アリス・パンチライン
【アリス、神髄】
あやかもえんまも頭を抱えて蹲った。悪魔の笑い声は囁きの魔力を帯びている。精神を
『――――素晴らしい! やはり君には本質が見えているね。なのに、どうしてここまで下手を打ってきたんだい?』
正気に返った二人がゆっくりと立ち上がる。覚悟を決めていたあやかとは対照的に、えんまは理解が追いついていない。
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯なんで。どうして」
呆けた声を聞くと、白ウサギがぐにゃりと表情を変えた。そして、嘲りの表情を全く隠さずに鈍臭い少女を睨む。
『メフィストフェレスは滅んだよ。女神の慈悲というのは、君の勝手な思い込みだ』
愉悦。白ウサギは再び笑おうとして、慌てて口を押さえる。がくがくと震えるその姿に、あやかは見覚えがあった。
「⋯⋯それ、笑いを堪えてたのかよ」
感情豊かに、目まぐるしく表情が変わる白ウサギ。その姿は、二人が知るメフィストフェレスの在り方から大きく乖離していた。
『失礼。一度噴き出すと、感情を抑えるのに苦心するんだ。僕は精神が汚染されているからね』
キーワードだった。あやかには覚えがあった。えんまも、恐らくは。先に声を上げたのはあやかだった。
「輪廻のネガ! この結界の主か!?」
めっふぃは首肯した。
奇妙な符合ではあるが、これで全てが繋がった。
『その様子だと、メルヒェンは最後まで気付かなかったのか。僕とあやかが神下しの物語の担い手だよ』
『宇宙と因果の時間軸を説明しても、君たちには理解が及ばないだろう。高月あやかという少女がネガに転化した時、彼女は囁きの悪魔の声を聞いた。そして、彼女の欲が僕という概念を現実に生じさせた。僕は本質としてはメフィストフェレスではあるけど、滅んだ彼らとは存在を異にしている。
君はメルヒェンからどこまで聞いているんだい?
彼女もどうせ独りよがりの推察を、あたかも真実のように語っていたんだろうね。あやかは女神にただでは敗れなかった。至高の存在を、ほんの一欠片毟り取ったんだ。それがどれだけ偉大なことか、君たちに分かるのかい?』
「⋯⋯随分おしゃべりになったじゃねえか」
強がってあやかが煽る。えんまは小さく震えていた。彼女には一つだけ、心当たりがあったのだ。
「⋯⋯知れるはずが、ない。そんなアリスの物語を、ツギハギながらも、組み立てられた理由は⋯⋯⋯⋯」
『そうだよ。アリスの欠片があったから、彼女の生前に縁があったマギアたちの皮を被るに至った。それも無尽蔵な存在に――女神の渾名は伊達じゃないさ』
無尽蔵な存在。あやかは、今までの死闘の数々を思い出す。終わりのあやかには魔力切れがない。なんとなく感じていたことに、思いがけず答え合わせを受けたような心地だった。
終わりのあやかたちは、各々、被せられた人格の経験から勝手に線引きをしていた。自分自身の魔力の果てを。しかし、あやかは死闘の中で気付いていた。想いが尽きなければ魔力は無限に溢れてくる。偽りの永劫輪廻で成長を遂げてきたあやかだからこそ、実感としてその真実を掴んだのだ。
(でなきゃ――――ジョーカー、ヒロイック、デッドロック⋯⋯アイツら相手に、俺はそもそも戦いにすらならなかったはずだ)
ギシリ、とえんまが歯を噛み締める。もはや問答の余地はない。あやかが止める間もなく、彼女は小銃の引き金に指を。
「やめておくことだ」
脳を揺さぶる囁きの魔力に、指が硬直した。その数秒の放心は、えんまにとっては幸運だったのかもしれない。白ウサギの前に立ちはだかる純白の少女を目にできたのだから。
「⋯⋯⋯⋯アリス」
『君に彼女は撃ち抜けない。僕はあやかの欲に変質させられた。人の業のなんたるかを存在の芯に染み込ませた僕には、人の情念の機微が、手にとるように分かる』
めっふぃは前足をぶらぶら揺らした。悪質極まりない冗句だった。
えんまの周囲に見えない壁が出来た。空間隔絶、『時空』の
『もう一度言う――――やめておくことだ』
思念で飛ばしてきた警告は防げない。しかし、肉声を介しない思念は魔力を有さない。そして、一蹴しようとする彼女を、今度はあやかの目線が止めた。怒りと痛恨の入り混じったその目線は。
「そん、な⋯⋯⋯⋯」
『僕はメフィストフェレスとは存在を異にしている。だから、肉体を増やすために、物理的な方策が必要だった。これは単なる技術だよ』
