Kampf auf Leben und Tod――――Alice

【死闘――――アリス】



 ヒビ割れた星空が世界を見下ろす。終わりの世界の終わり。迷いの輪廻は崩壊へと進んでいく。そんな世界で繰り広げられる終わりの死闘。


「行くよ……!」


 純白の大弓が猛威を振るった。ロード魔法でえんまを攫っていったあやかは、矢を避け続けながら距離を詰める。

 そして、新たな白光。クローンアリスの同時攻撃。全てが欠片のように凄まじい魔力を有しているわけではないのが救いか。同じ肉体でも、精神の違いが如実に表れている。


「最初の一人以外は近付きゃいける!!」


 レーザーのような大弓をかわし、小さい矢を殴り落とす。


「油断、しないで。手数の多い相手は……苦手でしょう?」

「するかよっ!」


 あやかにおぶさりながら、えんまは引金を引く。銃声が光を散らした。


「いいのか?」

「アレは、遥加、じゃない」


 次々と倒れていく純白少女たち。その中央に聳え立つアリスが鋭くえんまをめつける。


「――――貫け!」


 大弓が引かれた。ロード魔法の機動力でもかわしきれない。あやかが腕を前にして飛び出す。盾になった彼女の後ろで、えんまの小銃がアリスを襲った。


「あぐ……っ」


 片腕に被弾して攻撃が止まった。瓦礫の山に突っ込んだあやかがリペアで再生する。怯んでいる暇は無い。直ぐさま立ち上がり、距離を詰める。二対一なら勝てない相手ではない。

 だが、加速しようとしたあやかに飛来した物体は。


「避け――――ッ!?」


 えんまの悲鳴は間に合わない。何の因果か、ヒロイックが住んでいたタワーマンションがそのまま突っ込んできた。どうやら根元から引き抜かれたようだった。その膨大な質量の塊が、あやかを横殴りにする。

 不意をつかれて反応出来ない。身体中から血を吹き出し、遠くまで飛ばされる。


「あやか……!?」

「逃がさないよ!」


 純白の閃光。あやかを追おうとするえんまを阻む。逃がすつもりはない。一騎討ちだ。大弓と小銃、互いの信念の形を向け合う。



「その子はね、特別なんだよ」



 積み重なった瓦礫の城の上。叶遥加。まるで決闘見届け人のような、そんな悲壮な決意に溢れている。彼女には、彼女なりの戦いがあった。


「その子は私の最初のクローン。ううん――私が物質的な肉体を獲得したのとほとんど同じに生まれた、双子のような子なんだよ」


 互いに構えを向けたまま動きが止まる。睨み合いの膠着状態。大弓を番えたアリスが静かに口を開く。


「……私ね、あやかちゃんの戦いをずっと見てきたの」


 終わりのあやかの戦い。

 喜びも、苦しみも、悲しみも、少女は見守ってきた。彼女が表舞台に出てくる決意を固めた時には、既に個としての人格が確立していた。


「貴女は、やはり遥加ではないのね」

「私は遥加だけど……ううん、やっぱりえんまちゃんの言うとおり。私は『私』なの」


 彼女は、終わりのあやかたちになにを想ったのか。それはきっと、本人でも説明できない。それでも。想い、考え、咀嚼してきた。

 その結果、一つの明確な答えを抱く。


「私はあの子たちを、嘘にはしたくない。この世界を終わらせたりはしない」


 だから、ここで、えんまたちを止める。

 この世界を守るために。生き様を示した彼女たちを守るために。


「この世界は、どうやっても、滅びる運命」

「滅びを…………どうして、そんなに簡単に受け入れるの」

「簡単、じゃない」


 そう。

 決して簡単ではなかった。

 もういい。十分幸せだった。そんな橙の言葉が脳裏に焼き付いて離れない。『偽物』の彼女たちは『本物』を見つけた。だからこそ、滅びのあるがままを受け入れる。その道は、遠く、果てしない。


