メフィストフェレス・フェアヴァイレドッホ(前)

【囁きの悪魔メフィストフェレス】



――――助けて


 声に誘われるように、あやかは目を覚ました。

 白い天井。だが、知らぬ場所ではなかった。暁家の寝室。異空間と化していたその場所は、まさに魔法が解けたように元の一軒家に戻っていた。


「――――ようやく、起きたのね」

「真由美ッ!?」


 しかし、期待していた人物は現われなかった。あやかは舌打ちまでして唇を尖らせる。


「⋯⋯そんな反応、ひどい」

「生きていたのか……ジョーカー――――っておい、それどうしたんだ!?」


 不吉な双眸、黒の少女。出会った時そのままの印象だ。彼女は紫の煌めきを失っていた。


「⋯⋯さあて、ね。私が、貴女たちに、負けた⋯⋯ということ、なのかも」

「⋯⋯はっきりしねえな。てか、俺はどうして生かされてんだ?」

「……さあ。もう、その意味は、ない⋯⋯からかも」


 分からないことだらけだ。あやかは大袈裟に肩を竦めた。きょろきょろと機嫌を伺う、そんな卑屈な視線。今のジョーカーとは殺し合いをする気にはなれなかった。もう、決着はついたのだ。あやかの拳から力が抜ける。

 その様子を見て、黒の少女、ジョーカーは小さく口を開いた。


「私は、貴女に、選択肢を与える」

(どこかで、聞いたフレーズだ…………)


 前の世界で、マギア・アリスに問われたことと同じだった。


「挑戦か⋯⋯⋯⋯破滅か」

「ははっ、前者しかねえだろ」


 突っ込みに力が入らない。状況はかなり逼迫している。それを察したのだ。


「俺はもちろん挑戦する。お前はどうなんだ?」

「私は⋯⋯⋯⋯」


 言い淀むジョーカー。やはり、初めて会った時のような気弱な雰囲気に戻っている。この後に控えているのは『終演』の脅威。立ち向かうか、破滅を受け入れるか。統括者マザーは大きく深呼吸する。


「私は、終わりのあやかの世界を作りたかった。偽りでしかない私たちが、本当の人として生きていける世界を」


 それが少女の欲。

 『幸福』のビジョン。


「――――アリス。貴女にとってのメルヒェン、彼女のためにも。私はあの子と、一緒に⋯⋯生きたい」


 言葉にして、ちゃんとぶつけて、想いがあやかの心臓に届く。脈が乱れた。自分の胸に手を当てて落ち着かせる。少女はちゃんと戦う理由を見定めていた。

 ならば、これから行うべきことは――――



『ご立派な夢だけど、これ以上チャンスを与えられると思っているのかい?』



 直後、頭の中に声が響いた。

 囁きの悪魔。二人は自然と同じ方向を見る。寸前まで何の気配も無かったはずが、気付けば異様なプレッシャーが発せられている。見ると、二足歩行二頭身の白ウサギがベッドの上で飛び跳ねていた。


『いつまでダラダラ続ける気なのかな? 何をこれから始める気なのかな? まだチャンスを与えられると本気で思っているのかな? であれば、君たちは少し身の程を弁えたほうがいい。ここまで何も成し遂げられなかった君たちが、ここから何かを為せるとどうして思い上がる?』


 自分だけは味方だと、あやかはそんな言葉を想起する。


『終わりのあやかはだ。君たちも例外ではないよ』


 白ウサギがあやかに目を向けた。


『トロイメライ、君には失望したよ。『終演』を打ち破れず、ジョーカーを仕留め損ない、それどころか、自分で掲げたメルヒェンの救済すらも成し遂げられなかった。君ならばと思っていたが⋯⋯『偽物』じゃあこんな程度か』


 期待されていた。

 だが、失望された。

 あやかは真実を知った。そして、めっふぃも真実を知っているはずだ。繋がる糸が徐々に紡がれ、あやかにを抱かせる。


「⋯⋯まだ、終わってねえぜ」

『かもしれない。けれど、いつまでも続いてくれるものじゃないよ』


 あやかにはチャンスがあった。

 真由美と分かり合えるチャンス。『終演』を打ち破るチャンス。ジョーカーを打倒するチャンス。そんな、運命を踏破するチャンスが何度も。モノにしなかった怠慢を責められても文句は言えない。


「だから、なんだというの⋯⋯? メフィストフェレス、お前には、何も出来ない」


 横からジョーカーが口を挟んだ。廃棄処分と宣言したが、めっふぃ自身にそんな力はないはずだ。あやかは唇を湿らせる。喉がカラカラだった。


「お前は、何がしたい」

『僕にそれを聞くのかい?』

「トロイメライ、メフィストフェレスに個々の意志なんてないわ」


 あやかは力強く首を振った。


。俺はまだの正体を聞いていない。ここにいる全員が、過去の世界を覚えている! 俺が言ったこと忘れてねえだろ!?」

『ああ、そうだね。僕は承諾していないからとは呼べないけれど』

「今だ。今、話せ。まだ伏線を残してるってなら、終わりだなんて言わせねえぞ」

『小賢しい口を回すようになったね』


 めっふぃが跳ねるのを止めた。無言で小銃を構えるジョーカーを、あやかは手で制した。

 誘いの白ウサギ。囁きの悪魔。

 真実はどうであれ、あやかの主観では、この運命は白ウサギに導かれて拓かれた。その正体は真由美に暴かれたが、あやかは直に悪魔と向き合ったわけではない。


『メフィストフェレスは人に生み出された』


 契約でマギアを生み出す悪魔はこう言った。


『メフィストフェレスはマギアに生み出された。


 ――――は、魔法の産物なのさ』

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