第8話 城内探検その5


 休憩を終えたわたしたちは、前庭を挟んで建つ東館と西館も、軽く見て回った。

 東館は食品関係で、西館はペットや騎獣関係だ。なんとなく並列しては危ない気がする二つだが、挟む前庭が広大なうえに、風向きは南北方向であることが多いため、特に問題なく運営されている。


「そうだ、ちょっと買い物していっていいですか?」


 いくつか必要なものがあったことを思い出して、東館で買い物をする。いつでも来られると言えば来られるのだが、せっかく来たのだし、ついでというやつだ。

 卵や野菜、肉やバターを購入して、マイバッグに詰めていく。サッカー台に両手をついてその様子を見ていたヴァルくんが、怪訝そうに首を傾げる。


「この後ずっと、それを持ち運ぶんですか?」

「ふっふっふ、そんな面倒なことするわけないじゃないですか。ここで登場するのが――これです!」


 ババーン! と取り出したのは〈魔王城モール〉の従業員証。表面に記載された基本情報の他に、魔力と個人情報が登録されたここでの身分証明書だ。


「これをサービスカウンターに提示すれば、一日三便、敷地内の独身寮まで届けてくれるんですよ!」


 しかも雪と氷の妖精ジャック・オ・フロストとその眷属がしっかり働いてくれるので、生鮮食品でも安心してお任せできる。特に夏場は重宝する従業員特典なのだ。これがなければ、この広大な敷地で買い物なんてしていられない。

 解説しながら手続きをすませて、来た時と同じ荷物だけで東館を後にする。この気軽さがありがたい。


「独身寮というのは、どこにあるんですか?」

「北館裏の、城壁沿いですね。昔は下働きの人たちが住んでた建物だって、寮長に聞いたことがありますけど」


 だから寮と北館、本館は、地下通路でつながっているのだ。雨が降っても槍が降っても、まったく問題なく出勤できる。実に便利。

 ヴァルくんは「なるほど」と納得したように頷く。


「本当に、余すことなく再利用していますねえ」

「すごいですよねえ。……ああでも、さっきの霊泉じゃないですけど、やっぱり簡単には出入りできなくて、安全管理のために封印されている場所もあるそうですよ」


 いわゆる〈開かずの扉〉というやつだ。いち従業員で、自分も特に興味がなかったわたしは把握していないが、その数も一つや二つではないらしい。

 ヴァルくんは少し俯いて、笑って「でしょうね」と呟いた。


 ……これはアレだな。心当たりがあるやつだな。


 一日過ごして、なんとなくわかってきた。しかし『好奇心は猫の王グリマルキンをも殺す』だ。必要がないことには、あまり首を突っ込まないでおこう。今更かもしれないけど。

 当たり障りのない会話をのんびりしながら、今日の最後に北館へと戻る。


「四階は、魔王さんの私室だったんですよね?」


 小さな足取りに合わせてゆっくり階段を上りながら、これから向かう場所について尋ねてみる。視線を下に向けたまま、ヴァルくんは「ええ」と答えてくれた。


「後世の人々が、あまりの豪華絢爛さにそのまま保存したくなるほど、美しく壮麗で禍々しい魔王の部屋ですよ」

「……さてはヴァルくん、不機嫌ですね?」

「……上るのが面倒になってきました。なぜこの階段は、こうも段差が大きいんですか」


 苛立ちを隠しもしない子どもに「魔王さんがそう作ったからですよ」と返すと、じっとりと睨み上げられる。いや睨まれても。事実だし。

 わたしは難なく上がれる階段でも、子どもの身長では高すぎるらしい。見れば確かに、一段がヴァルくんの膝下まであり、かなり脚を上げなくては上れないようだ。


 ……仕方ないなあ。


「ヴァルくん。ちょっとこっち向いてください」

「なんです……え、ちょ、な、なんですか!」

「ほら、じっとして」


 騒ぐヴァルくんには構わずに、よっこいしょっと抱き上げる。おや、思ったよりも軽い。……というかこれは、軽すぎるのでは。五歳児くらいだと思うのだけど、覚悟していた重量の、半分くらいしかない気がする。


「ぐ……屈辱です……」

「はいはい、わたしの上で自害とかはしないでくださいね。……時にヴァルくん。きみの種族って人間ですか?」

「は?」

「いやあ、人間換算だとずいぶん体重が軽いなと思いまして。あとそれから、体温も結構、低めですよね?」


 子ども特有の、あの高すぎる体温をしていないことは、玄関ホールで手を繋いだ時から気付いていた。ひやりと冷たい肌は冬の朝を思い出すようで、正直に言って、生きている人間のものとは思えない。

