第13話 異世界人たちの事情
休憩の打診をしに行ったわたしに、副店長は笑顔で「いってらっしゃい」と言ってくれた。
出勤からまだ二時間。ろくに仕事も片付いていないのだけど、「そんなことよりさっさと店頭からいなくなってくれ」との指示をそこに読み取ったため、わたしも頭を下げてさっさと全員を連れ出した。ほんとすみません。
そうして向かったのは、いつものごとく本館一階のフードコート。昼のピークを過ぎていくらかのんびりとした空気が漂うそこで、各々、申し訳程度の飲み物を手にテーブルを囲んだ。
「俺の名前は
「妹さんなんですか」
ヤスヤ少年に紹介された黒髪の女の子は、ちょこんと座った椅子の上で、肩をすぼめたまま頭を下げる。黒い長髪を耳の下で二つに結んだおとなしそうな外見は、明るく精悍なヤスヤ少年とは似ても似つかない。一言で表すなら可憐な子だ。
……それにしてもこの子、さっきから一言もしゃべらないな。
人見知りか引っ込み思案かとも思うけど、小声すら耳にしていないのがなんだか気になる。不用意に聞いていいものか、少し躊躇ったその横から、水系亜人の少女が口を挟んできた。
「あたくしはエウラリア。キューマ湖の
「キューマ湖というと、あの西の」
海都グロースメアとは反対方向にある、大陸最大の海水湖だ。その湖面に浮かぶように築かれた白亜の街の美しさは、これぞまさに地上の楽園と有名である。いや水上なんだけど。
そこのお姫さまだというエウラリア嬢は、明るい青色の肌に波打つ銀の髪、少しキツメだが綺麗な顔をした美少女だった。年齢の割に豊満な胸部を見せつける露出度高めの服装は、よく見れば確かに、人魚一族の伝統衣装だ。今は一族に伝わる魔法薬で、陸上活動を可能にしているらしい。
「……おれはフベルト。こう見えても
どう見ても小鬼にしか見えないフベルト少年は、どうやら中二病と高二病の狭間を行き来している最中らしい。ごわごわ茶色い前髪をなぜか片目が隠れるようにセットして、緑がかった肌色にはあまり似合わない全身黒ずくめな格好だ。座り方すら斜に構えているのが、見ていてなんとも痛々しい。
そんなフベルト少年は、向かいに座るエウラリア嬢をやけにチラチラ気にしている。そのエウラリア嬢自身はヤスヤ少年しか見ていないのでまったく気付いていないようだが、はたで見る分にはバレバレだ。きみ、その子が好きなのか。
なんだか面倒臭そうな人間関係を察したところで、それからは速やかに目を逸らして、自分も名乗り返しておく。
「ご存知の通り、わたしはユッテ・T・カスターニエ。きみたちが会ってきたっていう、カーヤとクルトの妹です。それと……」
ちらり、と隣の席を見る。
それで目が合った当人は、飲んでいたジュースのストローを放して、にっこりとなんとも可愛い笑顔を見せた。
「ぼく、ヴァルっていいます。ユッテおねえさんとおともだちで、けいびのおじさんに、ユッテおねえさんをまもるんだぞ、っていわれているんです。いいこにしてるので、ぼくもいっしょにいていいですよね?」
「ああ、もちろん」
ニカッと笑い返したヤスヤ少年が即答する。兄気質というやつだろうか。しかしきみは騙されている。そいつが元魔王だ捕まえろ。
四人組を伴って〈魔王の書庫〉を出ようとした矢先、いつも通り上で本を読んでいたはずのヴァルくんが、しれっとそこに交ざり込んできた。他に人がいるなかでその意図を問いただす真似もできず、なんだかよくわからないまま、こうして席を同じくしているのだけど。
……頼むから妙なことしないでくださいよ。
そう願いながら、元魔王と異世界人の交流を「それでですね」と遮った。
「実は、カーヤとクルトから、きみたちについての手紙を受け取ってはいたんです。いたんですが、ああいう性格の二人なもので、手紙だけではいまいち状況が掴めていません。詳しいことを説明してもらっていいですか?」
「……はい」
キリッと真剣な表情になって、ヤスヤ少年が居住まいを正す。それまでとは違うその雰囲気に、なぜだかこちらも背筋が伸びた。
そして、彼が口を開く。
「俺と妹の圭は、実は、この世界とは違う世界からやってきたんです」
――そこは、〈チキュウ〉というらしい。
チキュウの片隅にある島国、ニホンで生まれ育ったヤスヤ少年とケイちゃんは、ある日、学院の帰り道で交通事故に遭った。道路に飛び出した猫を助けようとしてケイちゃんが飛び出し、そのケイちゃんを助けようと、ヤスヤ少年がさらに飛び出したのだ。……美談かもしれないが、轢いたほうも気の毒な話である。
加害者側の不幸はともかく、次に気がついた時、二人は暗闇の中にいた。そこで何者かの声を聞き、それに従った結果、こちらの世界で目が覚めたらしい。