「私たちは、きっと選んだ。この世界で、生まれ落ちて、何かを為した。滅びの結末に爪痕を残す。それが私たちの、存在した、証になる」


 白の少女は、首を横に振った。


「私なら、滅びを覆せる」


 大弓を引く少女は、遙かな頂を見上げた。女神アリスの存在の欠片。彼女が顕現させる『救済』の固有魔法フェルラーゲンならば、運命の破滅を打ち破れる。

 えんまは唇を噛んだ。

 不可能を可能にする力がある。情念で現実を塗り潰す魔法の力。新世界の維持は、この世界の続投を意味する。かつてはジョーカー自身も夢見た『幸福』。

 しかし。


「けど、私は、遥加のために……この世界を壊すわ」

「知ってる。強くなったよね、えんまちゃん。

 だから、私――――――――全力で戦うよ」


 全く同時に魔法が放たれる。

 黒の銃弾と白の一矢。

 ぶつかり合う意志と意志。






 マギア・ジョーカーは、マギア・アリスの大弓にたおれた。

 皮を被った彼女には、その時の記憶がかすかに残っている。いつまでも纏わり付く疑問。アリスはどうしてジョーカーを穿ったのだろうか。


――――ジョーカーは、囁きの悪魔の傀儡と化した


 それだけで、あの慈悲深い彼女がトドメを放つわけがない。彼女の視線の先には、いつだって救いの光が瞬いている。だから、どうして。その理由が分からない。


――――これが答えを探す旅なのだとすれば


 デザイアは自分の居場所を見つけた。

 スパートは自分の正義を掴んだ。

 デッドロックは自分の信念を取り戻した。

 ヒロイックは自分の願いを思い出した。

 そして、トロイメライは自分の答えに手を伸ばし続けている。


――――私にも、あるのだとすれば…………


 あの『救済』の大弓に乗せられた想いを。アリスの本当の想いを。確かに受け止めるため。そのものではない『偽物』であったとしても、内に抱く情念は受け継がれている。


――――私の、答えを


 終わりのあやか。未練ある情念の妄執。

 暁えんまが答えを見定める。






 右目を穿った白矢。浄化の光が傷を灼く。ネガの使い魔でしかないえんまにとっては、存在の根幹を浄化する『救済』の魔法は決定的な一撃だった。だが、撃ち負けたはずのえんまは動じない。滴る鮮血を無表情に舐め取った。


「私の勝ち、だよね……?」


 銃弾は遙か彼方に弾かれた。それでも、終わりのあやかの統括者マザーは決して揺るがない。見据える先に、同胞たちの旅路の果てに、彼女が探していたものがあった。


「そうね⋯⋯けど、敗北は、終わりじゃない」


 トロイメライは終わらなかった。どれだけ敗北を重ねようと、どれだけ打ちのめされようと。何度でも立ち上がって拳を握ってきた。

 そんな拳と合わせたのだ。

 えんまはぶつけた拳を前に伸ばす。


「アリス」


――――貴女トロイメライの宿敵で在れて

――――本当に良かった


「私が『本物』の死闘を見せてあげる」


 胸を張って誇れる真実を。

 蠢く欲が、洗練された情念に昇華する。



時よ止まれ、おまえは美しいフェアヴァイレドッホ――――道化狂いジョーカー



 えんまが白矢を掴む。引っこ抜いた矢尻に絡みついていたのは、眼球ではなかった。紫色の毒々しい球体が脈動を始める。眼窩から伸びる血の糸が、まるで血脈のようだった。


「アリス、


 悪魔の声。びくりと肩を跳ね上げ、アリスが次撃を番える。その様子を、えんまの残った左目がギョロリと覗く。不吉の眼孔。影の女が執念に揺れる。


「アリス、怯えないで」


 極大の白光が吸収される。紫の脈動が高まり、大きく震えて頭上に飛び出す。蠢く形状は、ハート。脈打つ姿はまるで心臓だった。

 紫。ハート型。心臓、マギアの急所。

 即ち、魂の象徴だった。脈動が血脈を束ね、肥大化していく。欲の、執念の、求めるほどに、震え、求め、震えて唸る。


「私の欲」

 脈動する。

「私の情念」

 脈動する。

「私は、貴女が、欲しい」

 脈動する。

「貴女に求められたい」

 脈動する。

「貴女に――――幸せになってほしい」


 純白の大弓が大地に墜ちる。アリスは震える手で拾い上げる。屈しない。この執念と欲の共振に。


「ネガに、けど……どうして…………っ」

「私の、遥加への、想い、故に」


 えんまが唇を噛み締めた。千切れた肉が血を滲ませる。情念が荒れ狂う。頭上に浮かぶ紫色のハート、その影響を最も濃く受けているのは暁えんま本人だった。


『驚くべきことだが、理不尽ではない』


 αが思念を飛ばす。

 えんまは、αの傍らに立つ白の少女を見上げた。


「……告白するわ、遥加。私は、貴女を、愛している」

『終わりのあやかの統括者マザーが、ネガと化しただけだ』






妄執の『トロイメライ・ハート』


このネガは「共振」の性質を持つ。

欲を震わせ、周囲の感情を湧き立たせる。

揺られ、肥大化した情念は、やがて魂を喰い破る。

このネガは使い魔を持たず、全てを自己完結する。

決して動かず、ただただ脈動する。

想いの限りを震わせる。それがこのネガの全て。






『ネガを具現しながらも自我を失わない。前例はある。そして、彼女は終わりのあやかの統括者マザーとして、その影響を最も受け続けてきた』


 だから動じるな、と。

 だが、アリスが大弓を引いた先にえんまの姿はなかった。ハートのネガが脈動する。同時、銃声が響いた。アリスたちが一斉にそちらを振り向く。えんまは空間跳躍でその一人の背後へ。小銃の銃身を握ってフルスイングで頭をかち割る。


