ヒロイック・モノローグ
【ヒロイック、独白】
退院後、ヒロは元の家で生活することにした。新興都市、神里。生まれ育った都市で、慣れ親しんだ家らしい。覚えていない。
当時中学生だったヒロが一人暮らしをすることには、渋る声もあった。だが事件以降、得体の知れない雰囲気を纏う彼女に、引取手が出てこなかったのも事実だ。そんな醜い押し付け合いを見せつけられて、半ば強引に今の生活を強行している。
「⋯⋯⋯⋯広いのね」
たった一人で、家族三人で暮らしていた一軒家。思い出はなく、管理が大変という感想しか出てこない。
「お手伝いさんでも雇おうかしら?」
親が残した遺産は莫大だった。少なくとも彼女が社会に出る年齢になるまで生活に困ることはないだろう。
「……独り言が多くなっていけないわね」
知らない写真が供えられた仏壇を一瞥する。一人であれば、都合が良いこともたくさんある。ヒロは右手を勢い良く開いた。
鎖が出てきた。
思い出は無くなったが、知識は残っている。だが、ヒロの有するどんな知識でもこの現象は説明できない。
「ねえ、めっふぃ。これが魔法……ということでいいのよね?」
『そうだよ。君はマギアになったばかりだ。魔法の扱いもこれから鍛錬していくといい』
そのための一人暮らし、というのももちろんあった。マギアとして、世のため人のために戦う。それが今のヒロイックが抱いている願い。全てを喪った少女に残された最後の想い。
指先から伸びる鎖をジャラジャラ振り回しながら、少女が口を開く。
「武器とかないの?」
『あるよ。マギアには魂の波長に応じた固有武器がそれぞれ与えられる。君にもあるはずだから試してみるといい』
左手の指を鳴らす。カラン、と小さな音が鳴った。何かが目の前に落ちた。拾い上げてみると、小さいチップのようなものが。そこには『100㎎』という文字が刻まれていた。
(分銅…………?)
どうしてそんなものが。
妙に嫌な予感がして、ヒロはもう一度指を鳴らした。今度はさっきよりもほんの少し強く。カラン、ともう一度分銅が落ちた。今度は『500mg』と刻まれている。
「……………………………………」
カラン、『1g』。
カラン、『5g』。
カラン、『10g』。
「アバダケ――――」
ヒロは左腕を高らかに上げた。大気を手中に。練られていく魔力を感覚で理解する。そして。
「ダブラッ!」
力一杯その腕を振るった。『100g』。床に散らばった分銅が消えていく。ヒロは激しい脱力感に膝をついた。魔力を消耗したらしい。
「え、待って…………これで戦えっていうの!?」
彼女の短い記憶の中で、ここまで最大の動揺だった。めっふぃが静かに頷くのを見て、両手で顔を覆う。どう考えても化け物と戦えるものではない。
「…………他に戦うための手段ってある?」
『マギアは身体能力が強化されているよ。ところで、さっきはなんて言ったんだい?』
ヒロイックは沈黙した。
♪
死の異界。地獄があるとしたら、まさしくこんな世界なのだろう。ネガという怪物に初めて相対したヒロイックはそう感じた。
「本当に、これは現実なの⋯⋯⋯⋯?」
蟻地獄に吸い込まれる、人形のような少年の腕に鎖が絡み付いた。ヒロイックの魔法。数人見える犠牲者の中から、一番若そうな犠牲者を救い出す。
基準なんて曖昧だ。彼女の魔法では精々一人しか助けられない。半ばパニックになりながらも、ヒロイックは奥に進む。
『ヒロイック、ネガはその中に居る。倒さなければ救えないよ』
(英雄ならば、人に求められるべき存在ならば⋯⋯どうする?)
