ジョーカー・エーヴィヒ・ファルシュガルテン

【ジョーカー、永劫偽園】



 終わりのあやか。


 輪廻の『ボア』の使い魔、その役割は『流転』。

 六道輪廻を巡り、人としての業を集め続ける。

 ネガが捕らえた人間の皮を被ってその業を味わい尽くす。

 集めた業はネガへと吸収され、いずれ解脱への道が示される。

 道が示されれば、使い魔どもは歓喜のあまりネガを喰らい尽くすだろう。






 統括者マザー

 終わりのあやかの中枢存在。使い魔どもを束ねる長だ。彼女にだけは、終わりのあやかとして巡る以上の役割を与えられていた。。ジョーカーの皮がもたらした『時空』の魔法とは別種の能力。ネガが生み出す輪廻を渡るためだけの魔法。


「だから私には代わりがいない。唯一代替不能の存在。終わりのあやかに皮を被せるのも私の仕事なのだから」


 存在の手綱を握られている。デッドロックがそう称したことに何も間違いはない。ネガが生成した世界を巡らせる。囁きの悪魔はその手先に過ぎない。


「トロイメライが『終演』を打ち破る、神下しの神話。それを彩るのが私たち、終わりのあやか」

「終わりのあやか、笑えねー話だな⋯⋯」


 噴水の上で仁王立ちになるジョーカーを、デッドロックが見上げていた。彼女だけではない。色のない、表情のない、そんな終わりのあやかの群れが噴水を取り囲む。白いエプロンドレスを纏う彼女らは、どこかあの純白の少女を想起させた。


「笑えなくても、それが真実よ」

「一番笑えねーのはあんたのせーへきだよ⋯⋯」

「アリスには隠れてもらったから。しばらく会えないの」


 くるりと回ってお辞儀する終わりのあやかたち。悍ましいものでも見たかのように、デッドロックが舌打ちした。


「あんたを守るのは理解出来る。けど、アリスとやらは必要なのかい? そもそもなんなんだ、あいつ」

「アリスはアリスよ。女神様なの」


 ジョーカーが指を鳴らした。有象無象のエプロンドレスたちが形を崩す。黒いヘドロが噴水の水と一緒に排水溝に吸い込まれた。


「この輪廻を生んだネガがどうして彼女の存在を維持しているのか。それは私にも分からない。けど、アリスの固有魔法フェルラーゲンは『救済』。その魔力も世界の摂理を超える」

「訳の分からないもん、アテに出来んのかいね?」

「あの子には世界を創造するほどの魔力が蓄えられた。私が束ねるべき輪廻の業は全てあの子に捧げたから。彼女と一緒に、を作る。みんなで『幸福』を掴みましょう?」


 ジョーカーが示す『幸福』の概念。それは終わりのあやかたちが永劫輪廻の牢獄から独立すること。新世界で、彼女らは自分のカルマを自らのものにする。


「⋯⋯ま、悪い話じゃねーか。ヒロも神里を守れんなら文句はねーだろ」


 彼女たち終わりのあやかは、この世界の崩壊と運命を共にする。それが本来の役割。しかし、終わりのあやかたちは叛逆する。自らの意志で、自らの欲を為すために。

 皮を被せる、自我を与えるということは、そういうことだ。


「なにより、あんたはなんかほーっておけねーんだよな」


 大槍を担いだデッドロックがにかりと笑う。


「な、なによぅ、いきなり⋯⋯」

「はは、照れんな照れんな!」


 唇を噛みながらジョーカーが噴水を降りる。


「⋯⋯⋯⋯私の欲に、付き合わせてしまってるようで、ごめんなさい」

「いーさ。新世界の創造さえ成せれば、あたしらも自由に生きられる。デザイアやスパートだって蘇るんだろ?」


 ジョーカーは躊躇いがちに頷いた。

 その不自然さを見逃す赤の少女ではなかったが、小さく笑って見なかったことにする。死闘は必至。迷えばそれだけ隙になると理解している。どれだけ荒唐無稽な世界でも、現実をシビアに見抜いて生き抜く。


「なーに、うまくやるってーの。あたしはのデッドロックだからさ。拘りを捨てて最善を獲るよ⋯⋯誰にとっての、とかも気にせずね」


 見回りに動こうとしたデッドロックだが、袖を掴まれて止まる。デッドロックは振り返った。ジョーカーは黙ったままだ。待って、悩んで、目線だけが忙しなく。見回りの交代の時間だった。ヒロイックが待っているはずだ。