 不死アンデッドの仲間、あるいは変温動物系の種族だろうか。


「別に、きみの個人情報を追求したいわけじゃないんですけど。もしも体調不良とかで後々なにかあったら、わたしとしても寝覚めが悪いので」

「…………。別に体調不良ではないので、お気遣いなく」

「なるほど、了解しました。お気遣いやめます」


 それならいいか、と階段を上る。特に問題のない重量と体温なら、むしろこうして最上階を目指すにあたって、とてもありがたい状態なのだ。普通の五歳児を抱えて上るなんて、考えただけで汗が噴き出す。

 ひんやり軽い子ども連れの道中は、あっという間に終わってしまう。


「はい、到着しましたよ。魔王さんの私室です」


 ヴァルくんを下ろして報告する。

 働き始めの頃に一度は来ているから、その表現がだと、わたしはわかっていたけれど。


 北館四階、魔王の私室は、殺風景なほど落ち着いた部屋だった。どっしりとしたテーブルや飾り棚、本棚などはあるけれど、どれも華美な装飾は一切なく、ただ木目だけが美しい。足元の絨毯やソファーの布地、カーテンまで、主張のない色遣いが徹底されている。

 入口に佇み、室内を眺める横顔に、そっと声をかけてみる。


「ご記憶にある通りですか?」

「……そうですね。比較的」


 そう頷いたヴァルくんは、わたしの手を引いて歩き出す。

 例によって例の如く、解説兼警備のお兄さんが目を光らせているので、至極真面目な見学しかできない。張られた規制ロープの外側から調度品や絵画を見て回るけれど、もともとが殺風景な部屋だ、それもすぐに終えてしまう。


「塔にも上がれますよ。室内には入れませんけど」


 魔王の私室には、四隅と北側に塔への扉がついている。とはいえ、見学できるのは南西の〈夕焼けの塔〉と北の〈常闇の塔〉だけで、あとは安全確保と歴史的保存のために閉鎖されている。さっき話していた〈開かずの扉〉の一例だ。


 塔の中は、石造りの螺旋階段を少し上った先が部屋になっている。

 〈夕焼けの塔〉の部屋は、雑多な研究室のような雰囲気をしていた。解説プレートによると、ここでは錬金術や魔術の研究が行われていたらしい。こっそり「本当ですか?」と尋ねると、ぺたぺたと扉脇の壁を触っていたヴァルくんから「本当ですよ」と返ってきた。本当らしい。

 次にやってきた〈常闇の塔〉は、なんと魔王の寝室だ。他の四塔よりも広めの室内に、天蓋付きの巨大なベッドが据えられている。サイズばかりは規格外だけれど、ここもまた、豪華絢爛には程遠い印象だ。


「こんな大きいベッド、羨ましいですよね。でも魔王さん、一人でこんなベッドに寝てて、寂しくなかったんですかね」

「権力も財力もある統治者ですよ、一人寝とは限らないでしょう」

「えっ、魔王さんって妻帯者だったんですか? それとも愛妾? とっかえひっかえ?」

「さて、コメントは差し控えますが。……よし」


 さっきからずっと、会話の傍らでぺたぺたと石壁を触っていたヴァルくんが、不意に頷いて顔を上げる。なにかと思うと「いけそうですね」と呟いて、片手の指先で絵を描くように、石壁の表面を素早く撫でた。


「――護るもの。阻むもの。主の名のもとに開放を命じる」


 たったそれだけの短い命令。次の瞬間、円形の塔の内壁に、ぐるりと青白い光の文字列が浮かび上がった。尋常ではない光景に、心臓が口から飛び出しかける。


「な、な、なにしたんですか!? これ!?」

「ここの守護魔法を乗っ取っただけですよ。書庫より薄い護りでしたから、さほどの危険も手間もありません」


 なんてことないように言ってのけたヴァルくんは、わたしの手を握り直して、「さあ、行きましょうか」と足を踏み出す。


「ま、待ってください! 行くって言ったって、どこに……!」


 見渡す部屋には、大きなベッドと書き物机、書棚と飾り棚があるだけだ。魔王城の最上階、行き止まりの場所のはずなのに。

 振り向いた子どもは、自由なほうの人差し指を唇に添え、にっこりと笑う。


「城内探検の最終盤です。――魔王城の秘密、知りたくはないですか?」

「えっ……!」


 思わぬ言葉に目を瞬くと、相手はさらに笑みを広げる――まるで、不意に現れた深みを前に、その淵を覗き込みたい衝動に駆られたわたしを見透かしたように。


 ……好奇心は猫の王グリマルキンをも殺す。


 猫の王でもそうなのなら、わたしがそうなっても、無理もないかもしれない。

 軽く引かれた手の先へ、わたしは、ついに足を踏み入れてしまった。




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