メルヒェン・サーガ
【メルヒェン、夢を叶える物語】
輪廻の『ボア』
このネガは「渇愛」の性質を持つ。
人の
愛は執着であり、あらゆる苦しみの根源でもある。
人智を超越した自己顕示欲は皆苦を引き受けるため。
女神とは別方面での救世主でもある。
求められること、欲せられること。それがこのネガの全て。
♪
黒の汚泥がモノクロ世界に拡散する。泥沼に屹立する漆黒の巨人が両腕を広げた。降り注ぐ泥の雨。巨人の周囲に浮かぶ六つの眼球がマギアを見下ろしている。
真由美は健気に睨み返した。
輪廻のネガの精神汚染。覚悟を胸に戦う真由美だが、この空間にいるだけで消耗が激しい。魂が蝕まれる。それでも、もう逃げないと決めたのだ。
「感謝しているのは本当よ。貴女が協力してくれて助かった。もうここまで来たらあの人が危険に晒されることはない。もう戦う必要はない。戦わなくていいの。あとはアリスに任せれば、それで」
妄言が意図せず口から漏れる。
正気か、狂気か。判断がつかなかったので、真由美は考えるのを止めた。目の前にネガがいる。だから、倒す。シンプルでいい。
「来る」
黒い泥波から無数の触腕が伸びた。まるで津波のような脅威を水色の光が弾いた。刀を正中に、真由美が前に出る。
「私がやるんだ」
覚悟を口に。想いをブラすな。
巨人の頭部に周遊する、三ツ瞳が凝り固まった眼球を見る。周囲の六眼は迷いの六道、即ち
「梵我一如――――これらの本質は一致する」
見通しのフィールドスコープから目を外す。世界であり、個でもある。それが輪廻のネガの正体。
水色の閃光がアートマンを穿つ。だが、その攻撃は僅かに傷を残しただけ。溢れ出す泥を潜り抜け、真由美が駆ける。
「……ダメージ、入ってる?」
狂気を抑えながら放った一言に、自分の耳が反応した。
「高月さんを何とかしないとどうにも。でも、ネガ本体を倒すことは可能なはず」
自問自答を続けていないと、自我が世界に埋もれてしまいそうだった。『あやか』はこの汚泥の中で戦ってきたのだ。
嘆きが、呻きが、叫びが。輪廻の業が襲い掛かる。泥沼の持久戦。真由美がつけた傷口から溢れ出るソレは。
「終わりのあやか……?」
真由美が笑う。このラストステージに至ってさえ道を阻んでくる。終わりの世界にて決着をつけてこなかった故に、か。真由美は自嘲気味に笑う。ほんの少しの余裕が覗いた。あやかの相手は慣れている。
「行って。うん。前に――――行こうッ!!」
ロード魔法で加速する真由美を、終わりのあやかが迎え撃つ。その心臓を水色の一閃が両断。終わりのあやかが増殖する。色付く魂が煌めきを纏う。
橙と緑と赤と黄と黒。
彼女たちを『偽物』と侮って、果たしてどれほどの辛酸を舐めさせられたか。
「確かに、これは私の因果でもある」
トロイメライの物語は、同時にメルヒェンの物語でもあった。彼女たちの掲げる意志の力はその身に染みている。だから、完全に自我を飲まれた彼女たちにもはや意義はない。引導を渡してやるために、真由美は『創造』の魔法を展開する。
そして。
「メルロ、お願い――――力を貸して」
汚泥を振り払い、水色の魔本が浮かび上がる。真由美がその魂を投資した夢の形。欲の根幹。ネガに堕ちながらも自我を保ち続ける前例は、ずっと目の前にあった。だから、自分も、きっと。
絵本の『メルロレロ・ルルロポンティ』。
その性質は「夢想」、夢描く理想の世界への架け橋。
開くページ。屹立するのは童話の女王。巨大な水色のマネキン、絵本のネガ。追従する
可能性が、開花する。
「私の魔法は無限の可能性⋯⋯⋯⋯きっと、貴女にも届く」
視界を封じる無数の泡を大量の白球が相殺する。水色の蜃気楼が真由美の分身を作り、伸びる鎖を女王の両腕が引き千切った。赤い火炎を水色の火炎で相殺し、騎士たちが突撃する。
「届かせて、みせる⋯⋯ッ!!」
