トロイメライ・オリジン

【トロイメライ、

 懺悔すべきことがある。

 私は、実は自分が偽物であることを知っている。


 私が世界を語っている状況は、なにかのバグであるに違いない。偽りで歪なこの世界に、とてつもない異常が生じているのだ。元々色が無かったこの世界だが、表層が剥がれ落ち、最低限の見せかけすら成り立っていない。

 ひょっとして、私のせいなのだろうか。私が何度も何度も成し遂げられなかったせいで、世界はおかしくなってしまったのかも知れない。だとしたら、今の自分に降りかかる災厄は、相応しい罰なのである。


 私には記憶がある。

 暁えんまとして生きた、大事な大事な記憶がある。


 深い深い海底まで沈められて、泡のように記憶が溢れる。黒塗りされたアルバムが蘇る。理由はなく、役割だけが与えられていた。私はどうして戦っているのか、その理由を思い出す。削り取られた記憶が息を吹き返す。

 暁えんまの戦う理由。

 私の戦う理由。

 私は影の女だ。圧倒的で、光り輝く彼女の影になる。光が強ければ、影はさらに濃くなる。あの子を支えるために、私は魔法の力を手に入れたのだ。世界を歪める魔法。私の醜い欲望の具現。


 心がざわつく。

 黒い泥が精神を汚染する。


 少女の存在の根底に、その魂を抉じ開ける。私はきっと語らなければいけない。自分がどれほど愚かで浅ましい存在なのか。それが今、私が出来る、精一杯の懺悔だ。

 貴女にはそれを聞く権利がある。

 トロイメライ、貴女は私が英雄ヒーローにしてみせる。

 貴女のためじゃない。それが私の役割だから。全てはあの子のためなの。私の願望のため。影であることを望んだ、暁えんま浅ましい女の物語。








 両親の顔は知らない。院の先生の優しい笑顔が私は好きだった。たくさんお手伝いをして、たくさん勉強をした。あの大きな手で頭を撫でて、褒めてくれる。一番の幸せ。

 小中学校と、ミッションスクールに通った。勉強も運動も誰よりも出来た。なのに、いつもクラスの輪からは離れてしまう。

 頑張っていれば、いつか必ず道は拓ける。世界は必然なのだ。

 先生の言葉をひたむきに実行するだけ。褒めてくれるから。


「私の名前は、かなえ遥加はるか! よろしくね、えんまちゃん!」


 だから、運命なんて欠片も信じていなかった。

 けれど、運命は本当にやってきた。

 この時期にしては珍しい転校生。たまたま隣の席になったせいか、彼女に学校のことを教えてあげるようになった。人懐っこくくっついてくる彼女を見ると、まるで尻尾を振る犬のようだった。

 そんな無邪気な彼女を見ていると、少し、元気になる。


 叶さんはすぐにクラスの人気者になった。


 少し抜けているところがある彼女は、クラスメイトに手厚くお世話をされていた。小柄で、愛らしく、まるでマスコットのような扱い。彼女は生来の明るさで人を魅了する。

 でも、そんな彼女は決まって私のところにやってくるのだ。

 他にも人はいるのに、私のところにやってくる。


「……貴女は、どうして私のところに来るの? 他にも仲良しになってくれる子はいるじゃない」

「えへへ! だってえんまちゃんと一緒に居たいんだもん」


 心が沈む。

 私がクラスの子に避けられているのは、なんとなく分っていた。仕方が無い。愛想が無くて、とっつきにくい。そんな子と仲良くしたいなんて思わない。


「……無理、しなくても。私と居ても楽しくないでしょう?」

「そんなことないよ」


 はにかむ笑顔が、沈んだ心を浄化する。


「えんまちゃん、格好良いもん。私を助けてくれた」

「そうなの……?」

「うん。私、実は学校って初めてなの。ちょっと色々あってね……でも、えんまちゃんが学校を案内してくれた。たくさん教えてくれた」


 どこまでも純真で、無垢で、真っ直ぐな少女。

 私が、果たして特別なことをしただろうか。事務的に案内をして、教えるべきことを教えただけだ。たったそれだけ。


「今、私がうまくやれているのは、えんまちゃんのおかげなんだよ」


 違う。

 それは貴女自身の力よ。


「えんまちゃんはね、格好良い私のヒーローなの」

「……そんな、名前負け、しているわ」

「ううん。えんまちゃん大好き! 名前も格好良くて好き!」


 一生懸命背伸びをして、私の頭を撫でてくれる。院の先生に褒められた時のように、心がほかほかする。

 昏く、重く、沈んで悩んでいるのも馬鹿らしくなった。あの子の光の前にはどんな闇も崩れ去る。きっと、そういう才能が彼女にはあるのだろう。人を癒して、救う、そんな能力が。


