メルヒェン・リヒテン・トロイメライ(前)

 昔、絵本を読んだ。

 不思議とよく覚えている。運命の勇者がお姫様に忠誠を捧げる物語だった。

 

 勇者は姫に全てを捧げた。

 あらゆる危険からその身を守り、心に決めた相手のために身を粉にして尽くす。献身の美しさに目を奪われた。轟く浪漫に夢を見た。だからきっと、そうなりたいと願ったのだ。


 誰かのためにあれ。

 その誰かは自分を愛してくれるはずだ。







 星満ちる空。

 覚醒は穏やかだった。ヒロイック戦のダメージが残っていたか、それともの疲れが残っていたか。いつの間にか眠っていたらしい。


「目が覚めた?」


 胸の奥をくすぐられるような、穏やかな声色だった。心地良い響きに顔をごろんと傾ける。優しく微笑む少女の顔があった。水色の少女。不可解な光景にあやかはフリーズする。


「⋯⋯無茶するわね、ほんと。お互い助かって良かったわ。ここまで戦い通しで疲れたでしょ?」


 あやかが目をパチクリさせる。

 危うげに記憶の糸を手繰った。境川に面した土手の上で二人は寝転がっていた。ジョーカーの城から脱出した二人は、デッドロックの追跡から必死に逃げ延びたのだ。


「⋯⋯どうなったの?」

「赤いのなら撒いたわ。というより、本気で追い詰める気はないようだった。泥沼の消耗戦に持ち込むよりも、立て直して決戦に臨んだ方が目があると踏んだのかも」


 デッドロックの取りそうな手だった。あやかは真由美の考えに同意する。視線を前に戻すと、何も無い虚無空間が広がっていた。まるで心がめしいになってしまったかのよう。

 あやかははっきりと認識する。ここが世界の果てだった。ネガの結界の境界なのだ。


「俺は⋯⋯ここから外には出られないんだな」

「うん。私は出られるけど⋯⋯⋯⋯ううん、なんでもない」


 理由はなんとなく分かる。あやかは自分の心臓を意識する。


「ヒロイックはどうなった? 俺は助かったのか?」

「助けたのよ」


 ぶっきらぼうに吐き捨てる真由美。あやかは少女を見た。傷だらけで、ボロボロの姿。彼女には彼女の戦いがあって、自分がそこに含まれた。否、含まれるようになった。胸の奥から熱い吐息が湧き上がる。


「侮ったわ。あんな『偽物』どもに」


 その言い草に、あやかは眉をひそめた。一つの答えを示され、芋づる式に謎が氷解していく。だからこそ気付くものもある。

 だが、それ以上に、心を鷲掴むのは。


「助けて、くれたんだ⋯⋯⋯⋯」

「なによぅその反応」


 真由美が唇を尖らせてそっぽを向く。口をまごつかせたあやかの顔が熱くなる。気まずい沈黙の後、あやかはゆっくりと口を開いた。


「ありがとう」


 いつもどこか険しい表情の少女。彼女の口元が緩んだ気がした。


「無謀だったわね」


 単騎で英雄ヒロイックに挑んだこと。あやかにははっきり伝わった。その声に刺々しさが皆無だったことも。


「⋯⋯でも、無駄ではなかった。生還できたのはアンタのおかげよ」


 全身が総毛立つ。耳を赤く染めてそっぽを向く目の前の少女は誰だ。あやかの中の大道寺真由美像と大きく離れた姿だった。


(真由美がデレた! 頑張って良かった! でも何か怖い!)


 なんて思っていても、どこか照れくさい。こうやってじっくり話すのはすごい久しぶりのような気がする。そう感じて、表情が少しかげる。

 向き合うべき真実は目前に迫っていた。この想いすら偽物である可能性を強く意識する。じれったく顔を向けるあやかに、頬を桜色に上気させる真由美が目を合わせた。


(あと、ちょっとだけ⋯⋯⋯⋯)


 あやかの我儘は胸の内に。気まずい沈黙もどこか心地良かった。こうやって瞳を合わせているだけで、どこか通じ合ったような気がする。名前すらまともに呼んでくれない。そんな関係でも。


