第1章 午前10時の少年
「身代金の要求はまだきていないようだ」蔵田は妻の尚代にいった。尚代はカーディガンを着て、病弱な血色の悪そうな顔で、目の下にはどす黒いクマができ、今にも崩れ堕ちそうなほど憔悴していた。
「なんで、どうしてうちの子がこんな目に合わなきゃいけないの。言いたいことがあるなら、私たちに直接いえばいいじゃない。子供には罪はないのに・・・」尚代の目から涙がポロポロが溢れ堕ちた。
「これは脅しなのか?子供を盾にとった脅しなのか?卑劣な奴らだ」蔵田は受話器を叩いた。
「悠人、今、どこで何をしているの?お腹空いていないかしら?」
「大嶋ー!来い!」蔵田の叫び声に、階段を駆け上がる足が部屋の前に止まると大嶋がドアを開けた。
「はい!」
「警察にいって必ず犯人を捕まえるようハッパかけろ!なんなら懸賞金をかけてもいい。一刻を争う。息子を誘拐した男を警察と探偵両方使ってもいい。探し出せっ!」
「はいっ!」大嶋は礼儀正しく頷くと部屋を出て行こうとした。
「大嶋っ!」蔵田の呼びかけに大嶋は思わず立ち止まった。
「はい」
「添田に連絡してくれないか?」
「あっ、は、はい」大嶋は戸惑いながらもうなづいた。
「息子の居場所を知っているかもしれない。私からは連絡はできん。わかるだろ?」
「か、かしこまりました。あたってみます」大嶋はそういうとお辞儀をして部屋を後にした。
大嶋は蔵田の部屋を後にすると蔵田家を警察の元に向かう為に車に乗り込むと携帯で添田満成のアドレスを探すと、深くため息をついて、発信ボタンを押した。
<プルルー、プルルー、プルルー、プルルー、プルルー、プルルー、プルルー、プルルー>大嶋が電話を切ろうとした時、無音に変わった。大嶋は違和感を感じて電話を耳に近づけると無言だった。
「もしもし・・」大嶋は警戒しながらいった。
「・・・もしもし」とても低い声で陰険な感じのねっとりした話し方で添田は返答した。
「どーも」大嶋はぶっきらぼうにいった。
「・・・その節は。何のようです?」
「社長のお子様が行方不明になっている。あの警戒心が強くて全然私に懐かないあの子があなたを実の父親のように慕っていた。あなた何か知っているんじゃないかなぁって思って電話してみたんですよ。御存知ないですか?」大嶋のどこか上から目線の問いかけに添田は一瞬黙っていた。
「・・・さぁ、わかりません」
「何か知ってそうな気がするんですよ。あの子も小学4年生で体格もそこそこいい。簡単に誘拐される子ではない。人見知りのあの子が知らない人のクルマにのこのこついていくようなそんな子じゃないでしょう」大嶋はつっけんどんにいった。
「知らないですよ」添田は語気を強めていった。
「本当ですか?」
「随分、ひどい言い方じゃないですか?それに失礼だっ!!」
「フンッ。失礼なのはどっちだよ。添田さん、社長を恨むのは筋違いですからね」大嶋は嘲笑うようにいった。
「恨んでなんかいないですよ。まるで私が犯人だと決めつけるあなたに腹わたが煮えくりかえります」添田は冷静に反撃した。
「私はあなたが大嫌いでした。そして、あなたがどうしようもなく鬱陶しかった。あなたがいるからわたしは偉くなれないと思った。それは事実だ。でもあなたが本当は社長のことが気にくわなくて下剋上を企んでいたのも社長は知っていた。だから先に手を打ったまでだ」大嶋はまくし立てるように言った。
「言いがかりはつけるなっ!」
「おまえは社長の息子を手玉にとって
会社の情報をとろうとした。一番、下衆だと思わないか?」
「私はおまえ達に一生を台無しにされたんだー!!卑劣なお前たちは俺に濡れ衣を着せられたんだっ!」
「確かにあなたは理不尽なことだと思いますが、あなただって会社を乗っ取ろうとした。身の程知らずでしょう。社長があなたが路頭に迷っていた時、手を差し伸べてあげたというのに、恩を仇で返すようなことをするなんて、社長からしたら飼い犬に手を噛まれたようなものでしょう。ふふっ」大嶋は鼻で嘲笑うようにいった。
「おまえは随分にあいつに洗脳されていて、醜い奴になったな。人を金やモノぐらいにしかみていないあいつのシモベになったか」
「だってビジネスだろう?」大嶋は冷淡に突き放すようにいった。
「おまえはたしかどっかの女と結婚したとき、会社と会社の合併でビジネスの一つだといったな。お前もあいつと一緒にいるうちに毒されているんだな。変わったよな」添田は軽蔑な声で言い放った。
「あなたは何なのですか?そんなことを議論するために話しているんじゃない」大嶋はめんどくさそうにいった。
「あいつはいつも俺を見下していた。同級生だったのによー。親友だったのに。あいつと二人三脚でやってきたのに。あいつには人間の情なんてないのか?えぇ?血も涙もないだろう」添田はやりきれない思いを噛み殺すように涙声でいった。
「そんな友情だなんて、社会にでたら関係ない。友情の延長線上にビジネスがあるなんてありゃしないよ」大嶋は冷たく言い放った。
「金と地位はいつしかあいつの心を変えてしまった。それは最後な俺はあいつに売られてしまった訳か」
「そんなことより、もし社長の息子に心あたりあったり、居場所がわかったら連絡くれ。謝礼金ならいくらでもだすよ」
「ふん、金か・・。俺は一体何なのだ?」添田は自嘲ぎみに薄気味悪い笑いを浮かべながらいった。大嶋はめんどくさくなり、電話をきった。電話を切ったあとは大嶋は平静を保つように深呼吸した。大嶋は悪い邪気を払いのけるかのようにかぶりを振った。気持ちを整えると車のアクセルを振った。
ー金と地位はいつしかあいつの心を変えてしまったー
ー同級生だったのによ、親友だったのによー添島の言葉が耳の奥でこだました。
ー最後は金で売られた訳かー
大嶋の胸の中に否が応でも迫ってくる思いが強くなってきて、車の急ブレーキを踏んだ。大嶋はいっとき頭を無にして下を向きながら考える仕草をして頭を上げると意をけしたように車をバックして、元きた道を引き返した。
添田は公園のベンチでジャンパーをきて携帯を恨めしそうにみつめていた。
今日はいつもより寒くてコートを立てて身を潜めた。添田は煙草に火をつけると震える手で煙草を吸っていた。通りには自転車に子供を乗せた母子が走っていく姿を添田は遠巻きに身をひそめるようにみつめていた。添田はよろよろと立ち上がると歩きだそうとしたとき、ベンチに置いた新聞をいっとき目をくれたが新聞を公園のゴミ箱に叩きつけるように投げ捨てると公園を後にした。叩きつけるように投げ捨てられた新聞は黄色ばんでいた。そこに写っている甲子園にでていた頃の若かりし頃の蔵田暢三と添田満成が肩を並べて眩しい笑顔で写っていた。
大嶋は車を引き返すと添田の家の前に車を止めた。車を出ると大嶋は添田が住んでいる家のドアのインターホンを押した。ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン。大嶋はインターホンを連打した。
「添田さーん、添田さーん。誰かいませんか?」大嶋は家から少し離れてみたけれど、家は暗くて、人がいる気配はなかった。
みずほ今日もラジオ体操を終えるとすぐに家に帰った。手を洗い、二階に上がろうとした時、少し気になって階段をおりて窓ガラスのカーテンを開けて隣家の窓ガラスをのぞいた。
窓ガラスの半分カーテンを開けた所から今日も少年の顔が浮かび上がっていた。みずほは思わずその顔にまるで金縛りにあったように思わず立ち止まって見つめた。
よく見ると、気のせいなのかその少年の顔はどこか疲労が滲んでいるというかくたびれたような表情(かお)をしていた。どこか無表情で正気がない顔のようにみえたし、青白い顔をしているように思えた。そしてその蒼白な少年は左手で人差し指と親指で丸を描いていた。みずほは怖くなって、思わずカーテンを閉めた。クルッと窓ガラスに背をむけて深呼吸をした。
みずほは再びおずおずとカーテンをほんの少し開き、隣の窓ガラスをみると、そこにはもう少年の顔はなかった。
(や、やっぱり、お化けだ!!)
「きゃーー!!」みずほは階段を駆け上がり、自室にこもるとさっき起きたことを思い出していた。
(絶対にお化けだわ!!)あまりにリアリティーのあるお化けだったから恐怖でみずほは思わず鳥肌が立った腕をさすった。みずほは時計をみると10:04を指していた。
(昨日もこれぐらいの時間に立っていた。白昼の霊なのか?)みずほは気持ちが悪くなりながらも、着替えを済ませ、絵里の家に向かおうとして家を去ろうとした時思わず隣の家をみた。少し古びた一軒家。無人家のせいか誰も手入れされていないせいか草木が生い茂り、雑草は伸びきっていて、玄関前にはつるぎが至る所に張り巡らされていて、不気味な雰囲気を湛えていた。
みずほはじっーとその様子をまじまじみていた。
碧名みずほはごくごく普通の環境に育ち、父親は鉄工所で働き、母親はパートで養鶏場の事務をしていた。みずほには兄の碧名恭平の4人家族だった。貧しい訳でも裕福な訳でもなく平凡すぎるほど平凡だった。今の家に引っ越してきたのは5年くらい前だった。5年くらい前に引っ越してきた時も隣の家には誰も住んでいなかった。隣の家はいつも買い手がつかず、すぐに引っ越していく、俗にいう曰くつきの物件だった。曰くつきの物件でもみずほは今まで何の被害もなく、幽霊をみた訳でもなく何事もなく過ごしてきた。それでも確かに少年がこちらをみていた、再びみると、もういなかったことが幽霊であることを物語っていた。
本田絵里の家でみずほと絵里はテーブル座り、テレビをつけたまま、自分の世界でお絵描きをしていた。みずほは時折、テレビに目を向けては教育番組をみたりしていた。
「はい、今日はこれで番組はおしまいです。全国の小学生の皆さん、よい夏休みをー!」教育テレビのお姉さんは手を振った。番組が終わると川柳の番組に切り替わり、絵里はリモコンでチャンネルを変えた。絵里は適当にチャンネルを変えていくとニュース番組に切り替えた。
「はい、ここからニュースです。3日前、愛媛県松山市で小学校4年生の蔵田悠人くんが家に戻らないまま行方不明になっています。現地から中継です。藤村さーん」
みずほと絵里は思わず顔を見合わせた。
「隣街じゃん!!」絵里はみずほに問いかけた。
「うん」みずほも絵里に首をふった。
<3日前にこの小学校に通う蔵田悠人くんがこの校門を出てから家に戻ることなく行方不明になっているんです>テレビのワイドショーの女性は淡々とニュースを伝えているがみずほも絵里もすぐ近くの隣の街での出来事にいささか驚きを隠せずにいた。
ふたりはテレビに釘付けになってみていた。
「ねぇ、となり街のあの校門ってうちの名門でお金もちが通う学校じゃない?」絵里はみずほにいった。
「たしかに!たしかに!唯一のおぼっちゃま学校じゃん。えー、あそこの子が誘拐されたってことはやっぱり、金目的の誘拐だよね!!」
「うん、それしかないよね。普通男の子って誘拐するかな?女の子ならほら、いろいろ理由がありそうだけれど、小学校4年生っていったらそこそこ大きいし、乱暴目的ではないと思うし、もしそうならかなりの変態だろうし、やはりあそこは県で唯一のおぼっちゃまだから、身代金目的かなぁ?」絵里は空想しながらいった。
「どうだろう?でもなんか怖いねっ!」みずほはしみじみいった。
「ホント、ホント、明日は我が身じゃないけれど、気をつけなきゃね」絵里もうなづいた。
<それでは夏休みになりました。夏休みのお子様たちの為に夏休みといえば、お化け屋敷・・・という訳で今日はお化け屋敷の特集です!!>
「あっ、あっー!!」みずほは突如素っ頓狂な声をあげた。みずほの突然の奇声に絵里は戸惑いを隠せないようにみずほを不思議そうな目で見つめた。
「ど、どーしたの?」
「今、思い出したの!!」
「何を?」
「向かいの家でみた幽霊のことを!」
「みずほちゃん、幽霊をみたの?」
「うんっー!それもラジオ体操から帰ってきたばかりの10時ごろに二回もみたの!!」みずほは思い出すとおぞましそうに両腕をさすった。
「どんな風にみえたの?」
「窓ガラスが数センチ空いていてこちらを覗き込むようにこうやって見ているんだよ」みずほは下から上を見上げるような真似をしてみせた。
「誰か人が来ていたんじゃない?それか、無人家ならば他の子が上がって遊んでいたんじゃない?幽霊は窓ガラスを開けて覗きこんだりしないでしょ。誰かがいて、遊んだりしていたのよ」絵里は冷静に分析するようにいった。
「そうなのかなぁ?それにしても行方不明になった男の子の写真が出ていないね。一刻を争うのにね」
「まだ、出す決心がつかないのかもね」絵里は少し心配そうに呟いた。
「こんな狭い田舎でこんな事件が起きるなんて、世も末だね。東京とかならまだわかるけれど、こんなど田舎だよ。コンビニが駅前にあるだけのこんなちっぽけな街だよ。お墓もたくさんあるしね、隣街だって、たいして大型スーパーがあるくらいで本当に何にもないのにさ」みずほは溜息をついていった。
「本当に何にもないよね。働く場所もないから東京に流れこんでいくんだよね。ここで働けるのはコネのある公務員か議員とか工業地帯の人間とかそんな人間(ひと)しか潤っていないのよ。ほんの一握りの人しか豊かに暮らしていけないのよ」絵里も頷きながらみずほの言葉にうなづいた。
「だからいろいろ不満を持っているものも多いのよ。犯罪とかは都会より田舎の方が多いって前にテレビでみたことがあるよ」絵里は解説するようにいった。
「でもピアノを習わせてくれているんだからみずほちゃんは親に感謝しなきゃね!」
「絵里ちゃんはピアノとバレエを習わせてくれることに感謝しなくちゃね」
「みずほちゃんだって、ピアノを習っているじゃない。感謝しなくちゃねっ」
「あっ、今日は夕方からピアノ教室があるから、行く前に練習したいから今日は早めに帰るね」
「うん、わかった」絵里はニコッと頷いた。
みずほは家のピアノで「カノン」を弾いていた。みずほが弾く「カノン」のピアノの曲を弾いていると、その曲に誘われるように少年が窓ガラスの隙間から隣の家の窓を憔悴しきった暗い表情(かお)をした少年は青白い顔をしながらも、遠くを見つめるように微かに薄ら笑いを浮かべていた。みずほはそんなことをつゆしらず「カノン」を一心不乱で弾いていたその姿を、窓の隙間からほんの僅かな1センチ位の隙間からみずほを眺めていた。
ーグゥー・・・ゴンの労わるような姿を思い浮かんだ。暗い大きなお屋敷に響き渡る「カノン」の曲が隣の家から流れてくる曲に合わせて走馬灯のように流れてくる。暢三と公園でキャッチボールをした記憶、母親の美佐枝とゴンを連れて散歩に出かけた記憶、妹の祐美のオムツを変えてあげた記憶ととめどなく何気ない記憶が忘却の彼方から次々と投げ出されたようにどんどんやってくる。
そして、添田と公園で遊んだ記憶がリアルによみがえってくる。
(本当のパパのように、好きだった)
悠人の頬から涙が溢れ落ちた。
ほんのわずかな隙間から太陽が差し込み眩しい位、悠人の顔を照らしだす。あまりの眩しさにみずほの姿はどんどん霞んでいく。
ーさっきまで悲しくて、苦しくて今にも発狂しそだったはずなのに、名前を知らない君が弾く曲を聴いていると、何故か安らぎに変わっていくのは何故なんだ?ー
悠人は青白い顔に微かに微笑みを浮かべた。
ー何故か懐かしいようなふわふわしたような気持ちになるのは何故だろう?まるで死ぬことなんて怖くないみたいな・・・ー
悠人はふらふらしながら、その場に倒れた。
ドンッー
みずほは思わず手を止めた。部屋の中を見回したが、とりわけ何か落ちた訳でもなさそうだったから、気をとりなおして、再び、曲を弾き始めた。
つづく、、
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