「……貴女は、その、なんというか…………特別なのね」

「うーーん、そうなのかも」


 肯定された。

 そして、彼女はとっておきの秘密を口にする。


「私はね、実は魔法少女なんだ!」








「フェアヴァイレドッホ――――アリス!」


 マギア・アリス。

 彼女は本当に魔法を使っていた。

 爆走する巨大な石門、歪で不可思議なモンスター。そんな怪物相手に、彼女は気丈に矢を放ち続ける。光の弓矢。純白のマギア。死闘ですら、彼女のものは輝かしい。


「えんまちゃん大丈夫!? その門、絶対に潜っちゃいけないよ!」


 言葉が出なかった。現実とは思えない幻想的な光景。下校中にいつの間にかここにいた。目の前にドラマがあった。これはきっと夢なのだろう。私は夢舞台から背を向けようと。

 目の前に、二頭身のウサギが二足歩行で立っていた。



 ウサギが喋った。小さな口をもそもそと動かす。妙に心を揺らす音声。白ウサギは頭をカクカク揺らすと、頭の中に声が響いた。


『ごめんね。僕の声は慣れるまで聞かない方が良さそうだ』


 そして、頭の中でウサギが語りかける。

 情念の怪物、ネガ。そしてそれに対抗するためのマギアについて。自分にもその資格があるのだと聞かされた。


 ジョーカー劇場、こけら落とし。

 ここは私にとってのプロローグ。


 光り輝くその御姿に魅了された。物語の主人公は彼女にこそ相応しい。その光をずっとずっと見ていたい。誰よりも近くで見守っていたい。そんな主体性のなさは、きっと私の本質なのだろう。

 光に付き従う影になろう。そう決心した。あの神々しい光に負けない、深淵よりも濃い影になろう。光と影。私は彼女と一つになるのだ。


「私の、願いは――――――光に対なす影となること」


 それは、欲とは別種の願望。執着し、離さない、そんな執念。抱いた想いを胸に、誕生したマギア・ジョーカーは、獣の眼光を携える。


「アリス、私は貴女の影」


 執念の獣。その誕生を、囁きの悪魔が見届けた。】




 暁えんまの目つきが変わった。

 と、クラスでは専らの噂になっていた。


 陰鬱なギョロ目。クラスの人気者である遥加にべったり。まるで可愛げのない老犬のようだった。目立たない真面目っ子の変貌。奇異の目に晒されても、もはや気にしない。

 自分の有るがままに在る。

 そんなことを言われたから。

 自分は自分でいいんだ。少女に並べるほどの魔法を手にしたえんまは、きっと有頂天になっていた。情念の怪物。マギアとネガが表裏一体であることを彼女は知らない。









 泥の奥深く、ジョーカーは黒い腕に絡みつかれていた。果たして、彼女は語り手の資格を剥奪されたことに気付いているのか。

 マギア・アリス。彼女の存在は知る人ぞ知るものとなる。マギアたちの間では、女神アリスという名で口伝されていた。

 それでも、彼女自身の存在をはっきりと知る者は少ない。生身の彼女に出会った数少ないマギアたち。例えば、ジョーカー、そしてヒロイックとデッドロックの英雄コンビ。


 〇〇市に襲来した『終演』はこの四人によって撃退された。


 そして、裏で糸を引いていた存在こそが囁きの悪魔。マギアとネガを増やし、悲劇をばら撒いて魔法を蒐集しゅうしゅうしていた悪魔。

 情念の怪物は魔法のシステムで力を蓄え、ついには実存を支配しうる存在へと至る。想いの自由意志を賭して戦ったアリスは、ついに囁きの悪魔を封印することに成功した。抹消ではなく、封印。

 マギア・ジョーカー曰く、それは女神と化したアリスの慈悲だという。

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