第2章 凍てつく心

ー・・・と申しますのは・・

ー主人の事業を巡っていろいろとトラブルがありまして、でも万が一、万が一、それが原因であるなら、息子は何も関係ないんで、どうか、どうか息子の命だけは助けてあげて欲しいー

尚代は懇願するようにモザイクがかかった画面を通していった。


「なんか主人の事業のトラブルってコンビナートの反対運動のことだろうよ」勤三はいつのまにか団子を食べながらいった。

「おじちゃん、知ってるの?」

「誘拐されたのクラタ工業の息子さんよっ!」

「えっ?家から工場が見えるけれど」

「コンビナートを拡大しようとしているけれど、環境が損なわれるっていう理由でいろいろ問題になっているよ」

「恨みを買ったのかな?」みずほませた子供のように詮索するようにいった。

「そりゃ、恨みを買ってるだろうよ」

「どーして?」みずほはすかさず聞き返した。

「どーして?ってそんな大人の事情を知ってどうするの?」

「知らないよりは知っていた方がいいじゃない?大人たちが都合のよいことばかりを教えることを鵜呑みを信じるなんて、やだよ。真実が捏造されていることなんてよくあることだよね」みずほは少しドヤ顔でいった。

「随分、大人じみているじゃないか?」勤三は目を細めていった。

「こうみえても毎月5冊は本を読む読書家だからね」

「たった5冊で読書家とはいわねぇよ。まぁ、恨みを買うっていってもよぉ、いろいろある訳よ。ああいう環境を汚染してしまうと、よく公害なんて言葉があるけれどよぉ、それで犠牲になってしまう人だっているんだし、よくそういう所の影響で、病気や障害をもって生まれてくる子供が出てきたり、いろいろあるんだよ。だからよくない訳だけれど、企業は利益を追求するためなら、多少のリスクを背負ってでもやりたいというのが本心さ」

「ふーん。利益追求なんてやめてしまえばいいのにね」

「そんなこといったら世の中は社会主義になってしまうだろう。それはそれでいろいろ問題が出てくるのよ。子供にはわからないだろう」勤三は鼻にかけるようにみずほを上から見下すようにいった。

「反対派の人の仕業かなぁ?」

「さぁな。そんなことしてもプラスにはなるような気がしないけれど、でも何かありそうだよな。よりによってこの時期にあそこの社長の坊やなんてさ、何かおかしいよな」勤三は推理するようにいった。

「大人の事情ってヤツですかね」みずほは端的にまとめた。

「100パーセントそうだとはかぎらんぞ。頭が可笑しいヤツかもしれないしな・・・」

「・・・」


「あの夏の甲子園を昨日のことのように思い出すんだ」添田は薄暗い公衆電話から身を潜めるように俯きながら低い声でいった。

「一体いつの話をしているだよ」暢三は少し呆れるようにいった。

「俺の心はあの夏の甲子園の時のままだよ。ずっと友情を信じていたんだ。あの時と同じ気持ちでお前といたんだ。こんな皮肉なことが起きるなんて、なんでこんな風に変わってしまうだ?何がそんなにお前を変えてしまったんだ?」

添田は泣きそうになりながらいった。目の前のテーブルの隅に白黒の高校球児の写真が並んで写っていた。

「大人になればいつまでも青春のままではいられないんだよ。利害が絡んでくるんだよ」

「だからって俺に責任をみんな押し付けたのか?子供が工場に進入して亡くなった事故を隠蔽したのはみんな俺の指図だと?有害物質で爆発して作業員が亡くなって隠蔽したのは俺だっていうのか?んな訳ないだろ!みんなお前の指図だろ?濡れ衣を着せておいて横領したとか訳のわからない罪で懲戒解雇して、裁判だけを俺に押しつけて来やがって!!会社の不利益を俺に押し付けて、それでも会社を大きくしたいのか?お前はいつからそんな暴君になったのか?ええっ!お前は人の形をした悪魔だっ!

