第9話 魔王城の秘密
寝室内に一歩入った瞬間、なにか薄い膜を抜けたような感覚があった。思わず顔を顰めるけれど、後悔を覚えるより先にその感覚も消える。
そんなわたしの手を引いて、ヴァルくんは迷うことなく、ベッド脇へと直行した。
「……ご丁寧に、手厚く隠してくれていますねえ」
そう呟いたヴァルくんが見るのは、ベッドの右脇、絨毯の上にさらにラグが敷かれた床面だ。しゃがんだ彼は躊躇なく、無造作にそのラグを引っぺがす。
「ちょっ、ヴァルくん! 目に見える現状破壊はさすがにダメですよ!」
「ユッテさん、そこの棚、動かせますよね? よろしくお願いします」
制止に耳を貸すどころかさらなる現状破壊に協力を求めてくる相手に、スンッと閉口する。しかも指定されたその棚は、見るからに重そうな木製の飾り棚だ。
真面目な顔をして「無理です」と即答すると、少し考えた後、「では片側ずつ、数秒でいいので持ち上げてください」と妥協案を出してきた。……どうやらこれは、やらなくては先に進まないこと確実のようだ。
……まあいいか。数秒くらいなら、なんとかいけるでしょ。
職場の上階にある立ち入り禁止区域で、展示品を荒らしていることにだけ心の目をつぶれば、やってできないことでもない。
「じゃあ、いきますよ……せーのっ」
わたしがフンッと持ち上げる間に、ヴァルくんは、絨毯を引っ張ってその端を手繰り寄せる。飾り棚は予想通りかなりの重量だったけれど、ヴァルくんの仕事も素早かったため、なんとか堪えることができた。ナイス
そんな作業を左右繰り返して、重石から自由になった絨毯を、ヴァルくんが器用にめくり除ける。
その下から現れたのは、なんと木製の跳ね上げ扉だった。
そこに施された鍵の魔法も当然のように解除して、慣れた手つきで開けようとしたヴァルくんは「…………」思ったよりも重かったらしく沈黙した。「はいはい、力仕事はお任せあれ」と横から手を貸して、ようやくその下が目に見える。
そこにあったのは、下へと続く階段だった。
「……もしかしてここを下りるんですか?」
「もしかしなくても、ここを下りますよ」
小さな片手が差し出される。
わたしは軽く息をついて、今日ずっとそうしてきたように、その手を取って握り返した。
階段の下にあったのは、がらんとした石造りの部屋だった。
本当になにもない。塔の外周より一回りほど小さい壁と、木材が支える天井と、石張りが剥き出しの床だけだ。
うっすらとホコリが積もったその床を、またもしゃがんで調べていたヴァルくんが片手を置いて、なにかを呟く。すると床面いっぱいに、複雑な文様が円形に光って浮かび上がった。デカい。
「もはや驚きも連続しすぎて薄れてきましたけど、これは?」
「移動用の魔法陣です。こういう複雑な陣は、下手に触ると広範囲を巻き込んだ危険があるので、破壊はせずに封印だけしていたようですね」
賢明なことです、と言って魔法陣へと踏み込むヴァルくん。手を繋いだままのわたしもその手に引かれ、光の輪に足を入れる。なんだかもう本当に、いろんなことが続き過ぎて、いちいち考えるのが面倒くさくなってきた。ただちに危険はなさそうだから、とりあえず、行けるところまで行ってみようと思う。
移動用魔法陣の稼働も、ヴァルくんは難なくやってのけたらしい。くらりとめまいにも似た感覚に目を閉じた直後、「着きましたよ」と言われて瞼を上げると、辺りの景色が一変していた。
遥か頭上に組まれたアーチ。
複雑に描かれたステンドグラスの窓。
そこから差し込む歪んだ光に、澄んだ輝きを放つ泉。
――それらが生み出す荘厳さを、完膚なきまでに踏みにじるような、瓦礫と焼け焦げに満ちた無残な破壊の跡。痕。あと。
「……ここは」
