ジョーカー・エンド

【ジョーカー、終わり】



 マギア・ジョーカー、黒に揺らぐ魂。

 魔法の性質は『時空』。外の世界を受け入れられない歪な精神性の発露。自分の世界に引き籠もるあまり、世界がいくら歪もうとも心は動かなくなった。

 欲の根幹は『妄執』。大切な唯一にのみ固執する異常性アブノーマル。その世界観を現実世界に通すため、心の全てを強制的に共振させる。徹頭徹尾、彼女は自分の世界だけに生きてきた。

 幸運だったのは、見つけた光が『本物』だったこと。

 不幸だったのは、見つけた光に並ぼうとしたこと。


 暁えんま。

 投資した夢は、「光に対なす影となること」。







 女神アリスの欠片、叶遥加。

 純白の少女は頂に立つ。えんまはちらりと背後を見た。崩れかけたハートが弱々しい脈動を続けている。肉体もネガも極限に至っていた。

 叶遥加はαの前に立ちはだかった。決意を秘めた彼女がえんまに背を向ける。視線の先には、翼の生えた白ウサギ。


「うん、私はこの世界のため……彼女たちのために戦う」


 終わりのあやかの生きていける世界を。

 自己犠牲。そんな軽い言葉では片づけられない重い覚悟。全てを背負い進んでいく。そんな姿は人を惹きつけてやまないだろう。彼女こそが主人公。


「遥加、やっぱり貴女は……」


 光を失いつつある目で、その光景を見上げる。アリスの欠片を挟んだ向こう側、始原のαと目が合った。その口元が歪む。

 えんまは、右手に掴む凶器を強く意識する。

 複製クローンアリスから託された物、最期の白矢。

 このまま撃てば遥加に当たる。これはαの策略だった。理解してこの立ち位置を取っている。感情を理解し、愛情を利用する。人は大切な人を壊せない。



 囁きの魔力が魂を浸食する。

 空気が震える。アリスの欠片が口を開いたのだ。まさに神話の創成。世界が祝福の声を上げている。その姿を、えんまは目に焼き付ける。



 ああ、とえんまは嘆息した。


(きっと…………これが、かつての私だったんだ)


 囁きの悪魔メフィストフェレス。

 囁かし、唆す。人の欲が生んだ情念の怪物。少女は自らの意志をねじ曲げられている。望まぬ結果を、望んだ願いで引き起こそうとさせられている。


「私は、この世界を」


 飾り物の翼は広がる。爆発的な純白の光。複製体とは比較にすらならない。それどころか、他のどんなマギアでさえ。



 素朴で、純真な、そして強靭な想い。

 それを聞いて、えんまは全ての逡巡をかなぐり捨てた。


(どんな貴女でも、遥加が、貴女らしく在れるために)

「だから――――――」




「ありがとう、えんまちゃん。信じてたよ」




 その心臓に、純白の矢が突き刺さった。


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯」


 表情が消えたαは、その光景を黙って見つめていた。

 口から血を吹き出して遥加が倒れる。即死だった。αは目前の光景が信じられない。有り得ないはずだ。愛する者を手にかけるなど、そんな心の動きが。


「つい最近感情に目覚めたばかりの奴が……何を理解出来たっていうの? 私は、彼女の幸福のためなら、本物だって殺してみせる」


 輪廻のネガに存在を支配された欠片アリスは、この世界を守るように動かなければならない。そして、αの囁きの魔力が彼女の意志すら縛る。

 しかし、彼女自身も気付いていた。こんな歪な世界は間違っている、と。だからこそ、この最終局面まで抵抗を続けた。


「……私は、だから。結局、遥加には勝てなかった。私はこの場に立つまで、大事なことに何一つ気付けなかったんだもの」


 本当に大切なものすら、妄執の闇に覆い隠してしまうところだった。

 αは何も言えない。理解出来ない。情念を獲得したが故に、より一層の衝撃を受けていた。


「アリスは望んだの。人の想いはその人のもの。みんなが大事な想いを持っている。現実を歪めて、想いを壊してしまわないように」


 世界が崩壊を始める。『終演』が倒れたことを、統括者マザーは本能的に感じていた。

 瓦礫の城が崩れる。遥加の死体が落ちた。震える身体で、えんまはしっかりと抱き止める。えんまは翼を生やした白ウサギを見上げた。しばらくして、情念の怪物は静かに口を開いた。



「――――――――僕の、負けだ」



 聞いた声に、えんまは何も反応を返さなかった。今はただ、愛しい少女の亡骸に残った熱を。崩れた大地に足を取られる。

 暁えんまは叶遥加を抱き締める。

 至上の『幸福』だった。


『君は、僕をどうこうするつもりはないのかい?』


 えんまは脳内に響く声を黙殺した。


『僕は君にとって仇にも等しいだろう。復讐の権利が君にはある』


 頭に囁く声。

 えんまは遥加の胸に刺さった矢を優しく抜き取る。純白少女の死に顔が、心なしか微笑んでいるように見えた。そんな二人の傍に情念の怪物が降り立つ。


?」


 えんまは鬱陶しそうに腕を振った。


?」


 そして、アリスの白矢で自身の両鼓膜を貫いた。もう、音は必要ない。悪魔の声は、もう、二度と届かない。この温もりだけあれば十分に『幸福』だった。


(貴女たちも――――こんな気持ちだったのね)


 答えを見つけた。やり遂げた。

 終わりのあやかたちを思い返す。彼女たちは、本当にこれでよかったのだ。今ならば自信を持って断言できる。この存在は偽りだから、間違いだから、『本物』の想いに殉じることができた。


「遥加」


 名前を呼んだ。

 心がこんなにも満たされる。


「ありがとう」


 日陰の人生が、ここまで激動のドラマに発展した。想いの限り生き抜いた。そして、最期にはこんなにも大切なものを手に入れられた。

 全ては、この少女との出逢いから始まった。

 えんまは視線を泳がせた。翼が生えた白ウサギがこちらを見つめていた。囁きの悪魔、いや、始源のαだったか。運命への誘い人にも礼を言おうと考え、やがてそんな義理なんてないと思い止まった。

 代わりに一言。



「ばいばい」


「    」



 何か言ってくれた気がしたが、もう何も聞こえない。

 偽りの世界が崩壊していく。星空がヒビ割れ、大地が崩れる。えんまは少女を抱き締める。


「遥加――――ずっとずっと、一緒よ」


 浮遊感。

 虚無へと落下する。強い引力を感じた。振り向いた先、遠くのトロイメライと目が合った。その魂の雄叫びは、もう、耳に入ることはない。だが、言葉は交わせなかったが、視線は交わせた。拳も交わしたのだから良しとしよう。


 落ちる。


 堕ちる。


 墜ちる。


 腕の中の感覚が無くなり、温もりだけが残った。

 自分の肉体が消えていくのを感じた。


 おちる。


 おちる。


 おちる。


 ただ、想いだけが――――



 溢れる情念だけが――――――⋯⋯⋯⋯








魂の煌めき。


偽りの存在は情念を有していた。故に、魔法を行使するに至った。

『偽物』の存在が、『本物』の想いを語る。

どんなものにも区切りが来る。エンドマークが打たれる時が来る。

終わりのあやかの物語は――――ここに完結した。





















 崩壊する世界。残された二人はようやく向き合った。


「よぉ」

『やぁ』


 あやかとα。

 この世界と深く結びついた二人は、共に崩壊を待つだけの身。

 『あやか』の物語にも、結末が迫っていた。

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