tea party ends

は終わり】



 モノクロ世界。

 水色の星が降り立つ。


「不幸な交通事故。心臓が破れた貴女は、異形に堕ちるしか生き残る術がなかった」


 もし、心臓ではなかったら。

 もし、ほんの少しでも逸れていたら。

 今の惨状には至らなかった。この世界も生まれなかった。運命の無慈悲を噛み締める。正面からネガとぶつかって負けた、そんな結末ならここまで拗れなかったはずだ。


「欲に溺れた貴女は、女神の救済を撥ね退けた。けど――それは世界の禁忌」


 漆黒の汚泥。巨大な六眼。無数の黒腕。

 精神を犯す極限の中央、支配者は君臨していた。


「貴女は強過ぎた」

「そうだ。俺様は強かった」

「ネガに果てながらも自我を保った」

「そうだ。俺様は呪いには狂わない」

「何もかもを血肉にして、決して止まらない」

「そうだ。それが俺様だからだ」


 極限の自己肯定。

 逃避ではない。発狂でもない。正気のまま、在るが儘を示してきた。『あやか』は両手を広げて自分を誇示する。そうするだけの存在の強さは証明されている。


「強くて強くて強くて強い――――そんな貴女に、私、憧れているの」


 水色のマギアが自分を保つ。輪廻のネガの精神汚染。その凄まじいまでの権能に自我がブレた。そんな自分の弱さを一蹴する。

 これは『あやか』の物語。

 そして、真由美の夢物語メルヒェンでもある。

 漆黒の汚泥が滝のように降り注ぐ。精神を犯す滝を、『あやか』は力強く受け入れた。負けない。決して。世界の摂理すら超越する自我の強靭さ。


「じゃあ、お前はどうすんだ?」


 宣言する。

 黒い泥沼に無数の眼が生じた。そのどれもが、興味深そうに水色の煌めきを視姦する。


「俺様に、勝つ⋯⋯?」

「そうしなければ、いけなかった。理由をつけて、お茶会に甘えて、私は⋯⋯そうやって逃げてばかりだった。貴女を救う――その欲を折るためには、私の夢でねじ伏せるしかない」


 できるか、できないか。

 その答えは、後者しかない。メルヒェンでは『あやか』には及ばない。そんなことは考えなくても分かる。しかし、それで終わる話ならば、きっと二人とも魔法の力を得られなかっただろう。

 できないから、やらない。

 違う。そうじゃない。夢を掴む。欲しいものがある。現実を歪めてでも情念を押し通す。だから戦うのだ。情念と情念のぶつかり合い――――感情の戦争だった。


「――――いいぜ」


 だから、『あやか』は肯定した。そうだ。いつも彼女は肯定してきた。その強靭な自我は、全てを肯定してきた。真由美は知っている。見てきた。感じてきた。


「来いよ、


 名前を呼ばれた。魂が震え上がる。

 マギアの顔には、笑みが浮かんでいた。六道世界の支配者は凄惨に笑う。受け入れる。在るが儘を肯定する。


「お前が最初からそうしていれば、俺様は堂々と受けたんだぜ?」


 真由美が水色の日本刀を正中に構える。こうして、同じ地平に立っている。どれほど遠かったか。ようやく追いついた――そんな夢を見る。

 これが正真正銘最後の戦いだ。

 願いを胸に、真由美がネガの名を叫ぶ。


「応えて――――メルロ!!」


 可能性が蠢いた。無数の白球が槍に転化する。取り囲むように紙の騎士が立ち上がった。


「本気で来な」


 一歩前に。『あやか』が踏み出す。凄まじい威圧感だった。汚泥が跳ねる水飛沫が、それだけで騎士を引き千切る。


「この世界で得た全てをここにッ!!」


 『幻影』の模造魔法。真由美が三人に増える。

 それぞれが刀を手に特攻。『あやか』は先頭の一人に手を伸ばす。鋭い突きを半身で避け、自然に伸ばされた手が細い首を握り潰す。残り二人が斬りかかるが、振り抜く前に片方の鳩尾が蹴り抜かれた。消えた分身が生み出すのは水色の霧。


(高月さんの魔法は、トロイメライとほぼ同種! なら対抗策も同じはず!)