「ちゃんと話をしないといけない。そう思ったの」


 心地良い微睡みが霧散する。向き合うべき時が来たのだ。真由美には構造を見抜く魔法のスコープがある。彼女には世界の真実が視えている。


「この世界がネガの結界ってことか?」

「それもある。アンタがそれを知っても、それでも同じように戦えるのか。前提が覆って――――それで全てが変わってしまうのか」

「俺は変わらねえよ。だから、ちゃんと教えて欲しい」


 世界のこと。

 真由美のこと。


「俺は⋯⋯⋯⋯どうしてこの世界を繰り返していたんだ。ループの真実は」

「――――この世界で経験したループ」


 意味慎重な体言止め。思えば、真由美はこれまで何度もループ現象を否定してきた。それは、真実を視ていたからに他ならない。

 ループ。時間の巻き戻り。その前提が今、崩れ去る。


時間の巻き戻りループなんて起きてないの。『終演』とともにこの世界は崩壊する。そして、また新たな世界が組み立てられるだけ」


 つまりは、と。


「登場人物は何度も死んで、新たな世界で同じ名前の少女たちが生み出される。そんな舞台装置こそがこの世界の本質よ」


 迷いの六道。偽物の世界と代替可能な登場人物たち。そんな茶番劇がこの世界の正体。


「じゃあ⋯⋯デザイアは、デッドロックは、スパートは、ヒロイックは、ジョーカーは」

「この結界を創成したネガの使い魔。この世界の登場人物は、マギアも、ネガも、みんな使い魔どもが演じていたに過ぎない」


 あやかがこれまで戦い続けたこの世界は、文字通りの偽物だった。心を通わせてきた少女たちも、みんな。あやかが言葉を失う。


「輪廻司る漆黒の巨人――――あのネガがこの世界を、自分の結界の中で生み出している。そんな巡る世界で役割を演じる人形たち。それがこの物語の登場人物たちよ。私がどうして彼女らを敵視してきたか分かるでしょう?」

「真由美は、お前は」


 力強い宣言。それだけで少女の決意の硬さが伝わってくる。マギアがネガの使い魔を狩る。そこになんの不合理があるのか。

 あやかもこれまで何体ものネガを狩った。使い魔であれば尚更だ。人に似せた成り損ないも何度か見てきた。有り得ないわけではなかった。より人間に近付こうとする使い魔の行動。他ならない人間自身の情念から生み出されたものであれば当然だった。


「⋯⋯分からないことがある。ただの使い魔と断じるほど、薄いキャラじゃないだろ。単なる使い魔であったはずがないんだ」


 縋るような声色だった。


「それはそうよ。彼女らにはモデルが居たんだもの。実在したマギアの皮を被せられただけなの」

「皮⋯⋯?」


 いまいちイメージが湧かない。


「輪廻のネガは、その欲の根幹として人のカルマを収集する。生み出した世界で使い魔が体験するのはよ。偽りの人の生を全うした使い魔は、そのカルマをネガに献上する」


 カルマ

 想いが突き動かした行為の集積。命を宿すこと、即ち宿命。人の想いが積み重ねた行動の集積をネガは欲している。業を束ねて因果を紡ぐ。巡る輪廻のり合わせがネガをより強大に凝り固めるのだ。


「人のカルマを集めるため、ネガは自分の使い魔たちにを着せる。感情を持ち、自我を育み、情念の魔法を発揮させるために」


 真由美は浅く呼吸を整えた。そのほんの少しの間が気の遠くなるような時間に感じた。



「彼女たちの名前は――――



 使い魔、終わりのあやか。

 十二月三十一日終わりのあやか。

 あやかは自分の名前を思い出す。当たり前のように名乗っていた姓が、化け物の正体を示していた。人の皮を被った化け物。真由美が『偽物』と罵る理由も察せられる。


(だったらなんで⋯⋯こうして話をしてくれるんだろう)


 拒絶が恐ろしい。恐ろしくて声に出せない。

 あやかに課せられた役割。

 それは、この手で『終演』を打ち砕くこと。

 拍手喝采のヒーロー物語の主役を飾ること。

 この事実が示す意味は。


「俺は――――――⋯⋯」


 だが、止まれない。

 踏み出す。

 挫けない。

 折れない。

 もう――逃げない。

 真実と向き合う。その本当の恐怖が目前にそびえる。あやかのここまでの戦いは、ここまでの成長は、きっとこの正念場で逃げ出さないためのものだった。自分の選択に信念を宿せ。

 そんな姿を魅せたからこそ。

 真由美マギアはこうして向き合ってくれているのだから。


「俺は誰だ? 俺はあやかだ。けど、その正体は?」


 ここは巨大なネガの結界の中。世界を守るドラマを演じるのは使い魔・終わりのあやかたち。その全ての根源にネガの存在がある。

 想いには想う人がいる。人の呪詛が具現した存在、それこそがネガの根幹なのだから。マギアである真由美が見据える敵の姿。全ての元凶たるネガに他ならないだろう。


――――だから、どこかで縋るように楽観したのだろう。


 自分がであるのならば。それはきっと、とても運命的なことなのだろう。悪役でも主役級。そんな独善的な甘えがほんの一欠片残っていたのかもしれない。

 一方、真由美は容赦なく突きつける。意志を見いだしたから。強さを感じたから。だからこれは試練なのだ。真実を明かすことに躊躇いは無かった。

 あやかに、ただの脇役に過ぎないと突き付ける。



「この結界を生み出したネガ、



――――その使い魔・終わりのあやか、輪廻のネガのしもべの一つよ」

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