第56話それはそれで

小さな手のひらからこぼれた宇宙が、曇り無い葵の空に放たれた花弁のように、ヒノヒカリを吸い尽くして、美しく汚泥に沈んでいく。その様を僕は覗き込んでいるだけ。死に面はいつもリアルに、陶器の冷ややかさを持って、僕は影だとなった夫婦茶碗の縁を甘噛みし、そうして白湯を啜る。口の中で転がし苦い薬湯に変わる。なぜか生き長らえる、そんなふりをしている。一体いつの話であったのかな、薄らと埃のかぶる卓にゆっくりと回し続けた万華鏡は、ただひとりの存在する世界を写すらしいと、そこに居座り続ける。繋ぎ止めただけのゆるい玉結びで、赤と白の垂れ幕を装飾する。助長された水引の中身は未だ確認されていない。飲み込んだはずの生きる術そのものが、不意にえづいて、疣のようで魚の目のよな白み濁ったダミ声が私の涕涙だと知ったそれはそれで。

春ノ夜ノ事

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