漆黒の巨人が腕を伸ばした。マネキンの両腕が迎え撃つ。巨体同士の組み合い。女王の頭の上に立つ真由美が真正面を見据えた。
「私は、前に進むよ」
灰色の魂。終わってしまった十番目のあやかが、巨人の頭上に乗っていた。傷ついた終わりのあやかたちを緑の光が包む。空間を超えて殺到する脅威に、真由美は不敵な笑みを投げた。
「貴女が教えてくれた」
無数の白球が煌めく。その一つ一つが無限の可能性を秘めていた。
暴走ではなく、開花。大量の武器と無数の魔法。『創造』の極致が花開く。
込める想いを自在に奏でる。情念の濃淡。あの神里の英雄が掴んだ極意に匹敵する魔法捌き。
「戦うよ、どんなに苦しくても」
今までの経験。死闘の数々。それらは真由美の中にも根付いていた。この結界に招かれた時よりも、ずっとずっと強くなっている。
「私の夢は私のもの。私自身が勝ち取らないと」
表層に振り回されず、きっちりと本質を見定める。
「そうやって、私は初めて貴女の隣に立てるのだから」
♪
憧れを憧れのまま大事に抱くか。
それとも憧れを夢に昇華するか。
「私は、欲しいの。はしたなくて、欲張りさんなのかもね」
夢に描くだけでは止まれなかった。だから、大道寺真由美は魔法を手にしたのだ。夢見るお嬢様ではない。ままならない現実を夢想に塗り潰す強欲の力を。
「そう感じたのは、きっと高月さんのおかげ」
彼女はいつだって手を伸ばし続けていた。そんな背中を見てきたから、きっと自分もなんて、そんなことを。
「伸ばせば届くわけじゃない。でも、届かなくても伸ばし続けるの」
そうやって戦ってきた少女がいた。彼女と友達になれた。うまくいかない。だからなんだ。自分の夢を掴むことに、終わりなんてない。
物語は自分で紡げ。
憧れの相手にも譲らない。
「私は
さあ。
決して終わらない
♪
橙、緑、赤、黄、黒。
「私の、魔法は、なんでも、できる」
散っていった色々を背に真由美は進む。両手を握って、静かに開く。陽炎の分身たちが戻ってくる。渦巻く情念の力を感じた。魔法の隅々まで情念を行き渡らせ、込める濃淡で最大効率を発揮する。神里の英雄との死闘を想起する。
『偽物』との『本物』のぶつかり合い。それら全てを
「ありがとう」
魔法、それは現実を歪める情念の力。
『創造』の
「貴女たちの想いに触れてきたから、きっとここまで強くなれた」
自然と口元が綻んだ。
「終わりのあやか――――思えば、良い好敵手だったわね」
私を
だから。
「今は、もう――――私の方が強い」
モノクロの少女は拳を握り、真っ正面から突っ込んでくる。いつだってそうだ。こんな風になっても、真っ直ぐに、一直線に。
「ロード」
灰色の道と水色の道が交錯する。真っ二つにへし折られた刀身を投げ捨て、真由美は水色の小銃を握る。
「手順を複製、リロード」
弾丸の嵐。多少の被弾は覚悟の上でモノクロ少女が突貫する。絡み取る水色の鎖。英雄の『束縛』は、トロイメライが最も苦手にした
「来なさい」
拳撃。真由美は力をいなすが、膨れ上がった拳撃の威力に頬が裂けた。噴き出す鮮血を水色の光が塞ぐ。真由美が小さな手を拳と握った。
繋がれた鎖は運命の象徴。溢れる火炎に身を焦がしながら、少女と少女は踊り狂う。肉迫するインファイト。手足のように操る『創造』の魔法が、モノクロ少女と互角の領域にまで押し上げる。
「これが私の意志」
こじ開けた一瞬の隙に斬撃を見舞う。吹き飛んだ右腕を再生する間もなく、少女剣士の次撃が煌めいた。
「決着を――――」
漆黒の汚泥と無数の触腕。
吸い上げられる
恐るべき光景だった。だが、滅びの神話に匹敵する凄惨さも、夢見がちな少女に与えたのは虚無だけだった。そこには、恐怖も畏れもない。
「貴女は………………そうじゃないでしょ」
太陽のような煌めきを。
「……高月さん、本当の貴女を取り戻す」
