち着いたその声は、店に置いてきたはずの子どもの声だった。足を止めないままでもよく見れば、わたしを映す獣の目は、見覚えのある紅い色だ。


「え!? なに!? なんで猫!?」

『魔力の欠片の欠片です。こちらで本を読みながらでも、これくらいなら動かせるので。まあ、興味半分での様子見に』

「野次馬ならぬ野次猫ですか!」


 コノヤロウ! と反射的に思ったけれど、子どもの姿でついてこられるよりはまあマシだ。昼下がりの混雑する大通りを行くのにも、するすると危なげなく、観光客の足元をすり抜けている。……いつもの幼児ならこうはいくまい。


 影のような野次猫を連れて、わたしは一路、南へ向かった。

 四人組が泊まり込んでいる宿屋の場所は、ヤスヤに聞いて知っていた。城下町の中でも港のほう、船乗りの家族が営む民宿のひとつだ。家人たちとの関係さえうまくいけば、安価で長く滞在できる。


 その民宿を訪ねた途端、すでにまずい状況に陥っていることが即座にわかった。

 玄関ホールの外側まで、エウラリアの甲高い声が響いてきていたのだ。


「……どうして信じてくれませんの!? あたくしはこんなにも、ヤスヤさまのことを愛しているのに!」

「うわぁ……」


 思わず呻き声を洩らす隣で、『始まってますねえ』なんて呑気に猫が言う。

 玄関付近でおろおろとしていた家人に聞くと、つい先ほど、黒ずくめの小鬼ゴブリンが帰宅したと思ったら、しばらくして彼女が怒り始めたらしい。宿と言っても基本は民家だ。大声など筒抜けだからよくわかる。


『遅かったようですね。もう帰ります?』

「……帰らないです」


 遅くても、まだできることがあるかもしれない。

 宿の家人に断って、四人が借りている二階へ上がる。その間にもエウラリアの怒声は続いていて、それを辿れば難なく部屋を特定できた。


 ドアの前で、深呼吸。よし。


「どうしたんです? 外まで聞こえていましたけど、なにがあったんですか?」

「――ユッテさん!」


 一応のノックを挟んでドアを開けると、その場の視線が一斉に集まる。


 部屋の中は、なかなか悲惨な状況だった。ぐしゃぐしゃに泣きながら肩で息をしているエウラリア。それから妹を庇うように立つヤスヤと、庇われる位置でへたり込んだケイちゃん。フベルトは反対方向の部屋の隅で、半泣きになりながら縮こまっている。そんな彼らの周りには、エウラリアの仕業だろう、旅荷物や衣服やクッションが乱雑に投げ散らかされていた。


 そんなところに現れたわたしに、室内の空気が一瞬で止まった。


「どうして、ユッテさんがここに……?」

「ちょっとした伝え忘れがあって、訪ねてきたんです。それよりいったい、なにがあったんですか?」


 この状況はどうしたことだ、と問いかけると、真っ先にエウラリアが口を開く。


「聞いてくださいなユッテさん! ひどいんですのよ! ヤスヤさまときたら、このあたくしがケイさんの声を奪った犯人なんじゃないかと、突然言い出したんですの! どうしてあたくしが、こんな風に疑われなくちゃなりませんの? これまでずっと、あたくしはヤスヤさまのために頑張ってきましたのに! この愛のためだけに、家まで捨てて参りましたのに!」

「…………。言い分はわかりましたから、少し落ち着いて」

「言い分ってなんですの! あなたもあたくしを疑いますの!?」

「そうではなくて」


 ああ言葉選びを間違えた。

 慌てて両手を胸の前に上げて、刺激しないよう言葉を重ねる。


「そうではなくて……エウラリアさんとヤスヤくんが仲違いするなんて、わたしには考えられませんでした。もしかしたらなにかの間違いなのかもしれません。ただ少し、すれ違ってしまっただけかもしれませんから、それぞれの言い分……主張を聞いてみたいと思っただけです」

「すれ違い……そうですの」


 説得の甲斐あって、どうやら少しは落ち着いてくれたらしい。こくん、と頷いて涙を拭うエウラリアはそこで置いといて、次にヤスヤのほうを見やる。

 ヤスヤはまだ、警戒を解かずにケイちゃんの前に立っている。それでもわたしが促すと、言葉を選ぶように少し黙り込んだ後、ひとつ頷いて口を開いた。


「……俺は別に、エウラリアが犯人だなんて言うつもりはないんです」

「というと?」

「俺たちの地球にも、ヴァルが言っていたのと似た『人魚姫』の御伽話があるって話は、昼にしましたよね。俺は全然興味なかったし、圭に言われるまで知らなかったんですけど、地球の『人魚姫』でも、ヴァルが言ってたのと同じように、人魚姫は自分の〈大事なもの〉と引き換えにして脚を手に入れるらしいんです。それで……それが、人魚姫の〈声〉らしくって」


 チキュウの『人魚姫』の話では、人間の王子さまに恋をした人魚姫は脚を求め、海の魔女を尋ねるらしい。そこで尾びれを脚に変える代償に、その美しい声を魔女に渡してしまうというのだ。


 ……確かに。その辺りはヴァルくんの話と、だいたい同じだな。


 思わず頷いたわたしに、ヤスヤが身を乗り出した。


「先に言った通り、俺はエウラリアを疑うわけじゃない。ただ、似たような話が残っている世界の人魚マーフォークなら、もしかして、なにか知っているんじゃないかと思っただけなんだ……!」

「知りませんわ! あたくしはなにも知りません! 別世界の御伽話を、今ここにいるあたくしと結び付けないでくださいませ!」


 ヤスヤの勢いに感化されたように、エウラリアの声も高くなる。ああダメだ、この二人、火に火をくべるタイプの相性だ。喜怒哀楽すべて相乗されていく。せめてどちらか冷静なら、収まるところもあるだろうに。

 収集がつかなくなる前に、わたしは「わかりました」と割って入った。


「どちらの話もわかりました。なので、今日のところは、いったん終わりにしましょう」

「終わりって」

「今日のところは、いったん、です」


 不満げな文句を封じ込め、わたしはぐるりと室内を見回す。

 この宿の部屋は、男女それぞれ一部屋ずつで借りられているらしい。今いるここは、男子部屋のようだ。ぶちまけられた荷物の中身からそれが察せられる。


 ……ってことは、ケイちゃんとエウラリアが同室なんだよね。


 この状態でのそんな一夜は、さすがに各自、胃が痛むのではないだろうか。主にわたしが心配なのは、今も座り込んだままのケイちゃんだけど。

 黙り込んでわたしを窺う面々、その中でも渦中のヤスヤとエウラリアを見て、噛んで含めるように言う。


「お互いに、承服できないところもあるかもしれませんが、とりあえず相手の言い分は聞きましたね。次は一晩、それについて考えてみてください。ゆっくり、落ち着いて。そのためにも……エウラリアさん。あなたは今晩、うちに泊まってください」

「あたくしが? あなたのところに?」


 思ってもみないことだったのだろう、エウラリアは目を丸くしたけれど、真面目な顔で頷くと、少し考えてから「わかりましたわ」と受け入れた。

 わたしとしてもあまり気は進まないが、これを放置して帰っても落ち着けない。


 ついでにこの夜のうちに、少し、きちんと話をしてみよう。




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