第6話 城内探検その3


 さて。


 〈魔王城モール〉の本館は、二階建ての重厚な建物だ。もともとが要塞城ということもあって、暗い灰色の石造りで、物見の塔がいくつも飛び出している。

 そのうちの二つ、正面玄関の両脇についた双塔ツインタワーは、かつて兵士の詰め所だったほうが警備室に、来客の応接室だったほうがインフォメーションカウンターになっている。一、二階にそれぞれ繋がる塔の構造が、どちらにとっても便利らしい。双塔前の玄関ホールには、いつも人がごった返している。


 フードコートを後にして、そんな玄関ホールを横切ろうとしたところで、不意に声をかけられた。


「おっ、ユッテ。珍しいな、休みに出てくるなんて」


 覚えのある声に見回すと、警備室前に顔見知りが立っていた。

 ちょっと毛深い人間の身体に、ちょっと人間っぽい狼の頭がついた、獣人ライカンスロープの警備兵。カイルさんだ。


「おはようございます、カイルさん」

「おう、はよ。……で、どうしたんだ? 『連休明けなんて誰の顔も見たくないから部屋に引きこもる』んじゃなかったのか?」

「あはは……そうするつもりだったんですけどね」


 世間が長期休暇に入るたび、ぼやいていた自分の宣言を、わたしだって忘れたわけじゃない。本当は今すぐにだって、自室に戻って耳を塞いで目を閉じて、連休中の諸々の厄介事を抹消する作業に没頭したいけど。


「ちょっと、知り合いの子を案内してあげなくちゃいけなくなって」

「知り合いの子?」

「そうなんですよ。家族旅行に来たらしいんですけど、親御さんが船旅でダウンしちゃったらしくって。今日一日だけ、預かってるんです」


 とりあえず、誰かに聞かれたらそういうことにしようと決めてあった設定で、その場をさらりと乗り越える。

 ……つもりが、カイルさんは怪訝そうに辺りを見回した。


「その子、どこにいるんだ?」

「え?」


 足元を見る。いない。振り返る。……いない。慌てて雑踏の中に目を凝らして、ようやく、豚頭人オークの団体さまに阻まれて身動きが取れなくなっている黒髪の子どもを発見した。えっ、潰されてない? 大丈夫?


「ヴァ、ヴァルくん! 大丈夫ですか?」


 団体さまに謝りながらなんとか救出すると、ヴァルくんは、意外としっかりした様子で、しかしうんざりし切ったように頭を抱えた。


「……なんなんですか。なんで豚頭人までいるんですか、あんな集団で」

「なんでって……珍しくはないですよ。ツアー旅行の人たちは、種族ごとで来ることも多いですから。それより、怪我とかしてないですか?」


 うっかり骨折していても、この子どもは自分から言わない気がして追及する。それにもうんざりした顔のままで「大丈夫ですよ」と応じられて、それでも続けてもう少し観察して、ようやく本当に大丈夫そうだと納得する。


 ……ああ、ヒヤッとした。子ども一人踏み潰しても、豚頭人あのひとたち気付かなさそうなんだもん。さすがに負傷は放置できないし。


 ほっと胸を撫で下ろしたそこに、カイルさんもやってくる。


「その子か? ユッテ」

「そうです。すみません、ご心配おかけして」

「それはいいがな。見つかったのもよかったが、お前、保護者なら目を離すなよ。迷子嫌いが、迷子を作るような真似するな」

「うっ……す、すみません」


 カイルさんの言葉が耳に痛い。まさしくその通りだ。


「目ぇ離すんなら、手ぇ繋いでろ。子どもなんて、ちょっと油断したら、どうなってるかわかんねえんだぞ。……俺もそれで、何べんカミさんに怒られたか」

「……一時期、常連さんだったんですよね。迷子呼び出しの」


 五児の父親でもあるカイルさんの苦労は、城内でも語り草になっている。子ども五人が同時に雲隠れし、全員がそれぞれ別の場所から見つかったなんて経験をしているのは、ここではこの人くらいだろう。しかもそのうち二人は、従業員以外立ち入り禁止の北館地下室にいたらしいし。隠密度が高い。


