第5話 城内探検その2


「ふーどこーと、ってなんですか?」

「フードコートっていうのは……そうですね、食べ物の屋台が集まった広場みたいな感じですね」


 百年前、異世界から来た勇者がもたらした文化や技術によって、この世界は大きく変化した。らしい。

 それまでなかった物が生まれ、それまでなかった仕組みが生まれた。それまでにあった文化や技術も、異世界のものと融合して、また新しい形に進化した。


 そうした世界で生まれ育ったわたしが知っていることも、自称・魔王さまなこの子どもは、その自称の通り、まるで百年眠っていたかのようになにも知らなかった。これくらいの年齢の子どもが知っていることでも、まったくなにも。


 ……これだけ知らなかったら、そりゃ案内も必要になるかも。


 自信満々に城主だと名乗るくせに、どうして案内役がいるのかと思っていたのだ。一般常識のレベルでこれだけズレがあるのなら、それも、仕方がないのかもしれない。いちいち考えてたら、頭になにも入らないもんね。


 〈魔王城モール〉のフードコートは、本館一階にある。謁見の間のちょうど真下になるそこは、かつては大ホールとして宴席や軍議に使われていたらしい。

 今のそこには十店前後の食べ物屋台がぐるりと並び、空いた内側のスペースに、簡単なテーブル席が所狭しと据えられている。平日とはいえ昼時の今は、半分くらいの席が埋まっていた。


「なに食べますか? ここのものなら、なんでもおごりますよ」


 この子どもが無一文だということは、すでに聞いて知っている。だからこそここまでやって来たのだ。ここなら二人分でも、たかが知れている。

 きょろきょろと興味深そうに歩き回る子どもを見張りつつ、フードコートを一周する。全国チェーンのハンバーガーショップや、地獄の辛さの担々麺。永久凍土コキュートスアイスもあるし、養殖植物羊バロメッツのステーキハウスには、ちょっとした行列ができている。人気だよね。


 そうしてうろついた結果、二人そろって〈ミノタウロス印のハンバーガー〉にすることになった。自称・魔王さまは、パテが二倍のダブルミノバーガー。わたしは、チーズが入ったチーズミノバーガーだ。セットでポテトと飲み物も頼む。


「……そういえば、物凄く今更だとは思うんですけど」


 バーガーセットのトレイを手に、空いた座席のひとつに座る。

 物珍しそうに目を丸くしながら、わたしを真似てバーガーにかぶりついている黒髪の子どもに、わたしはタイミングを計りながら話しかけた。


「わたし、きみのこと、なんて呼べばいいんでしょうか?」


 今「きみ」なんて呼んでいるのさえ、本当にそれでいいのか躊躇いがある。

 相手の主張を丸呑みしたわけじゃないけれど、普通の子どもらしくないのは事実なのだ。それを「きみ」扱いするのは、どうにも複雑な感じがする。できれば別の、普通の呼びかけ名称がほしい。

 もぐもぐと口の中のものを飲み込んだ相手は、興味がなさそうに鼻を鳴らす。


「なんでもいいですよ、名前なんて」

「えっ、なんでもいいんですか? なんでもいいんなら、ミノバーガーから取って、ミノくんって呼びますよ」

「陛下と呼びなさい。そのほうが余程マシだ」


 じとりと睨まれるけれど、そこは怯まず畳みかける。


「マシってことは、陛下呼びも好ましくはないんでしょう。だったらちゃんと呼び名を決めて、教えてくださいよ。じゃないと本当に、ミノくんにしますよ」


 しばしわたしを睨みつけながらも、やがて諦めに至ったらしい。相手は大きく息をついて、上げた指先で、空中にひとつの文字を書いた。


「……『V』で始まる、ありふれた名前と言えば?」

「え? えーと、……ヴァレンタインとか? 略称のヴァルはよく聞きますよ」

「ではそれが私の呼び名です」


 あっさりと決めて、再びダブルミノバーガーにかぶりつく子ども……改め、ヴァレンタインくん。……いや長いでしょ。ヴァルくん一択だね。


 完全に偽名になってしまったけど、まあ、呼びやすいからこれでいいか。

 とりあえず目先の問題は解決したので、わたしも食事に戻ることにする。

 フライドポテトをかじりながら、ついでにひとつ言っておく。


「それじゃあ、ヴァルくん」

「なんですか、ユッテおねえさん」

「ヴァルくんから見て右のほっぺたに、ケチャップがついてますよ」

「…………」


 子どもの口でかぶりつけば、そりゃあそういう惨事も起こる。

 とても嫌そうな顔をして、ヴァルくんは紙ナプキンで頬を拭う。その流ればかりは実に子どもらしいものだけど、いちいち動作が洗練されていて、やっぱり普通の子どもではないみたいだと思ってしまう。


 ……もしも本当に、この子どもが、復活した魔王なのだとしたら。


 善良な一市民としてすべきことは、当然、公的機関への通報である。

 魔王の復活は、どう考えても世界の危機。それを見過ごして魔の領域を活性化させるようなことになったら、百年の平和は、脆くも儚く崩れ去るだろう。

 世界を守るためには、聖騎士団、ないしは共和国軍に出動を要請して、いち早く対処してもらうべきだ。


 ――とも、思うのだけど。


「……やっぱりフードコートここは、平日に来るのが一番ですね」

「おやすみのひには、なにかあるんですか?」


 子連れの夫婦が近くに座り、ヴァルくんの口調が幼児仕様になる。実に自然。

 もはやなにも気にせずに、わたしも紅茶を飲みながら応じる。


「休みの日は、やっぱり人が多いですからね。席がなくなったりもしますし、なにより、そういう時は本当にうるさくて」

「ユッテおねえさんは、うるさいのがきらいですか?」

「嫌いですね。……だから子どもも嫌いです」


 同じ理由で、この自称魔王の存在を公にしたくないとも思ってしまう。


 真偽のほどはともかくとして、周りに知れれば、きっと騒ぎになるだろう。経緯をすべて話してしまえば、我らが〈魔王の書庫〉までも、騎士団や捜査官といった部外者に踏み荒らされる可能性が高いだろう。

 そのすべてが面倒くさいし、忌避すべきだと思ってしまう。


「ぼくのことも、きらいですか?」


 ……大きな瞳をきらきらさせて、可愛らしく小首を傾げて見上げてくるこの小さな生き物が、数々の凶悪な伝説に彩られた魔王だとは、とても思えないのだけど。

 わたしはにっこり笑って答える。


「嫌いですよ。どちらかというと、裏表の激しさのほうが要因ですが」


 わたしが大事なのは、自分の日々の平穏だ。それさえ過度に侵してこないなら、媚びと嘲りを使い回す妙な子どものことなんて、正直どうでもいい。

 この子が本当に魔王でも、平和なうちは、それでいい。


「さ、食べ終わったら、今度は本館を案内しますよ。お店がたくさん入っていて、結構、面白いところですからね」


 ヴァルくんは小さく肩を竦め、残りのバーガーを平らげた。




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