 巨大な砲弾が霧のヴェールを破る。超反応で感知、蹴り上げられた砲弾が彼方に消える。余裕の笑みを浮かべる彼女の視界に映るもの。

 巨大な砲門、三門。


「手順を複製――――リロード」


 蹴り上げた足を今度は振り下ろす。轟音を上げた一撃は下に叩きつけられ、両腕を左右に振るって残りの砲弾を弾き飛ばす。

 だが。

 踏みつけた砲弾から、水色のリボンが溢れ出した。


――――『束縛』で動けなくすれば


 大本命。

 音を消して走り回る真由美は捕捉不可能。大量のリボンが『あやか』を襲う。


「うぜぇ」


 その内の一本を掴んで力任せに振り回す。絡み取られた全てのリボンが軽い所作で投げ捨てられた。その懐。リロードロードで飛んできた真由美が拳を放つ。


「インパクトキャノ「遅ぇ!」


 放つ直前、引いた拳に足を合わされる。魔法云々よりも体幹の差。バランスの崩した真由美の髪をひっ掴み、そのまま下に叩き付ける。


「……もうちょっとやる気出してくんないか?」


 声色に、明らかな失望が混ざる。

 顔を地面に押し付けられて抜け出せない。輪廻のネガも使い魔と同じく魔法を使えるはずだ。今の体勢ならばクラッシュ魔法一発で片がつく。



 だが、そうならない。そうしない。そもそも対等な敵と見なされていないのだ。揺るぎようもない、絶対的な実力差。


「条件は……同じ、だと……思ったけど。まさか……ここまで、なんて…………」


 『あやか』はつまらなそうに眉をひそめる。

 彼女はまだ拳を握ってすらいない。


「その程度か。なら――――そのまま絶望に沈め」


 絶望の黒い沼。そこに真由美の頭を押し付ける。ずぶずぶと沈んでいく姿。真由美の目から涙が零れ落ちる。


「痛いじゃない。女の子の頭よ」


 水色の光に沼が弾ける。まだ心は折れていない。全身にずきずきとした痛みを感じる。感覚が。五感が。識が。あらゆる敵性情報として少女を襲う。


「立て」


 髪をひっ掴まれたまま無理矢理引き上げられる。痛みに歯を食いしばりながら、真由美は不敵に笑った。この程度で、あやかは折れなかった。そんな背中を魅せられたから。


「お前に何が出来る? 何が成し遂げられた?」

「私は何も出来ない。負けてばかりで何一つ成し遂げられなかった。でもね、逃げ出すことだけはもうしない」


 戦い抜いてやる、と。


「助けて、助けて――――誰か、助けて」


 真由美の口から本心が漏れる。ネガの眼球が真由美を見通す。隠し立ては出来ない。黒い視線は本心を、欲の声を引き摺り出す。

 しかし、真由美はもう隠すつもりもなかった。不安な気持ちも、苦しい気持ちも。それは恥ずべきことではない。


「怖いから、辛いから、苦しいから――だからこそ戦うの」


 声は震え、怯えで瞳孔は開ききっている。誤魔化せない。偽れない。だからこその『本物』がここにはあった。


「私は戦う。貴女はどうなの……?」


 鋭い膝が真由美の鳩尾にめり込む。身体をくの字に折った真由美を冷ややかな目が見下ろす。


「お前に何が出来る。何かを語れるのか」

「何を、恐れているの、高月さん」


 巨大な水色の絵本が浮かび上がる。真由美は諦めない。全てを賭けて挑みかかる。怖いし、苦しい。でも、譲れないのだ。

 終わりのあやか。

 神下しの神話のカルマを収集して、『あやか』がそれを吸収する。そのための六道世界。全ては女神アリスを打倒するため。


「アリスに負けるのが、そんなに怖い?」


 真由美の苦し紛れの蹴りで、『あやか』は手を離した。動揺している。図星だ。極限のモノクロ世界では、どんな想いも表に引き摺り出される。君臨者であってもそれは同じ。



「私――――貴女のそんな姿、見たくないわ」



 煽るように呟く言葉。それは本心でもあった。どんな苦難にも勇猛に立ち向かうヒーロー。そんな彼女は女神に敗北した。そして、怯え、周到に手を揃えている。


(幻滅よ――――――――でも、それ以上に、安心した)


 人間離れした彼女であってもそうなのだ。負けることは恐ろしい。自分の世界を壊されることは、根源的な恐怖だった。


「⋯⋯⋯⋯ああ、そうだな」


 『あやか』は肯定する。

 恐怖も、挫折も、彼女が足を止める理由にはならない。


「俺様も、お前も、同じなのか」


 挑むこと。並び立ち、超えたいという欲。

 そこに意味なんてない。合理性なんてない。ただただ欲のままに情念を具現する。それが、魔法だから。


茶番ティーパーティは終わりだ」


 『あやか』が遂に拳を握った。その双眸が猛禽のような鋭さを帯びる。


「やっと――――やっと、本気で⋯⋯向き合ってくれた」


 ようやくスタートライン。真由美の周囲に可能性の魔法が浮かぶ。想いが尽きなければ、負けないはずだ。

 究極の感情戦争が始まる。







 恐ろしいこと、困難に立ち向かうこと。

 どれだけ覚悟を決めても、恐怖は拭えなかった。だからこその『本物』なのだ。色のない世界での孤独。魂を蝕む汚泥に苦痛を抱く。


「助けて」


 小さく呟く。

 助けなんて来ない。少女自身の戦いだ。そこに他者の力など借りられようはずもない。しかし、少女の心は悲鳴をあげる。


「――――助けて」


 何度も、何度も。

 脳裏にあの背中を思い浮かべながら。

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