戸惑う中でフベルトと出会い、やがてエウラリアも仲間になった。そうしてこの世界を冒険していたそうなのだが。
「……ある日、突然、圭の声が出なくなったんです」
「声が?」
目を瞬いてケイちゃんを見ると、眉を八の字にした彼女は、頷きだけで肯定する。それを気遣うように見やり、ヤスヤ少年は、ぐっと強く顔を歪めた。
「原因もなにもわかりません。本当に急なことだったんです。朝飯までは普通にしゃべっていたはずなのに、突然、声がまったく出なくなって……!」
「……もう一週間になりますわ。お医者さまにもかかったのですけれど、どなたからも芳しいお返事を頂けなくて」
言葉を継ぎ、労わるように背中を撫でるエウラリアに、ヤスヤは感謝するように頷いて返す。そしてもう一度、わたしへと視線を上げた。
「呪いじゃないか、なんて話もされたけど、圭に限って、呪われるような理由なんてない。……どうしたらいいかわからなくなっていた時、偶然出会ったのが、カーヤさんとクルトさんだったんです」
気落ちしたケイちゃんを慰めるため、町一番のお菓子屋さんへと行った御一行。その町というのがタールスタッドで、そのお菓子屋というのが、カーヤとクルトが切り盛りする店――つまりわたしの実家だったらしい。
どういう引き寄せなんだと嘆きたいところだけど、実際、その点に関してはあまり驚きすらないのが現状である。なぜなら。
「ユッテおねえさんのおうち、おかしやさんだったんですか?」
「あー……はい。なんと驚き、百年前の勇者ユウタロウから直々に店名をいただいた、由緒正しき老舗菓子屋です」
額を押さえて暴露する。「へえ……はじめてしりました」なんて笑う子どもの目は痛いけれど、わたしだってこう繋がるとは思っていなかった。今、正直に自白したのだから、そこは許してもらいたい。
「なんておなまえもらったんですか?」
「トラヤです。パティスリー・トラヤ」
「なんでゆうしゃから、おなまえもらったんですか?」」
「旅の途中で行き倒れていた勇者を、うちの初代が拾ったらしいですよ。……いやうちのことはどうでもいいんですけど、つまりヤスヤくんたちは、ケイちゃんの声を戻す方法を探してここに来たということですか?」
怖い笑顔から逃れるべく話を戻すと、「そうです」と頷きが返ってくる。
「ここの本屋……図書館? 本屋? なら、古い時代のいろんな本があるから、きっと助けになるはずだと、カーヤさんに言われました」
「はあ、なるほど……確かに古い本なら、山のようにありますけどね」
その山の中から、目当ての本を見つけ出せるのか。そもそもうちの蔵書の中に、目当てとなる本が存在するのか。
……勤務しているわたしですらわからないのに、なんでカーヤは、自信満々にそういうことを言い出すのかな。
考えただけで溜め息が出る。答えは簡単。カーヤだからだ。
「……難しいことだとは、今日、あの本棚の壁を見てわかりました。だけど俺は、まだ諦めたくない。医者に聞いてもわからないなら、俺が自分で探すしかない」
俯いたままの妹を一度見て、ヤスヤは真っ直ぐ、わたしを見据える。
「古い時代の本になら、古い魔法や知恵がある。圭を治す方法も、きっとあると俺は信じます。だからユッテさん、どうか、俺に力を貸してください!」
お願いします! とテーブルに両手と額をつけるヤスヤに続いて、ケイちゃんも深く頭を下げる。エウラリアはそんな兄妹を気遣わしげに眺め、フベルトに至っては飲み干したジュースを片手に肩を竦めているけれど。
……楽観主義なのか、思い込んだら曲げられないのか。
わたしは小さく息をつき、「……あのですね」と口を開いた。
「わたしはただの従業員なんです。上の本も貸し出すわけじゃないから図書館司書の真似事もできないし、そもそも蔵書に関しては、どんな本がどこにあるのかもほとんど把握していません。解決に繋がる本があるかもわかりません」
淡々と告げる言葉に、兄妹の身体がぴしりと強張り、人魚姫の目線が怖くなる。小鬼はちょっと身を引いている。ビビりめ。
それには構わず、だから、と続ける。
「わたしにできるのは、蔵書の閲覧許可をとれるよう上司に頼むことと、その上司に、該当しそうな書籍の在処を尋ねてみることだけです」
「えっ……」
「それでもいいなら、協力させてもらいますけど」
どうしますか? と窺うと、顔を跳ね上げたヤスヤは何度も頷いて、「よろしくお願いします!」と再びテーブルに突っ伏した。ガンッと物凄い音がする。慌ててケイちゃんとエウラリアが引き起こすと、額を真っ赤にしながらも、ヤスヤは満面の笑みを浮かべていた。
……まあ、いいお兄ちゃんには違いない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます