駆逐艦狭霧ノ最期
戦争が始まって2週間を過ぎた。
戦況はと言うと殆ど勝ち戦ばかりである。
各戦地から吉報が届くたびに甲板では歓喜の声が
しかし水兵達の満足げな顔とは裏腹に、どこかやりきれない気持ちがあるのも確かであった。
_____ここは勝ち星が量産されている太平洋諸島
ではなく、ベトナム中南部に位置するカムラン湾である。
戦争が始まり緊迫した状態にはなっているが狭霧はまだこれといって本格的な戦闘を経験していなかった。
米国との戦争が始まる前、支那との戦争が主だった時期は小規模ながらも作戦に従事していた。
しかし、米国との戦争に入ると他の水雷戦隊や航空戦隊なんかは電撃の様な速さで作戦を展開しているのに対し、狭霧の所属する
幾度か会敵の機会はあったのだ。
我らが馬來部隊の任務はその名の通りマレーを中心に南方の諸島やインドなんかに展開している英国軍や
英国海軍、具体的に言えば英国の誇る不沈艦プリンス・オブ・ウェールズや、強力な大口径の砲を装備した高速戦艦レパルスの二隻を主力とするZ部隊と名付けられた部隊だ。
狭霧は馬來部隊の旗艦である鳥海の直衛艦
として偵察任務に従事したが、出来事といえば味方の攻撃機にあやうく攻撃されかけた事位であった。
暗闇で包まれた夜の海を航行してる際、不意に味方の攻撃機が接近したかと思うと、急に攻撃用の照明弾を投下して来たのだ。
最後は鳥海の探照灯を使って味方である事を伝えたので事なきを得たが、仮に敵が近くにいたと想像するとぞっとする。
結局Z部隊の二隻の戦艦はその翌日に真珠湾攻撃同様、航空機の攻撃によって沈められ、残るは駆逐艦数隻だった。
_____ここまでは戦いたい気持ちが高く、英海軍と戦う好機をモノに出来ずにうずうずしている様に言ったがこの際だから私の率直な気持ちを正直言おう。この好機は潰れて安心した。
敵は戦艦である。それも二隻いる。
こちらの主力は鳥海を始めとする重巡部隊と戦艦二隻だ。
しかし戦艦二隻と言っても、こちらの戦艦は金剛と榛名の二隻であり、どちらも攻撃力は敵の戦艦を下回っていた。
総合火力ではこちらが勝っていたが有効的な攻撃は日本の誇る酸素魚雷のみである。
真正面から砲雷戦を挑めば、かなりの損害が出ただろう。
恐らく多くの艦船が無事では済まなかったはずだ。もしかすると、この狭霧も沈んでいたかもしれない。
出撃の機会を逃したという点では少し残念ではあるが、命があるだけありがたいと思うべきだ。
12月11日、そんな狭霧にも遂に出撃の命令が来た。
ボルネオ島攻略部隊の護衛艦隊の本隊として作戦を支援するのだ。
司令長官は栗田健男少将で同じ護衛艦隊には第七戦隊第一小隊の重巡熊野と鈴谷、そして狭霧達姉妹艦の一番艦で世界最強の艦隊型駆逐艦の先駆けと言われている吹雪もいる。
他の護衛艦隊も水上機母艦や軽巡に駆逐艦4隻など他の島の攻略部隊に劣らない戦略である。いや、むしろ重巡が2隻いる分かなり強力になっている。
それに戦艦二隻を失った相手の艦艇といえば駆逐艦数隻程度、かなりの戦力差があるだろう。
それから5日後の12月6日明朝、艦隊は目的地であるボルネオ島の北部、サラワク王国のミリという都市に到着した。
おそらくどちらも聞いたことのない名前だろうが、サラワク王国というのは今のマレーシアにあった王国である。
元々はブルネイの領土で、反乱が起きていたのをイギリス人の探検家がブルネイの要請を受けて鎮圧、その領土を譲渡され、要請を受けていたイギリス人の探検家がそこに建国したという複雑な歴史をもっている。
ミリというのはそこの都市で1910年に油田が発見されるまではとても小さな漁村だったのだが、油田が発見されて以来急激な発展を遂げた。
ボルネオ島攻略の意図はそこにあった。
日本海軍は欧米諸国からの石油の供給を止められていた為、開戦にあたってまずは南方にある油田を制圧する必要があったのだ。
そしてハワイと違って、敵の戦力を削るだけではなく完全に占領しなければならなかった。
故に日本陸軍は海軍の協力の下、ここの制圧にかなり力を入れていた。
そして上陸当日、かなり抵抗されるものだと予想されたがなんなく上陸した。
英国は西欧方面で、日本の同盟国である獨国や伊太利亜との戦争もある。
その為に貴重な戦力をこの馬來への援軍に割くことが難しいのだろう。
先日撃沈された英国の二隻の戦艦はアフリカの地を迂回して来たというが、その二隻が来る前は駆逐艦数隻しか配備されていなかったのである。
ここらの守備を任せられた英国陸軍も援軍がなければ大した戦力ではないのだろう。
結局、日本陸軍はそのまま油田を制圧し、ミリにあった飛行場も占拠した。
狭霧を含め、日本軍はほっと息をついていた。
しかし、やはり敵も黙ってはいなかった。
翌日12月17日の朝から艦隊は度重なる空襲を受けていた。
