トロイメライ・アライブ

【トロイメライ、現着】



 苔のような深緑の車体。高梁から神里に連絡する路線バスだ。二人がけの座席にあやかと真由美は並んで座っている。

 境大橋。高梁と神里を隔てる境界線。


(一間、結局見つからなかったな⋯⋯)


 ぼんやりと考える。出発前に確認出来るだけのネガは潰してきた。あれだけ派手に動けばマギア・デザイアが接触してくると踏んだが、現実はそうならなかった。それどころか、今回は彼女の姿を一度たりとも見ていない。


(俺の動きが何かを変えたのか? それとも、俺以外のイレギュラーがいるとでも⋯⋯?)


 同じ時間をループしているとすれば、あやか以外の存在は皆同じ行動を取るはずだ。あやかの行動こそが世界を変えうる。だが、その振れ幅があまりにも大き過ぎる。

 あやかは隣に視線を移す。大道寺真由美、彼女もどこか特別な少女だった。あやかの知らない重大事項を、未だ隠し続けているという予感がある。


「⋯⋯なに」


 そっぽを向かれた。あやかはムキになってほっぺをつつく。


「つんつんつーん」

「⋯⋯だから、なに」


 平手で弾き返されるが、あやかはめげずに両人差し指で突き返す。そんな無邪気な応酬をしていたせいで、あやかは気付かなかった。

 電柱のようにひょろ長い橙の少女が、橋の端をのんびり歩いていたのを。







 神里市内のバス停。ヒロイックが住んでいるタワーマンションの近くだ。神里で活動するためには、まずは元締めである英雄ヒロイックに顔通しをしなければならない。マギアの世界は世知辛いのだ。


「ネガ⋯⋯⋯⋯?」


 バスを降りてすぐ、真由美が呟いた。その声にあやかが反応する。

 感覚を深化させる。真由美の顔が向いた方角に、異界の気配を感じた。あやかは小さく飛び跳ねて身体をほぐす。


「え、待って。まさか行く気?」

「ネガが出たんだ。行かねえでどうすんだよ!」


 クラウチングスタートの構えを取るあやかに、真由美が立ちはだかる。


「神里のマギアに任せなさい。他所者が出張っても侵略行為とみなされるだけよ」

魔力飴ヴィレは譲る。それで話は通るだろ」

「⋯⋯それ、根本的に旨みがないのは分かってる?」

「旨みならあるぜ」


 力強く大地を蹴るあやか。コンクリート塀を三角蹴りにして真由美の裏を取る。


「仲良くなれる。信用を勝ち取れる。ソイツこそが最大の財産だ」


 走る。疾る。前へ。

 何かを叫びながら追いかけてくる真由美を持ってあげたりはしない。もう最初の頃のあやかとは違う。成長した。知識も、経験も、積み重ねたものは、未だに底を見せない真由美にも、引けを取らない。


(追いつけるもんなら――――追いついてみろよ)


 挑発的な笑みが浮かぶ。反論も出来るし、反撃も出来る。より対等な関係になった気がして、脇腹がむず痒い。


「ここ⋯⋯病院か」


 神里で随一の総合病院、だったか。前の周回で寧子に聞いていた。弱った人間が多くいる病院と、人の魂を喰らうネガ。考えうる限り最悪の組み合わせにあやかが焦る。


「悩んでいる時間はねえってか!」


 ネガの結界が揺れている。誰かが戦っているようだ。あやかは止まらずに飛び込んだ。


(今ならなんだって出来そうな気がする!)


 握り締める拳。後ろから追ってくる水色の魔力を感じた。






寂寥の『ミミノ・マモムーモ』


このネガは「憧憬」の性質を持つ。

孤独に喘ぐ少女の成れの果て。

いつも誰かを妬んで、いつも誰かを求めている。

自分の半身にすら見捨てられた一本足が静かににじり寄る。

失って初めてその大事さに気付く。それがこのネガの全て。






 果ての無い暗幕が歪な迷路を築いていた。目をこらさなければ壁と認識できないほどの黒。迷路の中は不思議と明るいが、光源はどこにも見つからない。


「厄介ね」


 焦って飛び出そうとするスパートを諫めながら、ヒロイックは周囲の気配を探る。ネガの位置が特定できない。魔力が探れない、というわけでは無かった。むしろ、反応が多すぎる。


「ネガ自体はそんなに強くなさそうだけど、だからこそ使い魔に紛れちゃっているわ。少し慎重に行かないと」

「でもでもヒロさん! このままじゃ病院の人たちが巻き込まれちゃう!」

「大丈夫。私がさせないから」


 縦横無尽に張り巡らせている黄色い糸。白衣の蒼肌な使い魔はそのまま両断し、被害者を魔法の布に包んで保護している。このままいけばヒロイックが場を制圧するのも時間の問題だった。

