第10話 彼らの望み


 目の次は、耳を疑う番だった。


「本……体……?」

「百年前、異世界からの勇者に敗れ、聖女の〈聖紋〉結界によって封じられた、私の本来の状態です。……そりゃあ、魔力付与エンチャントできる霊泉にもなりますよ。敗れたとはいえ魔王の魔力と、聖女が残した結界の魔力が、溶け合わさっているんですから」


 理解が追い付かないわたしに、相手は淡々と説明する。

 けれどそれで納得できるほど、さすがのわたしも呑気じゃない。


「い……いやいや。いやいやいやいや。だったら今、ここにいるきみはなんなんですか? 本体じゃないなら、なんですか? だって、触れるし抱っこできたし、ご飯だって食べてたじゃないですか」

は、魔力で作り上げたです。魔力人形ですよ。普通の人間ができることは、たいていできます……百年ぶりで多少、手を抜いてしまったので、貴女でもわかるほどのアラがありますが」


 それでも、うまくできているでしょう? と本体と比べさせるように両腕を広げる。

 アラと言われたそれが、軽すぎる体重と冷たすぎる体温のことだとはわかったけれど、それでも、納得できたわけじゃない。


 だって、この子は、ここにいるのに。


 困惑から逃れられないわたしを少し笑い、黒髪の子どもは、そうとしか見えない相手は、伸ばした指先できらめく泉の表面を撫でる。


「百年前。私は無様にも追い詰められ、この聖堂跡で最後の戦いをしました。それでも我ながら善戦はしたのですが……やはり世界に求められた勇者は違いますね。辛くも敗北を喫し、私は死の縁に立たされた。……しかしそれでも、私は諦めてはいなかった」


 なぜだかわかりますか、と独白のように呟く。


「私は、決して死なないからです」

「……死な、ない……?」

「どんな状態からでも、私は必ず蘇る。たとえ心臓を貫かれても、四肢を砕かれて首ひとつになり果てても、焼け尽くされた灰の中からでも」


 それはまるで――不死鳥フェニックスのように。

 彼が禍々しいと口にしていたその存在が浮かび、思わず頭上を振り仰ぐ。祭壇上のステンドグラスには、灰溜まりを足元に、鮮やかな翼を広げた霊鳥の姿があった。

 何度でも蘇る、不死の鳥。


「しかし、彼らはそのことを知っていた。それで私を、この水底に封じ込めたのです。極限まで魔力を削ぎ落された私は、人の形をとることすらできず、ただずっと、ここで眠り続けていた」

「……でも今は、その姿でここにいる」

「ええ。百年かけて、ようやくここまで辿り着きました」


 魔力の尽き果てた卵のような状態から、百年の月日をかけてようやく、子ども姿の身代わりを表に出せるだけの魔力を蓄えた。

 そう話す相手の様子は自然体で、穏やかさすら覚えるもので、だからわたしは、理解ができなかった。

 

「……どうしてそれを、わたしに教えてくれるんですか?」


 事実だとすれば、歴史と世界を覆す大事件だ。そんな重大な真実を、わたしごときに話す理由はなにか。警戒するわたしに、彼は笑う。


「貴女に委ねようと思ったからです」

「委ねる? ……なにを?」

「私と、この世界の命運を」


 息を呑む。あまりの壮大さに声も出ない。ただ見返すわたしに、やはり面白がるような笑みのままで、相手は自身と水中を示す。


「こうしていれば、いずれ私はじゅうぶんな魔力を取り戻し、完全に復活することができるでしょう。そうなれば瞬く間に軍勢を作り上げ、あらゆる人々を恐怖で支配し、再び〈魔王〉として君臨するかもしれません。……一方で、私を国や騎士団の厳重な監視下において、〈魔王〉の復活を阻止することも可能でしょう。こうして魔力体を動かせるとはいえ、この状態の私は、基本的には無防備ですから」

