メルヒェン・サーガ

【メルヒェン、夢を叶える物語】



輪廻の『ボア』


このネガは「渇愛」の性質を持つ。

人のカルマは愛の循環だった。

愛は執着であり、あらゆる苦しみの根源でもある。

人智を超越した自己顕示欲は皆苦を引き受けるため。

女神とは別方面での救世主でもある。

求められること、欲せられること。それがこのネガの全て。






 黒の汚泥がモノクロ世界に拡散する。泥沼に屹立する漆黒の巨人が両腕を広げた。降り注ぐ泥の雨。巨人の周囲に浮かぶ六つの眼球がマギアを見下ろしている。

 真由美は健気に睨み返した。

 輪廻のネガの精神汚染。覚悟を胸に戦う真由美だが、この空間にいるだけで消耗が激しい。魂が蝕まれる。それでも、もう逃げないと決めたのだ。


「感謝しているのは本当よ。貴女が協力してくれて助かった。もうここまで来たらあの人が危険に晒されることはない。もう戦う必要はない。戦わなくていいの。あとはアリスに任せれば、それで」


 妄言が意図せず口から漏れる。

 正気か、狂気か。判断がつかなかったので、真由美は考えるのを止めた。目の前にネガがいる。だから、倒す。シンプルでいい。


「来る」


 黒い泥波から無数の触腕が伸びた。まるで津波のような脅威を水色の光が弾いた。刀を正中に、真由美が前に出る。


「私がやるんだ」


 覚悟を口に。想いをブラすな。

 巨人の頭部に周遊する、三ツ瞳が凝り固まった眼球を見る。周囲の六眼は迷いの六道、即ち世界そのものブラフマンだ。一方、三つの瞳が固まるあの唯一無二の眼球。それこそがネガの真奥、自己そのものアートマンだった。


「梵我一如――――これらの本質は一致する」


 見通しのフィールドスコープから目を外す。世界であり、個でもある。それが輪廻のネガの正体。

 水色の閃光がアートマンを穿つ。だが、その攻撃は僅かに傷を残しただけ。溢れ出す泥を潜り抜け、真由美が駆ける。


「……ダメージ、入ってる?」


 狂気を抑えながら放った一言に、自分の耳が反応した。


「高月さんを何とかしないとどうにも。でも、ネガ本体を倒すことは可能なはず」


 自問自答を続けていないと、自我が世界に埋もれてしまいそうだった。『あやか』はこの汚泥の中で戦ってきたのだ。

 嘆きが、呻きが、叫びが。輪廻の業が襲い掛かる。泥沼の持久戦。真由美がつけた傷口から溢れ出るソレは。


「終わりのあやか……?」


 真由美が笑う。このラストステージに至ってさえ道を阻んでくる。終わりの世界にて決着をつけてこなかった故に、か。真由美は自嘲気味に笑う。ほんの少しの余裕が覗いた。あやかの相手は慣れている。


「行って。うん。前に――――行こうッ!!」


 ロード魔法で加速する真由美を、終わりのあやかが迎え撃つ。その心臓を水色の一閃が両断。終わりのあやかが増殖する。色付く魂が煌めきを纏う。

 橙と緑と赤と黄と黒。

 彼女たちを『偽物』と侮って、果たしてどれほどの辛酸を舐めさせられたか。


「確かに、これは私の因果でもある」


 トロイメライの物語は、同時にメルヒェンの物語でもあった。彼女たちの掲げる意志の力はその身に染みている。だから、完全に自我を飲まれた彼女たちにもはや意義はない。引導を渡してやるために、真由美は『創造』の魔法を展開する。

 そして。



「メルロ、お願い――――力を貸して」



 汚泥を振り払い、水色の魔本が浮かび上がる。真由美がその魂を投資した夢の形。欲の根幹。ネガに堕ちながらも自我を保ち続ける前例は、ずっと目の前にあった。だから、自分も、きっと。

 絵本の『メルロレロ・ルルロポンティ』。

 その性質は「夢想」、夢描く理想の世界への架け橋。

 開くページ。屹立するのは童話の女王。巨大な水色のマネキン、絵本のネガ。追従する紙の騎士使い魔たち。そして、真由美を囲う無数の白球。覚悟の顕現。

 可能性が、開花する。


「私の魔法は無限の可能性⋯⋯⋯⋯きっと、貴女にも届く」


 視界を封じる無数の泡を大量の白球が相殺する。水色の蜃気楼が真由美の分身を作り、伸びる鎖を女王の両腕が引き千切った。赤い火炎を水色の火炎で相殺し、騎士たちが突撃する。