いつの間に、暁えんまの広い寝室に、アリスはいた。
そして、アリスがいた。
そして、アリスがいた。
そして、アリスがいた。
そして――――――⋯⋯
純白の少女が所狭しとひしめいている。十人は下らない。彼女らは、自身の肩に誘いの白ウサギを乗せる。
『肉体の
『終演』を打破する白い光。忘れようはずもない。まさに神話の一ページだった。これだけの数が敵に回るとすれば、その脅威は『終演』をも凌ぐ。
「嘘よ」
断じて割り入ったのは暁えんま。
縋るような、弱々しい声色では無かった。あやかは彼女に、確然と聳える黒い光を見た。
「アリスは一人」
『――――へえ』
思念の声が僅かに揺れた。影の女が指差す先、白少女の中で唯一めっふぃの背後に立つのは。
「正解。よく出来ました、えんまちゃん」
困ったように小さく笑う。素朴な、引っ込み思案の笑みだった。見上げるめっふぃを胸に抱いて、
「私がアリスの欠片そのもの。前回、『終演』を打倒したのも私だよ。この世界では、まだマギアの契約を交わしていないけどね」
「……アリス。どうして、そんな奴と」
「うーん、そうだねぇ……私、見捨てられなかったって言ったら納得する?」
白の少女に、黒の少女は柔らかく微笑んだ。
「遥加は優しい子だから…………わかるよ」
ウサギを抱いた少女の腕は小さく震えていた。それでも、魔法の力からウサギを守ろうと強く抱き締める。そんな彼女の運命を想う。
一歩も退かない。そんな悲痛な覚悟が魂にまで伝播する。
『肉体は同じでも、同一の精神は宿らないらしい。もちろん、女神の複製体である以上それなりの魔力は有している。それでも
「……それは、お前もなんだろ?」
めっふぃは首肯した。
メフィストフェレスの肉体をいくら復元しようとも、『あやか』の欲に同調した精神は唯一。物語の担い手に代えは効かない。
「お前の倒し方が、分かった」
えんまが言う。
「この結界の殻を壊す。外の世界に放り出されれば、アリスの法則に従ってお前は消滅する」
『その通りではあるけど、そんなに大仰なことじゃない。非力な肉体だ。普通に殺せば死ぬよ。僕も、アリスも――――「君たちと同じさ」
囁きの魔力に魂が揺れ動く。焦燥と苦痛に身を焦がしながら、それでも二人は膝をつかない。
「私は、やっぱり、愚かだった。今のお前を見れば分かる。こんなことのために、アリスを利用させはしない。彼女を害するものは、私が討ち滅ぼす」
「俺が神話を遂げる。『終演』を超える。けど、俺の
囁きの悪魔がぶるりと身震いした。
「発破はかけてみるものだなあ」
精神を圧迫する重圧に、その場の全員が歯を食い縛る。白の少女たちにも魔力が及んでいることに、二人はようやく気付いた。それでも全員が耐え抜いている。誰も彼もが尋常では無い精神力を有している証だ。
「めっふぃ――――いや、違う」
あやかは右手を前に伸ばした。
二足歩行二頭身の白ウサギ。運命の誘いは悪魔の囁きだった。事実はそうではないらしいが、実感としての記憶がそう吠えている。思い返す。これまでの死闘の数々を。踏破した運命の奔流を。
あやかは
「お前は、誰だ。いい加減名乗りやがれ…………ッ!!」
「僕はα――――唯一にして始原の存在さ」
めっふぃ――――
無垢の背面から突き出るのは一対の白く歪な翼。飛べもしない、形だけの飾り物。しかし、それを自分の存在への証左として誇らしげに見せつける。
『ちょっと身体構造を弄くっただけさ。これくらい、メフィストフェレスならば造作もない。けど、これで個性が出来ただろう? 僕は始原のα、世界を始める始原のαだ』
己を示す。
自己顕示欲。
『僕はアリスとともにこの世界を『本物』にする。そうすることで、僕は晴れてあやかの隣に立てるんだ。彼女が女神を打倒する神話を、特等席で観ることができる』
あやかが拳を握り締める。
えんまが唇を噛み締める。
『その光景こそが――――情念の行き着く果てだ』
だから挑戦するといい、と悪魔が思念を投げかけた。
望むところだった。奮起するあやかに、再び昏い執念を灯すえんま。アリスの複製体をぞろぞろと引き連れて去って行くαを見据える。部屋を出る直前、αを抱えたアリスが振り返った。
そして、言った。
「ここまで来られた貴女たちなら、きっと出来る。
だから――――私に『本物』を示してみせて」
私も戦うから、と。
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