第19話 最短距離の結論か妄想


 結局、ケイちゃんの体調は戻らなかったらしく、今日のところはそのまま城下町の宿に帰ることにしたと、フベルトが一人で言いに来た。

 妹には兄が付き添い、当然のごとく人魚姫もそれに同行し、自分も帰りたかったものの愛しのエウラリアに笑顔で頼まれて、仕方なく連絡しに来てくれたらしい。


 ……恋する使いっ走りか。本人がいいならいいけれど。


 あまりにも不憫なものだから、つい、実はお昼に食べ損ねていた袋入りクッキーをあげてしまった。自分たち用だったから雑な袋だけど、成長期男子には喜んでもらえたようだ。ついでにひとつ、お願いをする。


「さっきケイちゃんが、なにか言いたそうにしていたんです。わたしじゃ筆談はできないし……たいしたことじゃないならいいんですけど、少し気になるので、ヤスヤくんに聞いてもらえるようお伝え願えますか?」

「ああ……わかった。オレは、受けた恩は必ず返す男だ」


 クッキーの一袋で恩が買えるとは。あと謎のポージングはやめなさい。根はいい子なのに、見ているこっちが恥ずかしくなる。

 ともかく用事は済んだので、フベルトも宿に帰っていった。


 ……さて。本人たちがいないのなら、わたしも通常業務に戻るべきかな。


 ケイちゃんのことを思うと、少しでも調べものを進めたい気持ちもあるんだけどなと思ったその時、後ろから突然、スカートをぐいっと引っ張られた。


「あのくっきー、ぼくのおやつだとおもってたんですけど?」

「……アイスボックスクッキーくらい、いつでも作りますから勘弁してください」


 冷蔵庫のタネをナイフで切って焼くだけだ。なんならこの仕事終わりにでも焼いてくるからと宥めると、無邪気の中に邪気を潜ませたヴァルくんの笑顔が、ようやく普通の範疇に戻った。きみたち、クッキーひとつで大袈裟過ぎる。

 フベルトを見送って店の出入り口付近にいたため、周りには他のお客もいた。その目を考えて幼児仕様のヴァルくんは、こてんと首を傾ける。


「みんながこないなら、きょうはもう、しらべものはおわりですか?」

「うーん……それが、どうしようかなと思ってたところなんですよね。いい加減この状況も打開したいですし、お店が大丈夫そうなら、わたしだけでも作業を進めるべきかとも思うんですけど」

「ふうん」


 こてん、と逆側に首を傾げて、紅い目がすっと細くなる。


「それじゃあ――どうせ読むのなら、が読んでいたお話の本でも、読んでみたらどうですか?」

「へ? ……それってあの、騎士だのお姫さまだのとか言っていた本ですか?」

「面白いですよ、古いお話は。いろいろと、学ぶところも多いですから」

「…………」


 にっこりと浮かべられた、その笑顔が含むものはなんだろう。


 ……単なるオススメの本、ってわけではないよね。これ。


 自分をと呼びながら、今の彼はのほうだ。それがわざわざ言い出したのだから、無意味な提案であるはずがない。調べものを進めようというわたしに、わざわざ、昔話の本を勧める理由――。


 そこまで考え、ふと、ある引っかかりに気がついた。


「……そういえばさっき、なんだか妙に、エウラリアさんに絡んでいましたね」


 物語にある人魚姫の話題を皮切りに、気位の高い彼女をコロコロと手玉に取っていた。いつもは聞かれたことには答えても、自分から関わりに行くことはない子なのに、考えてみれば妙なことだ。