 小さな溜息一つ、デッドロックはその手を振り払う。


「――――甘えんな。ここで迷えば全部消えちまうだけだぞ」

「⋯⋯違う。私に迷いは、ない。欲のために全てを賭ける覚悟がある。だから、そうじゃなくて、その――――」


 ありがとう。

 そう言おうとしたジョーカーが動きを止める。運命が追い縋る。一度俯いて、再び上げた顔。そこには獣の執念が浮かんでいた。デッドロックが小さく口笛を吹いて称賛する。


「トロイメライ――――終わりのあやか」

「ジョーカー――――終わりのあやか」


 お互い、同じ存在だった。主軸たるあやかと、統括者たるえんま。もはやどちらも使い魔としての役割をこなす気は皆無だ。己の目的のため。夢のため。立ち塞がる運命を、ここで打倒する。


「真実を⋯⋯ったのね」

「お前を倒して全てを終わらせる。それが俺の戦いだ」

「そんなことをして、なんになるの」

「夢を叶えるんだ」


 勇者ヒーローになる。

 視線と視線が激突する間、赤槍が運命を遮った。耳の後ろに指を当てたデッドロックがギロリと睨む。あやかの視線がそちらに逸れた。その一瞬、時間が止められたか、はたまた空間転移か。ジョーカーの姿は消えていた。



「別に、あんたにゃ恨みはないんだかな」


「つれないこと言うなよ。俺とお前の仲だろ?」



 首を傾げるデッドロックに、あやかは含み笑いを見せつけた。マギア・デッドロック、四月一日わたぬきみぃなに過去の世界の記憶はない。『今』のみぃなに、『前』のみぃなの記憶はない。

 しかし、あやかはもうそこで怯まなかった。


「俺は『偽物』だなんて思わないぜ。一緒に戦ったときも、敵対したときも。想いがあって、意志があって、だからどうしようもなかったんだって」


 真由美とは違う考え方。より実存的に関わりを持ってきたあやかには、彼女たちを否定することはできない。ただの使い魔と切り捨てられはしない。


「……はーん、よくわかんねーけど――――やる気なんだな?」

「ああ、やるぞ」


 あやかは拳を構える。意志を示すのだ。

 煤けた赤、袋小路デッドロック。ままならない世界に憤怒の炎を燃やした女。通じ合えず、想いは焼け落ちた。その頃よりも、ずっとずっと強くなった。今度こそ振り向かせてみせる。


(証明してやるよ。俺もお前も――――『本物』なんだってな)


 偽りの幻ではなく、本物の意志なのだと。







『ヒロイック、すぐにこっちに来て』


 デッドロックが短時間で繋いだ幻聴通信。ヒロイックからの返答で状況を把握する。トロイメライをデッドロックが引き受けている以上、ヒロイックを足止め出来る候補は唯一。


「メルヒェン⋯⋯ッ!」


 強く歯を食い縛る。統括者マザーではなく、英雄ヒロイックを狙ってきたのは完全に予想外だった。ジョーカーを完全に滅すれば、ヒロイックもデッドロックも形を保てなくなる。わざわざ撃破が至難な彼女が狙われる理由がないのだ。


「あると、すれば⋯⋯」


 何らかの策があるのか。

 マギア・メルヒェン。思えば、かの水色の少女も不可思議な存在だった。終わりのあやかの世界に紛れ込んだ真正のマギア。彼女はずっと、トロイメライが神下しの神話を完遂することを邪魔していた。ネガ本体の狙いを掴んでいる証拠だ。

 マギア・メルヒェン、『MマーカーMメーカー』、大道寺真由美。

 余所者であるが故に、輪廻のネガの精神汚染を直に受けていたはずだった。世界を渡れるはずもない彼女は、記憶を持ち越していたとは思えない。それでも、ここまで追い縋って来たことは事実。


「厄介なのは、あの魔法」


 『創造』の固有魔法フェルラーゲン、そして固有武器である魔法のフィールドスコープ。

 アレらがメルヒェンを特別にしていた。ジョーカーはそう判断する。


『ヒロイック、メルヒェンは生け捕りにして。


 了解、と幻聴が響いた。

 生け捕りにして、カルマの皮を剥いで、その皮を終わりのあやかに被せるのだ。そうすれば、統括者マザーたるジョーカーの支配下に置ける。欲の成就は目前だった。


「ヒロイックは負けない。デッドロックは負けない。私は絶対に勝利する。私の世界を成就する。私とアリスの、『幸福』を――――――」

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