 ネガに奇襲されでもしない限り。


「だから貴女は周囲の警戒をお願い――――「ヒロさん、誰に話しかけてるんですか?」


 声を掛けた反対方向から、弟子の声が飛んできた。ヒロイックが振り返った、先。

 ジャリ、と鈍い音がした。

 英雄の頬から一筋の赤い線が走る。足元から射出された鎖が弾いたナイフが遥か背後に飛んで行った。蒼面の少女が怯えた目で肩を震わせていた。右目が奇妙に大きく、左目が不自然に小さい。

 そして、不安定な一本足。


(ネガ)


 蒼面の怪物が飛び退く前に、ヒロイックの足技が一本足を払った。口から放たれる数本のナイフを、背後に下がりながら掴み取る。


「無事!?」

「あたしは平気です!」


 このまま回避していたらスパートに直撃していた可能性があった。まだ保護していない人たちに当たる危険も無視出来ない。


(ネガは)

「ヒロさん、後ろ!」


 回し蹴り。一本足の少女が横なぎに吹っ飛ばされる。逃げられるが、深追いはしない。行動パターンが掴めれば対策は練れる。守るべきものの安全を確保して、確実に仕留める準備を。


「……よくネガの攻撃に気付いたわね」

「魔力が動いた感じがしたんです。一度目はネガだって分からなかったけど、分かれば動きは掴めますよ!」

「貴女、感覚が鋭いとは思っていたけど……頼りになるわ」


 ヒロイックは視界を広げた。一本足のネガではない、別の魔力を感じた。候補としては、マギアか。警戒を強めた次の瞬間。


「で――――りゃあ!!」


 スパートが勢いよく振り返った。剣の一閃がナイフを弾く。しかし、それだけではなかった。


「いけない」


 蒼面の、まるでゾンビのような。そんな白衣の一団が医療用のメスによる波状攻撃を放つ。使い魔だ。鎖がスパートを包む。



「――――リロードッ!!」


 ネガの横合いから、凄まじい勢いで突っ込んできた灰色のマギア。身を固めるヒロイックが鎖を呼び戻す。自身が弟子を庇う盾に。


「クラッシュキャノン!!」



 ネガと使い魔どもがまとめて爆散した。結界が水のように溶けだしていく。マギアへの変身を解いた灰色と緑のマギアたち。ヒロイックだけは鋭い目線のまま、乱入者の動きを観察し続ける。


「あれ? ヒロさん、あの子味方じゃないの?」

「俺はマギア・トロイメライ。高梁のマギアだ」


 気安い口調で、あやかはさっきのネガが落とした魔力飴ヴィレを投げ渡した。受け取るヒロイックが変身を解く。さりげなく寧子の前に出て、視線で動きを牽制する。

 あやかは両手を上げた。


「敵対するつもりはない。これから挨拶にも行こうとしてたしな。まあ……ネガが出てきちゃって放っておけなかったもんでさ」


 タイミングが悪かった、とあやかは苦笑する。


「…………。ふぅん、正義感が強いのね」


 ヒロイックが魔力飴ヴィレを投げ返した。戻されるとは思っていなかったあやかが慌てて受け取る。その様子を見て、ヒロイックが緊張を解いたかのように微笑んだ。


「ふふ、貴女が倒したんだから報酬は大事にしなさい。私はヒロイックで、この子がスパート。助けてくれてありがとうね」


 柔和な笑みを浮かべる。快活に笑う寧子と握手したあやかは照れ臭そうに笑った。


(あれ、思ってたよりずっと友好的じゃ……?)


 英雄ヒロイックなら話は通じる。だからそのテーブルにどう着かせるか。そう考えていたあやかが拍子抜けする。


「ごめんなさい。私たち、今日はこれから用事があるの。日を改めてお話するってことでもいいかしら?」

「あはは、お願いします!」


 きょとんとする寧子を、ヒロは強引に引っ張っていく。


「その時は――――――――後ろの子も一緒に、ね」


 あやかの表情が固まった。ヒロイックの微笑みは崩れない。その様子が、余裕の表われだった。彼女たちの姿が見えなくなった後、あやかは冷や汗を拭いながら振り返る。


「……真由美、いる?」

「いるわよ」


 ぴょこん、と植え込みから顔を出したお嬢様。果たしていつからいたのだろうか。細い身体で乗り出してきた少女に、あやかは額を押さえた。


「いるならいるって言えよ……」

「アンタが速過ぎて追いつけなかったの」


 むっとする真由美。前途多難な道のりを予感してあやかは苦笑した。

 それでも。そんな道のりでも、きっと二人なら。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る