トロイメライ・オリジン

【トロイメライ、終わりのあやか】



 ジョーカーはかつて、アリスに銃口を向けたことがある。

 メフィストフェレスの甘言の魔法に乗せられて、決戦の場でアリスと敵対した。理由は書くに足らない、とっても下らないものだった。だが、囁きの悪魔にかかれば人心唆しはお手の物だ。


「アリス。貴女のために、貴女を、止める」

「ダメだよ、えんまちゃん⋯⋯自分を取り戻して」


 囁きの悪魔との戦いは、概念的スピリチャルなものとなった。形に現れない、しかし苛烈過激の感情戦争。挑んだマギアたちの多くはリタイヤした。

 しかし、世界が記録している中では死者はいなかった。

 戦いの中心となったアリスが犠牲を絶対に許さなかった。だが、それはメフィストフェレスやネガの手に掛かって、という意味だ。感情戦争の中で、マギアの戦死者は唯一。他ならぬアリスに討たれた、マギア・ジョーカー。


(彼女は一体、どんな想いで私に矢を向けたのだろう⋯⋯)


 黒い腕に絡まれながら、ジョーカーは思案する。大事に想われていた。それは自惚れではない。単純に、アリスはそういう人格だった。善良で、博愛。彼女こそが世界の主人公に相応しい。本気でそう信じるくらいには。

 だから、きっと理由があるはずなのだ。納得はしている。盲信だ。理由があって、それが正しいものなのは理解している。でも、その感じる心は、果たして、どんな色をしているのだろう。


「黒のマギア、私はジョーカー⋯⋯」


 白のマギア。

 マギア・アリス。

 白の影なら黒が似合う。純真白無垢な彼女の対比になるために、ジョーカーは心まで黒く染まった。そんな浅ましさを、彼女は本当に理解していたのか。

 ジョーカーはぼこりと黒い泡を吐いた。


(私⋯⋯私の、あるべき姿)


 ジョーカーは愛しいアリスの矢にたおれた。今、はっきりと思い出した。黒い泥沼が精神を汚染する。気が狂うような快楽が肉体に駆け巡る。それでも満たされない。

 心の充足、自己実現の領域は満たされない。陰鬱な少女はついに目を開けた。黒い腕がひしゃげて潰れる。固まった手足を動かしながら、ジョーカーは沼底に辿り着いた。


「意外と、浅いのね⋯⋯」


 純粋な感想ではなく、単純な侮辱だった。ジョーカーは含み笑いで周囲を見渡す。遥か頭上のヒロイックに合流するのは難しい。だが、ここだからこそ為せることもある。

 ジョーカーは考える。


(アリスは、メフィストフェレスを、滅しなかった。悪魔を、力を封印するに⋯⋯留めた。これは――女神の慈悲)


 少女が女神となった瞬間だった。戦いの末に世界の法則から外れ、神の座に達してしまった彼女は、未だ情念の怪物への戦いを続けているはずだ。


「見つけた」

「ここまで、来たのね」


 宿敵、と呼ぶには縁が薄い。少なくとも、ジョーカーは彼女が何故立ちはだかるのか理解できない。色彩が剥がれ落ちた世界で、少女は唯一、色を持った存在だった。それが意味することは、ジョーカー自身がよく理解している。

 水色の少女が、ファンシーな柄のフィールドスコープを手元で回した。


「どうして⋯⋯貴女は、ここにいるの⋯⋯⋯⋯⋯⋯」

「お前の企みを砕くため、と言ったら笑われるかしら?」

「どこまで知っている? 何故知っている?」

「オホホ、私の魔法はのよ」


 笑えない。

 素直にそう感じる。


「メルヒェン⋯⋯お前は、何者だ?」

「マギアよ」


 大道寺真由美は即答する。自信に溢れていた。誇りを持っていた。その態度にジョーカーの表情が引き攣った。


「お前は、なにがしたい」

「お前らを滅したい」

「何故」

「自明」


 出された答えに、ジョーカーは納得した。狙われる理由を理解した。『時空』の魔法を持つ彼女は、その身のまま世界を渡ることが出来る。故に、その記憶を引き継げるのだ。圧倒的なアドバンテージ。だからこそ、この異常の真相にいち早く辿り着いた。


「メフィストフェレス」


 悪魔の名前を呼ぶ。

 反応はない。そこにいないのか、敢えて無視しているのか。その判別はつかない。だが、この場に参戦する意図がないのは感じ取れた。ジョーカーは深呼吸で心を落ち着かせる。そんなもので平常心を取り戻せるくらい。


「私、冷静」

「それはよかった」


 互いに、目的も役割もはっきりした。それでも相容れないというのであれば、決着をつける他あるまい。

 ジョーカーとメルヒェン、二人が向き合う。


「女神アリス、その御神名に賭けてお前を滅する」


 その言葉で、ジョーカーはハラワタがにえ繰り返りそうだった。女神アリスは心持つ存在を滅しようとはしない。その慈しみを理解している。囁きの悪魔だってその慈悲にかけた。その矢を受けたのは自分だけなのだ。

 だからその言葉に、果てしない嫌悪を抱いた。


「名乗れ、外道」


 外れた道。それはまさに暁えんまを示すに相応しい言葉。道を外れて愛を失った。それでも後悔はない。やるべきことをやった。なるべきしてなった。女神の矢を受けて死ねるのなら本望だ。

 屈折した愛情が渦巻く。

 浮かんでは消えていく記憶の泡。黒い海に流されながら、それでもジョーカーは足掻き続ける。今の自分は一体何なのか。


「戦い続けた、その旅路を――――……」


 何のために。何を欲して。この長い戦いは。マギアに。思案を深め、只管しかんに。至る道程。人の戦いとは、自分は何者なのかを探ること。


「いい加減、名乗りなさい」


 まとわりついてくる腕を完全に引き剥がし、眼差しを落とす眼々を睨み返す。より深く。より奥に。そうして、少女は一つの名前に辿り着いた。


「――――十二月三十一日終わりのあやか」


 暁えんまの形をした少女はそう告げる。

 暁えんまの人格を纏い、暁えんまの記憶を辿り。そうして辿り着いた名前が、ソレだった。


「ようやくここまで追い詰めた」


 真由美が言った。

 ジョーカーは、影を抱く執念の獣は言った。



「そう。私の名前は――――――終わりの、

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