トロイメライ・トゥルーエンド

【トロイメライ、『終わり』を『本物』に】



 トロイメライ、モノクロの魂。

 魔法の性質は『反復』。ありもしない虚構の幸福を、それでも決して離さないという決意の表れ。全てが『偽物』であっても、自分の中の『本物』だけは疑えなかった。

 欲の根幹は『渇愛』。求められたい、必要とされたいという承認欲求の昇華。手を伸ばされ、視線を注がれる。誰よりも強く自我を持ちながら、決して他者無しには成立しない矛盾存在。

 悩み、苦しみ、傷ついた。その果てに選んだ結果だからこそ彼女の存在には意味がある。

 そこにあるのは、『本物』と『偽物』の区分を超えた真実。


 十二月三十一日あやか。

 投資した夢は、「この幸せな時間を、何度でも繰り返したい」。







 世界が崩壊を始める。

 崩れ落ちる世界の中、残されたのはたった二人。


『よく、ここまで辿り着いたね』

「やっと、ここまで追い付いた」


 あやかとαが並び立つ。


「お前の負けだぜ、α」

『そうだね。これが挫折というやつか、悔しいよ』


 あちらこちらで大地が虚空へと消え落ちていく。残された時間をどうするか。両者ともにやるべきことは全て終えていた。


「で、そこらに転がっているお仲間さんはいいのか?」


 あやかを取り囲んでいた白ウサギたちはぴくりとも動かない。まるで糸の切れた操り人形のように。


『彼らは僕のクローンをロボトミーで操っていただけだ。生きてはいるけど意志も感情も、合理性すら持ち合わせていない』


 ずっと暗躍していたメフィストフェレスたちの絡繰りも、真相はそんなものだった。酷いことをする、とあやかは非難した。


「それが情念の怪物である彼らメフィストフェレスの本質だからね。想いのままに暴れるだけ。そこに手段の是非はない。虚々実々、理不尽だね」


 自分のことを棚に上げながらαは笑った。大地が崩壊する音が響く。世界の終わりが迫っている。あやかは気になっていたことを口にした。


「お前には感情があった。意志があった。だから、輪廻のネガに手を貸した理由があるはずだ」


 真由美から『あやか』のことは聞いた。だが、真由美はαのことなど一言も喋らなかった。彼女自身も気付かなかった、予想だにしなかった。


『そんなこと聞いてどうするんだい?』

「言ってみろよ」


 αからの思念が止まった。自身が自覚していないその理由を、あやかだけは見抜いていた。だから会心の笑みを浮かべる。


「説明出来ないだろ?」


 目をぱちくりさせるα。あのワクワクは、胸が高鳴る想いは。本人にも説明出来ない。

 人間だってそうなのだ。感情を説明することなんて出来ない。突き動かされる激情、理不尽なまでの渇きは。


『僕は』「…………ただ、見届けたいだけだった」


 口に出さなければ、何もかも嘘になってしまいそうで。

 だからウサギは口を開いた。囁きの魔力が世界に浸透する。

 あの破天荒な少女の行く末を。その道程を。あやかは静かに笑った。素直に話を聞いて良かったと感じる。


「お前の気持ちは、きっと憧れだよ。高月あやかというヒーローのファンになったんだよ」


 人を惹きつけて止まない圧倒的なカリスマ。ヒーローであり、主人公。αも本質的なところは真由美と同じだったのかもしれない。焦がれる程に憧れ、惹きつけられた。


「凄いんだな――――高月あやかって」


 自分のオリジナルは、と。

 あやかは少し複雑な気持ちだ。喜んでいいのか、羨めばいいのか。


『うん。あの子の力は計り知れない。人の身に有する因果以上の力を発揮している。きっと、女神にも届くはずなんだ』


 全ての情念の救いとなる女神アリス。

 あの目映き純白の救済の光に。


「だからお前はどこか不満そうなのか」


 首を捻るα。あやかは笑った。高月あやかは一度、叶遥加に負けている。反撃の準備といいつつ、つまりは安全な結界に引き籠もっているだけなのだ。


「お前は、そんな風に燻っている姿を見ていたくなかったんだ」


 だから、終わりのあやかから離れた。『あやか』の計画から外れた。

 アリスクローン、それは彼にとっては一つの希望だったのかもしれない。


『……君は彼女のことを侮り過ぎだよ。逃げっぱなしで終わるはずはない。あの子の力は現に宇宙の理すらねじ伏せている』

「ムキになんなよ」


 噛み付かれた。甘噛みみたいな威力にあやかの口元が綻ぶ。妙な愛嬌を感じて、翼を生やした白ウサギを両腕いっぱいに抱き締めた。


『……それを見届けられないのが、心残りだ』

「かもしれない。本当に、残念だったな」


 地響きが段々近付いてくる。登場人物が残されたこの場所こそが世界の中心だった。ウサギを抱き締めながら、あやかは仰向けに横たわった。指先一つ動かすのが億劫になるほど消耗していた。