「それって……」


 ――〈魔王〉の復活。

 その是非をわたしに委ねると言われているのだと理解して、手足が震える。


 それを抑え込もうと両手を強く握り締めると、笑う声音で「恐ろしいですか?」と囁かれた。やけに楽しげなその顔に、わたしはすっと息を吸い込む。


「――恐ろしいとかじゃないですよ! なんでそんな大事なこと、わたしが決めなくちゃいけないんですか! 自分のことくらい自分で決めてくださいよ!」


 予想外だったのか一瞬きょとんとした相手は、それから「そういうところですよ」と屈託なく笑いだす。


「魔王と聞いても畏れもしない。異質な相手でも蔑まない。今またこんな状況で、私を叱り飛ばすなんてありえませんよ」

「そ、それはそっちが魔王らしくないせいですよ! それに、自分の進退ですよ、誰かに委ねるようなことじゃないでしょう!」

「だからどうして、でなくのことを考えるんですか」


 笑い交じりに指摘されて、無意識だった自分を顧みる。


「……だって、世界とか言われても実感がないんですよ。あなたを見逃せば世界が滅びると言われても、理解はできても想像がつかない。……だけど、一日一緒に手を繋いで歩き回った子どもの生死を決めろ、なんて言われたら、いい気はしないじゃないですか」


 世界の存亡なんて遠過ぎるけれど、隣にいる相手の死は、近過ぎるほど近い。


 この場合、厳密には『死』ではないのだろうけど、監視下での半永久的な不自由なんて、それと大差ないようにわたしは思う。そしてそんなものを背負えるほど、わたしは強くも賢くもない。

 そう言うと相手は、「そうですか。そうですね」と紅い双眸を細めて笑った。

 そして、息をつく。


「……貴女と城内を歩き回って、私は、あの男が成し遂げたことを知りました。たかが百年と思っていましたが……されど百年。世界は確かに変わっていた。私が抱えた呪いや怨みも、遠く過ぎ去ったものだと、思い知りました」


 目を伏せる。

 それもたった一瞬で、次にはわたしの目を見据えた。


「最初に出会って、私を受け入れ、そして望みを叶えてくれた。私にとって貴女は、この新しい世界の象徴です。だから、貴女に選んでもらいたい。新たな世に私が不要なら、私はおとなしく、永遠の牢獄で眠ることにしましょう」

「…………」


 お願いします、と微笑まれて、わたしは途方に暮れてしまう。


 ……わたしが? 決めるの?

 〈魔王〉の復活か、この子の自由か? 本当に?


「……正直、一年くらい持ち帰らせていただきたい案件なんですけど」

「それはもはや決める気のない発言ですね。どうぞ今ここで決めてください」


 ぐう、墓穴掘った。一週間くらいにしておけばよかったか。

 バカな現実逃避も笑顔で却下され、さあさあと選択を迫られる。


 ……いや、そりゃあ普通に考えたら、世界平和を取るべきだとは思うよ。だけど、百年で五歳の回復ペースでしょ? ここからさらに魔力を集めて完全復活を目指すなら、それってまだまだ先の話になるんじゃ……。


 そこまで考えたわたしは、覚えた引っ掛かりに「ん?」と首を捻った。「どうかしましたか?」と尋ねてくる相手を見下ろして、虹色の水底に沈む影を見て、それからもう一度、首を捻る。


「……魔王さんはどうして、ちょうど百年がたった今、こうして出てこられるようになったんですかね?」


 突然の問いかけに、相手は怪訝そうにしながらも律儀に答える。


「結界の中で、力を蓄え続けたからですが?」

「ですよね。――でも、そのことを勇者さんたちは、まったく予想していなかったんでしょうか? 魔力を削ぎ落して封じたなら、その魔力を取り戻せば復活してしまうんじゃないかと、欠片も考えなかったんでしょうか?」


 そう考えたのだとしたら、少しずつでも魔力を集められるような今の結界は、おかしいはずだ。本当に魔王を封印したいなら、魔力を完全遮断する結界を張るべきだった。それが無理なら、それこそ初めから国の監視下に置くべきだった。

 けれど――そうしなかった理由があるなら。


「ちょっと思ったんですけどね。もしかして勇者さんたちは、を望んでいたんじゃないでしょうか?」

「こうなること?」

「百年たった世界を見て、魔王さんが『もういいか』と思ってくれないかなって」

「……はあ?」


 心底呆れた顔を晒す相手に、あら珍しいと呑気に思う。

 呑気が過ぎると思われているらしいことは、その顔を見れば嫌でもわかるけれど、なんとなくこの方向性で間違っていない妙な確信があって、わたしはさらに、考え考え、言葉を連ねる。