「え……?」


 時間停止。再びえんまが消える。

 アリスが頭上に『救済』の弓矢を放った。時間も空間も貫通して光が降り注ぐ。脇腹を抉られたえんまが横倒しになった。

 心臓のネガが脈動する。アリスの何人かが発狂した。


「精神の、強さ……常軌の逸し方は、それぞれみたいね。みんな、愛狂しい」


 えんまが立ち上がる。使い魔の身に『救済』の魔法は劇薬だ。想像を絶する苦痛と、精神を掻き毟る脈動。魂を壊す攻撃に晒されながら、えんまは決して止まらない。


「わた、しが……貴女を…………!」


 譫言うわごとのように呟く。正気を失い、狂気に溺れ、それでも自分の信念は決して見失わない。


「つ! ら! ぬ! け!」


 『救済』の光が乱舞する。ネガの脈動に乱され、弓矢は狙い通りに飛ばなかった。とっくに『時空』の制御が壊れたえんまも、まともに照準を合わせられない。

 だが。

 えんまが吠えた。執念の獣。その魂の形を、ジョーカーはトロイメライに感じていた。執念を魂に添えろ。譲れないもの、ただそれだけのために。

 紫の心臓が脈動する。


「私は! 私、たちは! 戦ってきた! ずっと! 魂を賭けてきた!」


 最後の小銃を振り抜く。アリスの一人が倒れた。


「見てる、だけじゃ! 分からない! 私たちの! 賭けてきたもの!」


 ネガの脈動に精神を壊したアリスの首に、えんまの手がかかった。


「みんな! 魅せてくれた! だから私だって! 勝ち取ってみせる!」


 細い首を力任せにへし折る。αと視線が交錯した。互いに狙いが読めていた。


「アリスは! 強い! でも! 私は追いつくために! 戦ってきた!」


 きっと、だから。

 アリスはあの時矢を放ったのだ。叶遥加は、暁えんまと対等に向き合ってくれた。上から救いを差し伸べるわけではない。囁きの悪魔に縛られて己の想いを失った。そんな少女を解放するために。


 マギア・アリス。

 その魔法の性質は――――『救済』。


 『本物』の遥加の欠片が、『偽物』のえんまの皮を見つめる。因果の壁を越えて、想いは伝わった。

 だから、今度は。

 まるで走馬灯のようだった。知らない記憶と、経験した記憶がまぜこぜになる。暁えんまの人生、マギア・ジョーカーの結末、終わりのあやかマザーとしての戦い。


「私、は――――私だってッ!!」


 その全てが。

 彼女を前に進ませる。


(私は影の女。卑しくて、見窄らしくて――――そして、たった一つを執念深く逃がさない)


 脈動する心臓に、ついに『救済』の矢が刺さる。

 残ったクローンアリスは彼女一人だった。女神の欠片とαを守るように。そんな立ち姿はどこか誇らしげだった。


「あやかちゃんと同じ。

「覚悟は十分。なら、私たちは同じステージに立っている」


 どちらも本物そのものではない。

 だが、それでも、互いに本物そのものと認め合う。


「「決着を」」


 えんまが小銃の金属片投げつける。大弓を引いたまま矢先で弾くアリス。狙いはブレずにえんまへと。大回りするえんまが狙いを外させるが、アリスは外されない。真っ直ぐ、狙いを、逸らさない。


「――――貫け」


 前進するえんまに『救済』の矢を放つ。光の奔流を前に、えんまはさらに加速した。


「セット――――歪曲」


 情念を、魔法に。

 制御を失った『時空』を無理矢理行使する。自らの肉体が軋みを上げた。目測が狂って、自分の時空間ごとねじ曲げる。だが、身を軋ませながらも光の大弓を弾いた。前へ進む。そして、右の拳を強く握った。

 『救済』の光がえんまの魂を焦がす。だが、止まらない。たわませた空間が引っ張ってきたのは――――不動の、心臓のネガ。

 これまで紡いできた全て。振るい、震わせ、掴んできたものが脈動する。

 そんな暁えんまの脈動が、ついに『救済』の光を破った。


「は、はは――――――つよい、ね」

「…………


 果たして、何に対しての礼だったのか。

 えんまの拳がアリスの顔面に突き刺さった。炸裂するネガの力は、全力の一撃で複製クローンを砕いた。


「お願い」「うん、任せて」


 最期の瞬間、アリスはえんまに小さく耳打ちした。

 この上なく晴れやかな笑顔だった。少なくとも、えんまにはそう見えた。渡された想いを握り締め、頂を見上げる。


『……正直、ここまで来るとは考えもしなかったよ』


 始原のα。

 翼を生やした白ウサギが、黒の少女を見下ろす。

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