俺はそんな汚い後処理を受け入れてた理由がわかるか?そんなもの超えてお前を人生で最大の親友だと思っていたからなんだよ。それでも親友だって思っていたんだよ」添田は酒瓶を強く握りしめながら、泣き出した。

「わかった。俺もお前を守るから。どんなことがあっても守るからせめてお前の居場所だけでいい。教えてくれ。おまえの苦しみを深く理解する。だから教えてくれ。警察には言わない。もう、お前を苦しめたりはしない」暢三は添田の心に寄り添うようにいった。

「秘密基地さ。ささやかな秘密基地さ。キツイ、練習をさぼって逃げ込んだ、近所のばぁさんの家さ。よく豚汁を貰ったな。ここの婆さん5年前に亡くなって、お前に頼まれて弔辞を送ったよ。よく世話になった。もうボロボロだよ。懐かしいよ」添田は微笑みを浮かべながらいった。

「わかった。今からいくよ。変な気を起こさずにそこにいろよ」

「あぁ・・」

「もう悩むな。全てを保障するから」

「あぁ、昔のお前に戻ってこい。待っているよ。おっ、ここの小屋には<太陽と僕ら>のポスターが貼っているよ。この映画40年以上前の映画だ。お前と一緒に見に行った映画じゃないか?懐かしいなぁ」添田は陽気な声でいった。

「今からいく。俺一人で向かう」

「当たり前だ!待っているよ!」そういうと添田は電話を切った。

暢三は電話を切ると机を睨みつけた。

(やはり、犯人はあいつか?)

暢三は大嶋に電話をかけると、すぐに大嶋は電話にでた。

「あいつの居場所がわかった。今からお前も一緒に行くぞ。何を考えているかわからないキチガイみたいなヤツで危険だ。お前も行くぞ。あと警察にも伝えろ!!」

「かしこまりました!」

暢三は電話を切ると、緊張と憎悪で宙を睨みつけた。暢三の書斎のクローゼットの上には悠人と二人で写っている写真が立てかけられていた。

みずほは絵里の家に向かう途中だった。トコトコ歩いていると、電信柱にも誘拐事件のポスターが貼っていた。

みずほは立ち止まってそのポスターを眺めていると、ポスターの蔵田悠人はリュックサックを背負って指でマルを作っていた。

(嬉しいことがあると、指でマルを作るくせがあると、いっていたがこの写真を撮ったときは何か嬉しいことでもあったんだろうか?)そんなことを考えながら歩いていた時、みずほの脳裏に突如、となりの家の少年の顔が浮かんで来た。

(窓越しに小さなマルを作っていた・・たしか、小さなマルだったような・・)みずほの足はぴたっと止まった。金縛りにあったように身体が動かなくなった。

(まさか、まさか、隣にいるあの子が・・・)みずほは凍りついた。真夏の太陽が照りつけているので足がガクガク、ブルブル震えていた。みずほを不審そうにみていた男の顔を思い出していた。

ー嬉しいことがあると手でマルをつくるくせがあるんですー

みずほに向けられた下から必死に見えるようにマルを作っていたこないだの何気ない光景を思い出していた。

ー僕は君にほんの少しでも視界に止まってくれたことが嬉しかった。話もしたことのない、会ったこともなく、ほんの少しだけ目があっただけなのに、無性に嬉しかった。その理由はわからなかった。すごく苦しかったのに、君の顔をみていると、その苦しみが不思議なほど消えていく。だからただ、嬉しかった・・・ー

みずほは時間が止まったように、街のの流れが止まったように、何より心臓が止まったように、フリーズした。本当に凍りつくというのは真夏の太陽さえもどうすることも出来ない。

みずほはもっていた手作りクッキーが入った包装紙を落とした。落としたことも気がつかぬまま、一心不乱に走りだした。





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