「城の地下深く、かつての大聖堂跡です」
「大聖堂って……」
どうして魔王城の地下にそんなものがと困惑すると、黒髪の子どもは、にこりと底の見えない笑みを見せた。
「かつて大陸を支配した、〈フィニクス〉という帝国を知っていますか?」
「それは……もちろん。魔王さんが一夜にして滅ぼしたっていう、大昔の国のことですよね」
「ええ。その帝国の遺構なんですよ、この大聖堂は」
かつて大陸史上類を見ない規模で人々を統べ、繁栄の時を謳歌した帝国〈フィニクス〉。その技術の粋を集めて、帝都の遥か海上に作られたのが、この王族専用の大聖堂だったという。「ちょうどいい場所にあったので、利用させてもらいました」なんて
「祭壇の上、ステンドグラスに禍々しい鳥がいるでしょう。あれが
笑顔でそう語る子どもの姿に、なぜだか胸の底がざわつく。言葉にできる類いの感情ではない。黒髪の頭に手を伸べたくなるような、そうしてしまった瞬間、なにかが決定的に変わってしまいそうな。
落ち着かない内心を切り捨てるように、わたしは進んで話を変えた。
「それでヴァルくん。……どうして、わたしをここに連れてきたんですか?」
ステンドグラスを見上げていた横顔が、思い出したようにこちらを向く。
そうでしたね、と呟いて、彼は繋いだ手を引いた。
「泉のところまで行きましょう。足元が崩れやすくなっていますから、気をつけて」
その泉は、祭壇を囲むようにあった。かつては白く美しかったであろう、今は黒く焦げ跡を帯びた石の彫刻が広く縁を作り、その内側に、
そしてそのきらめきを、わたしは知っていた。
「ここ……もしかして、あの霊泉ですか?」
「ここは封じられた場所。本来、そう簡単に出入りできる場所ではないんですよ。どちらかと言えば、ここはその霊泉の、源泉といったところでしょう。……見てください、あそこが崩れて、水が流れ出している」
小さな指が示す方向を見ると、確かに泉の縁が崩れ、虹色の水が小川のような流れを作っていた。それは焼け焦げ、ひび割れた横壁へと向かい、その向こうへと続いているようだ。おそらくその先に、魔法付与の泉があるのだろう。
もしかして覗けばそちらの泉も見えるのだろうか、と流れを追いかけようとしたわたしは、けれど片手を引かれて足を止める。
「貴女に見てほしいのは、こちらです。泉の中です」
「中? ですか?」
囲われた縁の中、虹色の泉の中を見て、なにがどうだというのだろう。
怪訝に思いもするけれど、この子どもが結構頑固なことを、さすがのわたしも学んでいる。見ろと言われた以上、見なければ、なにも先に進まないのだ。
わたしは仕方なく、泉へと向き直る。彫刻の縁はわたしの腰ほどまでの高さだったので、無言の要請をキャッチして、ヴァルくんもその上に座らせてあげた。わたし優しい。ただの忖度だからお礼の一言もないけど。
なにはともあれ、そうして横並びになって、虹色の水を覗き込む。
「……きれいな泉ですね」
「そうですが、そうじゃないです。水底にあるものを見てください」
「水底?」
虹色の光はゆらゆらと揺れて、透明なのに、なかなか先を見通せない。「見えますか?」と横から言われながら目を凝らして、ようやく手を伸ばしても届かないほどの深い場所に、白いなにかが沈んでいることに気がついた。
そして、自分の目を疑った。
「……えっ!? あ、あれって……!」
白い肌。水に揺らめく黒い髪。頭でっかちな幼い
見慣れたなんてものじゃない――その姿は、今ここに、わたしの隣にいる子どもと、まったく同じものだった。
すぐ耳元で、彼が言う。
「あれが、私の本体です」
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