あまり大規模ではなくパラパラとしたものだったが、何度も何度も来るので兵達は疲れ切ってしまった。
そしてついには第十二駆逐艦隊に所属している駆逐艦、東雲の轟沈という初めての損害を出したのだった。
後に第十二駆逐艦隊の僚艦である叢雲が捜索した際には、沈没した痕跡は残されていたもののその他は文字通り跡形もなく消えており、東雲の乗組員全員の戦死が確認されたという。
しかし不運は終わらない。
12月18日以降、天候が不良になった。
これがとても厄介であった。
天候が不良であるとミリ航空基地の整備が遅れる。これはミリ航空基地からの支援を前提としたボルネオ島の主要都市であるクチン攻略の遅れも意味することになる。
今回の作戦の最終目的はボルネオ島の完全掌握だが、その為にはこのクチンを攻略できるか否かが鍵となる。
もちろん、敵側もそれは分かっているだろう。
だからこそ今回の様な上陸作戦は敵に迎撃準備する時間を与えない為にも、迅速さというのが最も重要な要素なのである。
しかし、敵も迎撃準備の為に時間をできるだけ稼ごうとする。
その為には使える手段は全て使う。
島一つ、守るも攻めるも、敵も味方も総力戦である。
依然として連合国側の爆撃機による攻撃も続いている。
特設水上機母艦 神通丸の水上機部隊の奮戦によってなんとか退けているが、一刻も早く作戦を開始しなければこちらの体力も精神力もジリ貧というものだ。
_______6日後、12月24日
クチン攻略が始まった。
予定されていた日より三日遅れだ。
三日である。
あまりにも長すぎる三日間であった。
この三日で多くの艦艇を失った。
敵は海の上だけではないのだ。
空にも海の中にも敵はいる。
夕刻、味方の零戦がいなくなるとどこからともなく轟音と共に巨鳥が飛来し、翼にぶら下げた黒い塊を落とす機会を今か今かと窺いながら飛び回る。
これを味方の水上機が攻撃して追い払う。
しばらくすると、哨戒任務にあたっている潜水艦の伊五十四や駆潜艇なんかから、敵の鉄の魚が近くにいるという情報が入ってくる。
そうすると味方は対潜警戒をいつも以上に厳重にする訳だが、全ての攻撃を避けられるわけではない。
上陸する陸軍を大勢乗せて航行していた輸送船の何隻かは実際に魚雷攻撃を受け、その内の二隻は沈没してしまった。
クチン島に向かう予定だった陸軍の数百人の上陸部隊も失われた。
被害は予想以上に甚大だ。
沈没を免れる為に座礁した輸送船もあると聞くが、戦地で任務を全うするどころかその戦地に足を踏み入れることすら叶わなかった兵の事を思うと悔やまれる。
狭霧はそんな状況下に追い込まれた輸送船団の救援の為に泊地に急行していた。
_____それから5時間程過ぎた頃、狭霧は日本軍が遂にクチンを攻略したとの情報を得た。
長い上陸作戦であった。
早速狭霧は駆逐艦叢雲、白雲らと共に日本軍が占領したクチンの港に向かった。
クチン泊地には生き残った揚陸船や輸送船がまばらに停泊していた。
一見損傷などないように見える船も、よく見ると長時間にわたる攻撃によって刻まれた傷があり、乗船している陸軍の兵士や水兵達は皆疲れ果てた顔をしていた。
狭霧ら三艦にはそれらの船舶の救助活動を行った後に、北に進む命令が下された。
クチンを制圧したとはいえ、前日に輸送船団を襲った潜水艦は未だに身を潜めているのだ。
確実に敵がいる状態での安息はあり得ない。
故に、狭霧達駆逐艦に対潜水艦哨戒の任務が下されたのであった。
________12月24日 20時
当たり前であるが、夜は暗い。
本土に比べ赤道付近に位置する為、冬でも夏でもそこまで日の長短に差はないが、およそ19時までには日が沈む。
夜は船乗りにとって恐怖が増す時間である。
同じ船同士での砲雷撃戦ならまだ良い。
夜戦を想定した訓練は嫌と言うほどやってきた。
本当に怖いのは、飛行機や潜水艦、つまり一方的な攻撃を得意とする敵である。
_____クチン島から約35マイル
そこにいたはずの狭霧の姿は変わり果てたものになっていた。
傾斜する船体、水面に映る赤い猛炎、時折鳴る怒号のような爆発音。
慌ただしい様子で、駆逐艦がその辺りを駆け回る。
前日輸送船団を攻撃した蘭潜水艦、"K ⅩⅥ"が剥いた牙によって、狭霧もまた、海の底へと引きずられるように沈んでいった。
近くにいた叢雲、白雲もその潜水艦の存在には気付けなかった。
微かに月に照らされた光によって、二本の線が海に映し出されたかと思った次の瞬間であった。
二本の線は狭霧の船体に吸い込まれるかのように消えていき、直後に大爆発が起きたのだった。
被雷からものの十五分の出来事であった。
1941年12月24日
駆逐艦狭霧沈没
乗員121名戦死
生存者119名
日本海軍ノ最期 守株 @D4y10826
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