飛来する刀を受け取った。視線を向けると、十番目の『
(夢のようね)
こんなにも祝福されている。求められている。巨大なマネキンの背を、水色の少女が駆け上がった。マギアに六眼の死線が注がれる。だが、少女はもう惑わない。ここまで散々狂わされた故に、ようやく掴んだのだ。
(私が……なりたかったもの)
みた。見た。視た。
いろいろなもの。
魂を、刃に乗せて。
少女は刀の柄を力いっぱい握り締めた。
「いっっけぇぇええええええええ――――ッッ!!!!」
魂の咆哮。『創造』の魔法が刃を七つに分けた。迷いの六眼を一手に打ち砕き、そして、世界に同化するアートマンをこの手で。
輪廻のネガが断末魔を上げた。
人の悲鳴。怨嗟の連鎖。あらゆる負の感情が噴水になって降り注ぐ。それでも、夢を掴んだ少女は前に進んだ。
泥も。
腕も。
眼も。
全てが結界に溶けて潰える。その瞬間に少女は理解した。本質的自我であるアートマンを滅ぼさなければ、魔法も呪詛も止まらない。拳を握り、爛々と威光を放つあの漆黒の魂の煌めきを。
「高月さん」
憧れは、目の前に。手を伸ばせばきっと届く。駆けろ。駆け抜けろ。その先に、
「私が貴女を倒す」
精神汚染の濁りが抹消されたのを実感した。
今度こそ混じり気のない覚悟を口にして――――
「そうはさせない」
そして、最後の壁が立ちはだかった。
翼を生やした白ウサギが口を開く。ぞわりと、魂が騒めく感覚。囁きの魔力に真由美は膝から崩れ落ちた。
「メフィストフェレス………………?」
彼女は知らなかった。どこまでも孤高なヒーローが、唯一相棒とした始原のαを。囁きの悪魔と本質を同一にし、しかし存在を異ならせる情念の怪物を。
「いまさら、お前がノコノコ何を⋯⋯「いまさら?」
囁きの魔力だけではなかった。白ウサギの得体の知れない威圧感に下がらされた。彼の覚悟は真由美にも劣らない。
「僕は最初から居たさ」
「ぐ⋯⋯っこと、ばを!?」
囁きの魔力。そして、その、個性的な外見。真由美は自分の知らない真実の存在を感じた。
「僕は、僕こそが『あやか』の隣に在る」
「へ、ぇ⋯⋯因果な、ものね」
仔細はさっぱり分からない。それでも、本質は察せられる。
(こんな馬鹿げた恋敵なんて、とんでもない⋯⋯!)
妙な意地で精神を立て直す。立ち塞がる白ウサギには、直接的な戦闘力はないはずだ。
「どきなさい⋯⋯!」
「どかない」
力強い信念が通る。
『これは、あやかとトロイメライの存在を賭けた戦いだ。部外者の君に割り込ませるわけにはいかない』
聞き逃さないよう、逃げられないよう、脳に直接叩き込む。
高月あやかと十二月三十一日あやか。その数奇極まる因果の糸に、果たして自分が割り込めるのか。
「違う」
そんな逡巡は、ほんの一瞬だった。
「私が始めた戦いだ」
宣言する。重い足を一歩一歩引き摺る。前に進む。『本物』と『偽物』の存在を賭けた死闘。そこに割り込む理由なら、ずっとずっと在ったのだ。
「私は、お前なんかよりずっとあの人の背中を見てきた。アイツの苦悩する姿も見てきた。図々しいのはお前よ、化けウサギ⋯⋯お前なんかより! 私はッ! ずっと――――ッ!!」
涙が溢れる。感情が止まらない。翼を生やした白ウサギは、人と変わらぬ情念を獲得しているようだ。それでも、少女の夢物語が劣ることはない。
「メルヒェン」
「メフィストフェレス、お前はそこで見ていればいい」
少女が悪魔の囁きを振り切った。凝り固まった汚泥の山の上、眼下には二人のあやかがぶつかり合っている。トロイメライが押されているのは一目で分かった。
「今、行くわ――――――⋯⋯⋯⋯」
今度こそ隣に。
今度こそ対等に。
友達は、助け合わなくては。
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