メルヒェン・トロイメライ
【メルヒェン、夢想の暁】
――――私と、友達になってくれませんか?
小さな鈴のような声が響いた。誰に向けた声だったか。少なくともあやかには覚えがない。こんな初々しい大道寺真由美の姿を。
「私には大事な友達がいた。なんにもない私の、たった唯一の」
水色の少女は言った。
「その人のために私は止まれない。今度こそ並び立ってみせる」
その両目から黒い水を流しながら、少女は嘆いた。
「辛い、よな」
色のない、モノクロの少女が言った。
何かに驚いたかのように。何かに縋るかのように。何かを拒絶するかのように。果たしてどれが正解だったか。
――――ヒーローになるんだ
自らの醜さを自覚して顔を覆いたくなる。けれど、これが人間だ。答えなど分かり切っていた。どれも自分だ。
♪
記憶が流れ込んでくる。感情の濁流に揉まれながらも、あやかははっきりと自分の意識を保っていた。閃光の世界。星空が溶け落ちていく。
「どうしてこんなにも、報われない」
小さい少女が泣きじゃくる。黒い腕が、水色の少女を絡めとる。あやかは自分の腕を見た。色の無い、黒い腕。少女を苛んでいるのは、他ならない自分の腕だった。
「俺はお前が欲しい」
欲望。口から突いて出た真。そんな浅ましい心を、しかしあやかは受け入れる。
「アタシは親の顔を思い出せない。あちこちで暮らしていたけど、その人たちの顔も思い出せない。みんなアタシを煙たそうにしてくるんだ。だから、姉ちゃんしかいなかった」
欲が深い。寂しがりの少女は、それだけでは満足しなかった。
「昔、絵本を読んだ。姫を守る勇者のお話。あんな
「お前を離さない。俺の特別になってくれ――一緒に、戦ってくれ」
「一緒に⋯⋯⋯⋯?」
泣いてばかりの少女が顔を上げた。黒い腕が二人に巻きついた。強く、強く締め上げる。
「本当に、私を隣に置いてくれるの⋯⋯⋯⋯?」
「隣に、いて欲しい。一人だと⋯⋯心細い」
一人ではどうにもならなかった。この過酷な運命は。傷ついて、苦しんで、それでもあやかは前を見据えている。きっと、一緒にいられたら、そんな淡い希望を掴んでいる。
「ダメ。私には私の戦いがある」
少女はそっぽを向く。そんな姿を見て、あやかは口元を緩ませた。黒い腕が崩れ落ちる。
「真由美らしいよ、全く」
二本の、本当の腕で。あやかは真由美を抱き締める。やっと捕まえた。もう離さない。そんな想いを込めながら。
閃光は果てる。
♪
星の光は燃え尽きる。夜が果てた。
空っぽのグラウンドに朝陽が昇る。光が地平を照らした。あやかは真由美の上に覆い被さり、その唇に自分のそれを重ねていた。真由美の口内で転がされる
二人の顔が離れる。
「怪物にも……心があったのね」
世界が晴れる。太陽が眩しい。呪いは既に霧散していた。つまりは、そういうことだ。
「だから、アタシはマギアになれたんだと思う」
真由美の目が見開く。その身体に覆い被さるように、あやかは穏やかに微笑んだ。魂の煌めきは、心の具現。情念の鋭い輝きこそが魔法の力。笑ったままの彼女は、力が抜けて真由美の上に倒れ込んだ。
「――――なによ」
真由美は抵抗しない。そんな力はもう残されていない。あやかも同じようにぐったりしていた。双方とも、動けるようになるまでしばらくかかりそうだ。
「だから、さ」
戦いは終わった。真由美の頬に一筋の雫が流れる。それは、勝者から漏れたものだった。
「たった唯一の、とか言わないで……? こうやって、ずっと傍に居るんだから」
勝ったはずのあやかが涙を流す。震える腕で小さな少女を抱き締める。温もりがあり、心臓の鼓動があった。
「バカ」
真由美は抵抗しない。身体はぼろぼろだった。それでも、魔力を補充した彼女であれば魔法は使えるはずだ。
「⋯⋯バカね」
指先をぴくりとも動かさずに、真由美が呟いた。その口角が、僅かに上がった。ほんの少しだけ微笑んでいた。
♪
数日後。
「遅い。相変わらず集合時間に数分遅れてくるわね」
「えへへ、そーおー?」
「気持ち悪い顔しないでよ⋯⋯」
頰が緩みまくったあやかが、冷たくされてしゅんとする。とても、懐かしいやりとりだ。隣に在った少女が、ちゃんと隣に居てくれる。その事実が堪らない幸福感を生み出していた。
「これから神里に乗り込むっていうんだから、気を引き締めなさい」
神妙な面持ちでバス停の時刻表と睨めっこするお嬢様。
「⋯⋯え、行かないの?」
「⋯⋯アンタのせいで一本逃してるのよ」
慣れていないのか、時刻表と路線図を見比べながら小さく唸っている。見ていて面白かったので、あやかはしばらく放置していた。
「ここからなら少し歩けば境大橋だけど」
「⋯⋯アンタの少しは一時間とかでしょ。あと十分で神里行きのバスが来るから」
「おお〜お嬢様ー! 俺って実はバス使ったことあんまりないんだよねー」
「でしょうね」
そわそわと落ち着かない真由美を見ると、彼女もどうやら同じようなものだった。そんな、平和な日常を感じさせる所作に、あやかは小さく笑った。
この光景は、彼女自身が、死闘を経て掴み取ったものだ。
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