「届かせて、みせる⋯⋯ッ!!」


 漆黒の巨人が腕を伸ばした。マネキンの両腕が迎え撃つ。巨体同士の組み合い。女王の頭の上に立つ真由美が真正面を見据えた。


「私は、前に進むよ」


 灰色の魂。終わってしまった十番目のあやかが、巨人の頭上に乗っていた。傷ついた終わりのあやかたちを緑の光が包む。空間を超えて殺到する脅威に、真由美は不敵な笑みを投げた。


「貴女が教えてくれた」


 無数の白球が煌めく。その一つ一つが無限の可能性を秘めていた。

 暴走ではなく、開花。大量の武器と無数の魔法。『創造』の極致が花開く。

 込める想いを自在に奏でる。情念の濃淡。あの神里の英雄が掴んだ極意に匹敵する魔法捌き。


「戦うよ、どんなに苦しくても」


 今までの経験。死闘の数々。それらは真由美の中にも根付いていた。この結界に招かれた時よりも、ずっとずっと強くなっている。


「私の夢は私のもの。私自身が勝ち取らないと」


 表層に振り回されず、きっちりと本質を見定める。


「そうやって、私は初めて貴女の隣に立てるのだから」







 憧れを憧れのまま大事に抱くか。

 それとも憧れを夢に昇華するか。


「私は、欲しいの。はしたなくて、欲張りさんなのかもね」


 夢に描くだけでは止まれなかった。だから、大道寺真由美は魔法を手にしたのだ。夢見るお嬢様ではない。ままならない現実を夢想に塗り潰す強欲の力を。


「そう感じたのは、きっと高月さんのおかげ」


 彼女はいつだって手を伸ばし続けていた。そんな背中を見てきたから、きっと自分もなんて、そんなことを。


「伸ばせば届くわけじゃない。でも、届かなくても伸ばし続けるの」


 そうやって戦ってきた少女がいた。彼女と友達になれた。うまくいかない。だからなんだ。自分の夢を掴むことに、終わりなんてない。

 物語は自分で紡げ。

 憧れの相手にも譲らない。

 時よ止まれ、おまえは美しいフェアヴァイレドッホ。魔法の呪文を口ずさむ。想いの結実を魔法と紡げ。胸を張って前に進むんだ。


「私は夢心地メルヒェン。私の物語の主人公よ」


 さあ。

 決して終わらない夢物語メルヒェン・サーガの続きを紡ごう。







 橙、緑、赤、黄、黒。


「私の、魔法は、なんでも、できる」


 散っていった色々を背に真由美は進む。両手を握って、静かに開く。陽炎の分身たちが戻ってくる。渦巻く情念の力を感じた。魔法の隅々まで情念を行き渡らせ、込める濃淡で最大効率を発揮する。神里の英雄との死闘を想起する。

 『偽物』との『本物』のぶつかり合い。それら全てをかてに想う。


「ありがとう」


 魔法、それは現実を歪める情念の力。

 『創造』の固有魔法フェルラーゲンは、自らの夢の形。


「貴女たちの想いに触れてきたから、きっとここまで強くなれた」


 自然と口元が綻んだ。


「終わりのあやか――――思えば、良い好敵手だったわね」


 私を勇者ヒーローにしてくれた。

 幻想譚メルヒェンを、ありがとう。

 だから。


「今は、もう――――私の方が強い」


 モノクロの少女は拳を握り、真っ正面から突っ込んでくる。いつだってそうだ。こんな風になっても、真っ直ぐに、一直線に。


「ロード」


 灰色の道と水色の道が交錯する。真っ二つにへし折られた刀身を投げ捨て、真由美は水色の小銃を握る。


「手順を複製、リロード」


 弾丸の嵐。多少の被弾は覚悟の上でモノクロ少女が突貫する。絡み取る水色の鎖。英雄の『束縛』は、トロイメライが最も苦手にした固有魔法フェルラーゲン。少女たちは鎖に繋がれ合う。


「来なさい」


 拳撃。真由美は力をいなすが、膨れ上がった拳撃の威力に頬が裂けた。噴き出す鮮血を水色の光が塞ぐ。真由美が小さな手を拳と握った。

 繋がれた鎖は運命の象徴。溢れる火炎に身を焦がしながら、少女と少女は踊り狂う。肉迫するインファイト。手足のように操る『創造』の魔法が、モノクロ少女と互角の領域にまで押し上げる。


「これが私の意志」


 こじ開けた一瞬の隙に斬撃を見舞う。吹き飛んだ右腕を再生する間もなく、少女剣士の次撃が煌めいた。


「決着を――――」


 正眼喝破せいがんかっぱ。心臓ごと煤けた魂を貫いた。貫いた刀を抱えたまま、終わりのあやかが泥と溶ける。漆黒の巨人が咆哮を上げた。地獄巡りの恨み節がこだまする。

 漆黒の汚泥と無数の触腕。

 吸い上げられるカルマの滝登りを見上げる。

 恐るべき光景だった。だが、滅びの神話に匹敵する凄惨さも、夢見がちな少女に与えたのは虚無だけだった。そこには、恐怖も畏れもない。


「貴女は………………そうじゃないでしょ」


 太陽のような煌めきを。


「……高月さん、本当の貴女を取り戻す」


 飛来する刀を受け取った。視線を向けると、十番目の『偽物あやか』が贈る静かな笑みが。魂を犯す汚泥波は紙の騎士たちが引き受けている。魂の半身たる女王が最期の力を振り絞って巨人の動きを止めていた。