「百年前の勇者さんって、わたしはご本人を知らないので聞きかじりですけど、なんだかとっても理想主義で、おまけにその理想を形にしちゃうような人だったみたいですね」


 詳細は知らないけど、種族の分け隔てなく平和な世界を作りたい、というような話を魔王相手にしていた節がある。「口先だけだ」と百年前のこの子は相手にしなかったようだけど、たった百年で、その理想は現実のものになっている。

 そんな行動的理想主義者が、倒した魔王をザル封印していたということは、と思うのだ。


「もしかして彼らは、魔王自らが野望を手放すような、そんな世界を作り上げようとしていたんじゃないでしょうか。そんな未来を――あなたに見せようと、していたんじゃないでしょうか」

「……私に? この未来を?」

「それを踏まえて、わたしの答えです」


 そう。これは前座だ。辿り着きたい答えのために、練りに練った屁理屈だ。

 その屁理屈を盾にして、わたしは真っ直ぐ、本心を伝える。


「わたしは、世界もあなたも選べない。だったらこのまま、どちらも一緒に続いていけばいいと思います」

「――? それが、貴女の答えですか?」

 

 紅い双眸が苦そうに歪む。続けて「甘いことを」と吐き捨てられたので、「甘くてもいいじゃないですか」と反論する。


「あなたの呪いや怨みは、もう過去のことだって思ったんでしょう? だったらもう、それでいいじゃないですか。〈魔王〉が必要でないんなら、ヴァルくんとして、新しい世界を楽しめばいいじゃないですか」

「……は? ヴァルとして?」

「そうですよ。だって、百年後の世界だって、まだここの中しか知らないでしょう。ご飯はミノバーガーしか食べてないし、ハンスやカイルさんとしか話していないし、それに〈魔王の書庫ウチ〉の本だって、まだまだ読み終わってないじゃないですか」


 百周年記念式典の翌日から今日まで、閲覧許可を得た上階の蔵書を、この子は飽きずに読み耽っていた。それでもまだまだ、ほんの一部だ。わざわざこちらに掛け合ってまで読みたかった本ならば、ちゃんと最後まで読めばいい。

 そう言うわたしに、相手はついに黙り込んだ。

 そして大きく、息をつく。


「……本当に、甘い人ですね。貴女のような人を生み出す世界を変えるには、相当な労力を要しそうだ」

「たぶん、かなり面倒くさいですよ。もうこのままでいいと思います」

「ふ、そうですね」


 肩を竦めれば、相手も含み笑いを洩らす。そんなやり取りを交わしながら、内心、ほっと息をついた。……どうやらわたしもこの世界も、無事に危機を脱したようだ。屁理屈が通じる相手で、本当によかった。


 安堵とともに、輝く泉に目を落とす。歪んだ水の底に沈む、小さな身体が抱えるものを、わたしが理解し切ることはないだろう。それでも。


 ……いつか水底のあの子にも、自由が訪れますように。


 そんなことを思いながら、虹色の水にそっと触れた時だった。突然、それまでの淡い輝きを数倍にもしたような白い光が、泉の底から湧き上がった。

 驚きの声を上げるより早く、横から手を引き戻される。


「――貴女、なにをしたんですか!」

「な、なにもしてないですよ! ちょっと水を触っただけで……」


 目がくらむような輝きは、数秒のうちに収まった。さらに様子を見るように数秒置いて、ヴァルくんが泉に指先を浸す。元の虹色に戻った水は、揺らぐばかりでなにも変わらない。それでも厳しい表情のまま、紅い瞳がわたしを見る。


「……〈聖紋〉の力が、僅かですが活性化したようです。ユッテ、貴女は本当に、なにをしたんですか?」

「え、冤罪ですよ! 本当に触っただけですって!」


 せっかくの信用を築いたそばから打ち崩す真似を、いったい誰がしようと思うのか。必死の訴えとミジンコ魔力の実績をもって、どうにか冤罪は晴らせたけれど、目の前で起こった現象を解決するすべは見つからない。





 その原因がわかったのは、それからさらに半月後。

 異世界からの召喚者だという数人連れが、〈魔王城モール〉を訪れた時だった。




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