ヒロイックの打算。少年を抱き寄せた少女は、救うべき存在の一つを蟻地獄の外に寝かせる。巻き付いた鎖の跡が、痛々しく腕に刻まれていた。失敗だ。ヒロイックは唇を噛み締める。
ネガを倒さなければ、全員は救えない。
自己犠牲。そんな言葉を思い浮かべる。
ヒロイックが跳んだ。蟻地獄の中央にその身を投げ出す。巨大な斬顎が勢い良く這い出て来た。ヒロイックの鎖が片顎を巻き取って、一本釣りに引き上げる。
「心臓が無事なら、マギアは死なないのよね?」
『うん、そうだよ』
裂けた脇腹から鮮血を噴き出すヒロイックが小さく笑った。身の丈の十倍はある甲虫をハイキックが弾き飛ばす。肉弾戦。魔法の才能に恵まれなかった彼女が選んだのは、血みどろの泥試合だった。
「蹴り砕く」
マギアの肉体の強靭さ。ヒロイックが傷を厭わず進撃する。その手を汚さない蹴撃。しかし、単純な物理ダメージだけで怪物を倒すのは無理があった。
「どうして、砕けないの?」
右目が潰される。自然再生されるといっても、奇跡の産物とまではいかない。少なくともこの戦闘中に回復することはないだろう。少女の表情が歪む。
フラッシュバック。
血の臭い。耳にこびりつく悲鳴。生温かい肉体の感触。冷たい孤独。両親の死の記憶。強盗犯の死の記憶。その二つだけが永遠に映し出される。本当の願いは思い出せない。それでも、恐怖という感情は取り戻した。
「いやだ――――――死に、たく、ない⋯⋯」
肉体が硬直する。
精神が震える。
魂が腐敗する。
『ヒロイック、どこへ――――――――――?』
思念が遠い。ヒロイックの我武者羅な逃走。ネガは無数の鎖に絡みとられて動きを封じられる。助けたはずの少年が軽蔑の視線を注いだ。
逃げた。耳を塞いで、目を閉じて。あらゆる感覚をシャットダウンして、ヒロイックは敵前逃亡を果たした。いつの間にかネガの結界から脱出していた。ありふれた、やや小さめな公園に。
(砂場)
砂場。公園の砂場。
皮肉にも、それがネガの結界の入り口だった。勇んで飛び込んだ異界から、彼女は逃げ出したのだ。感覚を開いた少女は、悲鳴を認識する。
彼女は母親だった。小さな子供の名前を叫び続ける。あの結界の中で子供はあの少年しかいなかった。理解する。自分が見捨てた少年を、その母親が探しているのだ。
「あの」
泣いている女性に、ヒロは声をかけた。縋るような表情で、女性は叫び続ける。小さな名前と、その行方。ただそれだけを求め続ける。
ヒロの肩が掴まれた。焦点を失った瞳が、少女の身体を見潰す。喉の奥が干上がるような感覚。正気を完全に逸している。これが母親の愛情なのか、それともネガがもたらした狂気なのか。記憶を亡くした彼女には分からない。
「――――――――ごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさい⋯⋯」
心臓が苦しい。感情が詰まったようで、涙が出てこない。
ただただ、何度も何度も謝罪の声を絞り上げた。星の瞬かない曇り空。深夜巡回に来た警察に助けられるまで、少女は知らない女に捕まり続けた。補導された母親から目を逸らすように、ヒロは夜闇に逃走した。
♪
あの敗走から、本当に色々なことがあった。生き残って、今も戦い続けているのがまるで嘘のようだ。
少女は、いつしか、本当に英雄と称されるようになった。
「交渉、決裂⋯⋯ということ?」
「そうは言っていないわ。ただ、お互いにまだ信用出来る仲ではないでしょう?」
崩れているネガの結界。昼過ぎの公園に湧いたネガが英雄に絞殺された。囚われた少年少女たちをさりげなく親元に誘導してあげるヒロイックは、電柱の影から顔を覗かせる少女に向き直る。
「私は、貴女の力を⋯⋯借りたいだけ」
「利用したい――とも聞こえるわよ? 今の戦いで貴女は私の戦いを観察していた。気付かないとでも思ったの?」
電柱から飛び出た顔が半分引っ込む。長く艶やかな黒髪は、同性のヒロイックから見ても魅力的だった。しかし、その身に纏う陰鬱な雰囲気が不吉を感じさせる。
「⋯⋯どうして、一緒に戦おうとしなかったの? 幸い犠牲者が出なかったから良いものを、一歩間違えたら大惨事になっていたかもしれないわ」
「英雄の貴女が、そんな失敗を、犯すはずない⋯⋯」
フラッシュバックする記憶。心臓を針でつつかれたような痛みに口元を歪める。上品に口元を手で遮る動作で誤魔化し、英雄となった女は電柱に歩み寄る。
「ふぅん、私の評判を知っているんだ? 新人さんというわけでもないし、他所の縄張りから此処に目をつけったってところ?」
「そんな、ことは⋯⋯」
マギアになったばかりは、誰であろうとも戸惑い怯える。そんな過去を振り払って、ヒロイックは隠れたままの少女の横を通り抜ける。
「と、に、か、く。お互いに少し時間を置きましょう。信用出来る相手だと判断出来たら是非とも仲良くしたいわ。
でも、そうじゃなかったら――――――ひどいわよ?」
少女は完全に電柱の影に隠れてしまった。
その様子を鼻で嘲笑い、ヒロイックは歩くスピードを上げる。英雄の助けを必要としている相手がいた。マギアの契約を果たしたばかりの少女。清廉潔白、直情一直線なあの子の顔を思い浮かべる。
(こんな私でも⋯⋯必要としてくれる人がいる。だから私は戦うことを辞めないの)
神里に侵入した複数の魔力を、神里入口に展開していた結界が感知する。
決して珍しいことではなかった。しかし、どこか運命じみたものを感じる。英雄は不敵に笑う。どんな状況でも、もう彼女のやるべきことはブレはしない。
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