(夢のようね)


 こんなにも祝福されている。求められている。巨大なマネキンの背を、水色の少女が駆け上がった。マギアに六眼の死線が注がれる。だが、少女はもう惑わない。ここまで散々狂わされた故に、ようやく掴んだのだ。


(私が……なりたかったもの)


 みた。見た。視た。

 いろいろなもの。色々カラフルな煌めき。魔法の冒険物語は、メルヒェンの夢の成就に他ならない。

 魂を、刃に乗せて。

 少女は刀の柄を力いっぱい握り締めた。



「いっっけぇぇええええええええ――――ッッ!!!!」



 魂の咆哮。『創造』の魔法が刃を七つに分けた。迷いの六眼を一手に打ち砕き、そして、世界に同化するアートマンをこの手で。

 輪廻のネガが断末魔を上げた。

 人の悲鳴。怨嗟の連鎖。あらゆる負の感情が噴水になって降り注ぐ。それでも、夢を掴んだ少女は前に進んだ。

 泥も。

 腕も。

 眼も。

 全てが結界に溶けて潰える。その瞬間に少女は理解した。本質的自我であるアートマンを滅ぼさなければ、魔法も呪詛も止まらない。拳を握り、爛々と威光を放つあの漆黒の魂の煌めきを。


「高月さん」


 憧れは、目の前に。手を伸ばせばきっと届く。駆けろ。駆け抜けろ。その先に、呪詛ネガに堕ちてすら手に入らなかった『本物』の欲がある。



 精神汚染の濁りが抹消されたのを実感した。

 今度こそ混じり気のない覚悟を口にして――――


















 そして、最後の壁が立ちはだかった。

 翼を生やした白ウサギが口を開く。ぞわりと、魂が騒めく感覚。囁きの魔力に真由美は膝から崩れ落ちた。


「メフィストフェレス………………?」


 彼女は知らなかった。どこまでも孤高なヒーローが、唯一相棒とした始原のαを。囁きの悪魔と本質を同一にし、しかし存在を異ならせる情念の怪物を。


「いまさら、お前がノコノコ何を⋯⋯「?」


 囁きの魔力だけではなかった。白ウサギの得体の知れない威圧感に下がらされた。彼の覚悟は真由美にも劣らない。


「ぐ⋯⋯っこと、ばを!?」


 囁きの魔力。そして、その、な外見。真由美は自分の知らない真実の存在を感じた。


「僕は、僕こそが『あやか』の隣に在る」

「へ、ぇ⋯⋯因果な、ものね」


 仔細はさっぱり分からない。それでも、本質は察せられる。


(こんな馬鹿げた恋敵なんて、とんでもない⋯⋯!)


 妙な意地で精神を立て直す。立ち塞がる白ウサギには、直接的な戦闘力はないはずだ。


「どきなさい⋯⋯!」


 力強い信念が通る。


『これは、あやかとトロイメライの存在を賭けた戦いだ。部外者の君に割り込ませるわけにはいかない』


 聞き逃さないよう、逃げられないよう、脳に直接叩き込む。

 高月あやかと十二月三十一日あやか。その数奇極まる因果の糸に、果たして自分が割り込めるのか。


「違う」


 そんな逡巡は、ほんの一瞬だった。



 宣言する。重い足を一歩一歩引き摺る。前に進む。『本物』と『偽物』の存在を賭けた死闘。そこに割り込む理由なら、ずっとずっと在ったのだ。


「私は、お前なんかよりずっとあの人の背中を見てきた。アイツの苦悩する姿も見てきた。図々しいのはお前よ、化けウサギ⋯⋯お前なんかより! 私はッ! ずっと――――ッ!!」


 涙が溢れる。感情が止まらない。翼を生やした白ウサギは、人と変わらぬ情念を獲得しているようだ。それでも、少女の夢物語が劣ることはない。


「メルヒェン」

「メフィストフェレス、お前はそこで見ていればいい」


 少女が悪魔の囁きを振り切った。凝り固まった汚泥の山の上、眼下には二人のあやかがぶつかり合っている。トロイメライが押されているのは一目で分かった。



「今、行くわ――――――⋯⋯⋯⋯」


 今度こそ隣に。

 今度こそ対等に。

 友達は、助け合わなくては。

 

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