 ……そこまでのことは、ないだろうけど。


「それじゃあ……手、繋ぎましょうか?」


 さっきみたいな事態を回避するためと思えば、確かに合理的なのだろう。

 わたしが差し出した手のひらを、ヴァルくんは少し凝視する。信じられないものを見るような目だ。その視線がなんとも居心地悪く、わたしは少し後ずさる。


「嫌ならいいんですよ。手を繋げないなら、わたしがしっかり、ヴァルくんから目を離さなければいいだけですし……」

「いやだなんていってないでしょう」


 やっぱりなかったことにしよう、と引っ込めかけた手を取られて、そのまま強く引っ張られる。

 ぎゅ、と握られた手の小ささと温度に、わたしは目を瞬いた。


「しかたがないですね。ユッテおねえさんがおこられたら、かわいそうですから」

「……生意気なことを」


 澄まし顔のほっぺたをつまんでやろうかと思ったけれど、それより早く、ヴァルくんの黒髪を、カイルさんが乱雑に撫でまわす。


「そうだぞ坊主。この姉ちゃんも、大概ボケッとしてるからな。坊主がしっかりしてやるんだぞ」

「ちょっと、カイルさんまでひどいですよ」


 やたら得意げに「まかせてください」なんて頷くヴァルくんを横目に、猛抗議する。こんな子どもに頼まないといけないほど、わたしはボケッとはしていない。

 しかしカイルさんは悪びれる様子もなく、少し声を潜めて「そういうことにしとけ」なんて言ってくる。意味がわからず顔を顰めると、おかしそうに笑って「それじゃあな」と片手を上げた。


「俺は、城内の平和を守る仕事に戻る。坊主はこの姉ちゃんを守りながら、魔王城の秘密を探ってこい。難しい任務だぞ、頑張れよ」

「はい! カイルさんも、おしごとがんばってください!」


 しっかり頷き、自由なほうの手を振り返すヴァルくんに目を細め、カイルさんは警備の仕事に戻っていく。

 その背を最後まで見送らずに、握った片手をぎゅっと引かれた。


「さて、それじゃあ行きましょうか? 魔王城の秘密を探りに」

「……秘密、探っちゃっていいんですか?」

「安心してください。途中でなにか危険があっても、ボケッとしてるお姉さんのことは、ちゃんと守ってあげますよ」

「いちいち腹が立つ言い方ですねえ」


 嫌な顔で見下ろすと、至極楽しそうに含み笑いされる。幼いながら顔立ちが整っている分、一瞬でも可愛く見えてしまうから始末が悪い。中身は可愛くもなんともないのに。


 ……ああもう、ダメだダメだ。年長者らしく、シャキッとしよう!


「ボケッとしてない証明に、きちっと案内しますからね。――さあ、行きますよ。本館東棟一階は、冒険者用品と簡易合成屋。二階は男性ファッションやファッション雑貨の店。西棟一階の半分と二階すべてが女性ファッションで、一階のもう半分は、日用雑貨とお土産屋です」


 玄関ホールから見える、上下左右、四ヶ所の通路を指差しながら、流れるように説明する。ちなみに本館のテナントは、東西各階に八店舗ずつの、合計三十二店舗だ。食品と動物関係は別館になるので、それ以外がみっちり入っている。


「さあヴァルくん、どこから回りますか?」


 そう選択をゆだねると、ヴァルくんは無垢な表情で小首を傾げる。


「冒険者用品が、まだずいぶんと幅を利かせているのですね。世界の敵たる魔王私の討伐から、百年の時がたっているはずですが」

「世界の敵がいなくても、冒険をするのが冒険者ですからね。興味があるなら、そこから回りましょうか?」

「ええ、そうですね。衣服や雑貨よりは興味があります」


 こくん、と頷くヴァルくんの手を引いて、雑踏の中を歩き出す。


 ……そうして並んで歩いて初めて、子どもの歩幅が、思ったよりも小さいことに気がついた。


 別に、急ぐ用事があるわけでもなし。

 わたしは少し歩調を緩めて、辺りの賑やかさを楽しむことにした。




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