 それを指摘すれば、ヴァルくんは「おや、そうでしたか?」と眉を上げる。なんともわざとらしいそのさまに、ここが急所だと身を乗り出した。


「ヴァルくん。きみ、なにを知っているんですか? なにか知っているなら、ちゃんとわたしにも教えてください」

「そうですねえ……まあ、どうしてもと言うなら教えてもいいですが」

「ええもちろん、どうしてもです!」

「では過程と結論、どちらからにしましょうか?」

「結論からで!」


 もったいぶるような態度が癇に障り、食い気味に最短距離を選ぶ。

 それすら面白がるように薄い笑みを広げ、相手は、わたしが望んだ通りに結論から先に口にした。


「今回の黒幕は、エウラリア姫ですよ」





 絶句したわたしの手を引いて、ヴァルくんは〈書庫〉の上階へと場所を移した。

 わたしたち以外は誰もいない、誰の耳にも留まらないそこで、ヴァルくんは淡々と順を追い、後回しにされた過程を話していった。わたしに勧めた例のを開き、その該当箇所を示して、捕捉の説明も付け加える。

 それを一通り聞き終えて、それでもわたしは、信じられなかった。


「そんなの……でもそんなの、なんの証拠もないじゃないですか。誰かに話したとしても、『想像力が豊かだね』で終わっちゃうやつですよ」

「まあ、な貴女や彼らでは、そうなるかもしれませんがね」

「……こんな時まで」


 こちらは真面目に話しているのに、揶揄を挟んでくるなんて。そう睨み返したわたしに相手は少し笑い、首を振って、その言葉の真意を口にした。

 けれどわたしはそれを聞いて、ますます渋く顔を歪める。


「……嘘でしょう。それこそ、確かめようのない話じゃないですか」

「なくはありません。専門の施設や道具さえあれば、誰にでも確かめられることですから。だいたい、これに関して嘘をついて、私になにか得がありますか?」

「…………わたしたちがアタフタするさまを見て楽しむとか」

「心外ですね。確かにその楽しさも捨てきれませんが、今のところは、平穏な読書環境に戻ってきてもらうほうが嬉しいですよ」


 毎日気楽に読書生活を楽しんでいるようなヴァルくんだったが、彼は彼なりに、四人組が上階に入り浸る今の状況を好ましくないとは思っているらしい。その割には、こっちに絡んできていたけれど。

 でも、それならそれで。


「……だったらなんで、もっと早く教えてくれなかったんですか?」

「貴女が言ったんでしょう。ヤスヤの頭が落ち着くまでは、こちらからの行動は控えたほうがいいだろうと」


 恨めしさを込めた文句も一蹴して、ヴァルくんは「まあ」と話を戻す。


「信じるか信じないかは貴女次第です。私はただ、貴女が困っているようなので手を貸しただけ。貴女が話せと言ったから話しただけですから」

「…………」

「それをどう扱うかは、貴女が決めればいいことですよ」


 ……なんて無責任な、と思ってしまうけれど、実際その通りなんだろう。


 ただの妄想と切り捨てるか、それとも受け入れて断罪に用いるか。ヴァルくんはそのどちらを強要するでもなく、ただ自分の考えを述べただけ。わたしにひとつの可能性を示しただけだ。

 けれど――そんな彼が愉快犯じゃないという確証を、いったい、どうやって得ればいいのだろう。


 黙り込んで悩むわたしを余所に、当人は例の本を閉じ、その背丈には少し高過ぎる椅子から飛び降りる。本日の読書の続きを始めるのだろう。

 しかしその途中で立ち止まり、「ああでも」とわざとらしく宙を見上げた。


「そういえばあの時、ケイもなにかに気付いたようでしたね」

「……ケイちゃんが?」

「『人魚姫』の話をしていた時でしたか。似たような物語が彼らの世界にもあると、ヤスヤが言っていましたね。その話を続けていると、途端に顔を真っ青にして……そういえば、貴女になにかを伝えようとしていたんでしたっけ? 筆談ができなくて、どうやら諦めてしまったようですが――」


 ヤスヤに聞いてもらうように、わたしが、フベルトへ伝言を頼んだけれど。

 赤眼の子どもは、肩越しに振り返って無邪気に笑う。


宿?」

「……!」


 わたしはガタリと椅子を蹴倒した。




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