『そうでもないさ…………君の戦いを見られたからね』


 はっとしてあやかは頭を起こす。今、αは何を言ったのか。


『使い魔の身でありながら、ここまで辿り着いた。運命のレールから外れてなお戦い続けた。そして、勝ち取った。驚嘆に値する。君の物語をこうして特等席で見られたんだ。後悔はないよ』


 

 その言葉の真実を反芻はんすうする。

 ついに絶望の運命に打ち勝ったあやか。それが今更何一つ意味の無かったことだとしても。こうして誰かの心を動かした。あの星満つる空の下で心を交わした少女のように。


「無駄じゃなかったんだな」

『無駄だったさ、何もかも』

「でも、ドキドキしたろ」

『うん、ワクワクしたよ』

「無駄じゃなかったじゃん」

『……そうかもしれないね』


 滅び落ちる世界の中心。あやかは大の字で倒れ込む。萎んでいく星空を見ながら、やがて目を瞑る。


『そうか。僕は、君のファン一号になったんだ』

「冗談。二号だよ、お前は」


 一番は、捧げたい少女がいる。

 人を惹きつけ、魅せつける。

 そんなヒーロー、主人公に。

 あやかは、憧れた。



――――閃光が降り注ぐ。







――――初めまして、でいいのかな?


 溢れた光の世界で、あやかは声を聞いた。慈愛に溢れた少女の声。この声は何度か聞いたことがある。


「アリス……?」


 壊れた世界の隙間から光が差し込む。それは奇跡の権化。


――――うん。ごめんね、今まで出て来られないで。


 この世界は、やがて完全に崩壊して輪廻のネガの結界に統合される。そうなれば女神の光は届かない。しかし、ヒビ割れて独立した崩壊寸前の世界ならば、外から干渉しうる余地がある。

 誰も予想だにしなかったであろう事態。それは、最後まであやかが足掻いたからこそ。そして、女神アリスが最後まで諦めなかったからこそ。奇跡の対面にあやかは笑った。


「今更出てきてどうすんだよ」

――――この世界を経由して『あやか』ちゃんと接触する。


 全てを覆す神の光。救済の女神も、きっとただ黙って見ていたわけではないだろう。付け入る隙を狙っていた。恐らくは、高月あやか本人のために。


――――私は、希望を絶対に諦めたくない。

――――人の想いが泥沼に落ちないように救ってみせる。


 感情の奔流が伝わってくる。女神アリスは世界の法則として、情念の結末を幾度となく見届けてきた。その数は囁きの悪魔をも越えるだろう。その中には、あやかがとして接してきた彼女たちも。

 全ては叶遥加の物語。

 これはきっとその一部なのだ。そんなことを考えて、あやかは静かに首を振った。


「真由美のところに辿り着くって約束したんだ」


 でも。だって。それでも。

 これはあやかの物語でもあったはずだ。それを譲りたくない。縋るような矮小な祈り。それでも、アリスは頷いてくれた。あやかの挑戦を受け止める。きっと彼女はそのために最後の接触を果たしたのだ。


――――真由美ちゃんのこと、助けてあげてね。


 アリスはにこりと笑いかける。

 あやかも笑って返した。


「おう、一緒に戦おうぜ!!」


 独りじゃなくて一緒に。それはきっと、あやかにはあって『あやか』にはないもの。願いを胸に、あやかは前に進み続ける。

 光が、晴れていく……







――――助けて


 声が聞こえた気がした。ぱっちりと目を開けたあやかが勢いよく起き上がる。


『どうしたんだい? 君の身体ももう限界だ。安静にすべきだよ』


 果てすら見える程に崩壊は進んでいた。音もなく、少しずつ砂のように削り落ちる。残された二人しか音を発するものはない。世界の終わりは秒読みだった。


「すごいこと思い付いた」


 全ての決着はこの世界の外でつくだろう。あやかが出来ることもなく、むしろ全てをやりきった。だが、まだ終わらせない。『本物』トゥルーエンドへ至るために。

 首を傾げるαに、あやかは笑って言った。



αアルファ――

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