ジョーカー・べゼッセンハイト

【ジョーカー、執念の獣】



「これは、どういうこと…………?」


 崩れかけるスパートの身体を抱き寄せるデッドロック。赤の少女が顔を上げた。不吉の紫。家主が戻ってきたのだ。


「悪い。しくじった」


 役目を終えた人形が塵に墜ちた。ジョーカーは無感動な目でそれを見下ろしている。項垂れたままのデッドロックに一言。


「説明して」

「ヒロがトロイメライを捕らえた。それを救い出そうとするメルヒェンにまんまとやられたよ」

「メルヒェンが⋯⋯⋯⋯?」


 ジョーカーが呆けた声を上げた。

 トロイメライとヒロイックが激突したことは分かっていた。勝敗は確認するまでもなく予想通り。そして、大橋から進めない惨めな少女を思い返す。その姿に、ここまでのことが出来るとは信じ難い。


「いー加減認めろよ。奴は強いぞ」


 ゆらり。

 幽鬼のように揺らぎながら、デッドロックが立ち上がった。薄い笑みが張り付いた顔をジョーカーに向ける。


「『M・M』は潰したが、スパートがやられた。とやらは死守したよ」

「そう⋯⋯⋯⋯よくやったわね」

「はは、響かない労いだね」


 乾いた声。ジョーカーは壁に空いた大穴をじっと見つめる。『時空』の魔法で干渉した壁を破壊したのは、間違いなくトロイメライの突破力だろう。


(そう――――まだ終わらないのね)


 トロイメライとメルヒェン。彼女らはもう終わったものだと思っていた。漆黒の泥沼に絡め取られて朽ちていく。そんな夢の如き存在だと。

 取るに足らない。

 そんな風に侮っていた。

 ほんの少し押せば落ちる。そんな崖っぷちのはずだった。だが、ジョーカーはトロイメライに敗北した。そして、メルヒェンから痛手を受けた。どこにそんな底力があるのだろうか。


「私にも、ある」


 執念が。負けないほどの想いが。


「デザイアもスパートもやられてしまった」

「あん?」


 デッドロックはジョーカーのを睨む。陰鬱の紫は小さく頷いた。


「残っているのは貴女たち英雄コンビだけ。でも、それで十分過ぎる。今度は真正面から叩き潰す」

「トロイメライはもーいーのか?」

「いい。アレは廃棄処分」

「大人しくやられるよーなタマじゃなさそーだぜ?」


 たった一瞬の交錯。デッドロックは思い出す。その双眸に、尋常ではない積み重ねを感じた。向けられる想いに身震いする。煤けた赤は感情の渦を噛み砕く。


「じゃ、ヒロのこと頼んだよ。手ひどくやられたからね」

「⋯⋯みたいね」


 部屋の奥から視線を感じた。手招きすると、黒い人形が小走りで寄ってくる。のっぺらとした表情、剥がれた色彩。右に寄せたサイドテールだけが個性を示していた。


「ええ。

「クック⋯⋯存在の手綱を握られるのも奇妙なもんだな」

「⋯⋯ごめん。私もなりふり構ってられないの」

「いーよ。ほっとけねーし」


 デッドロックは壁の亀裂に飛び乗った。飄々とした軽やかさが赤に揺れる。


「無駄だと思うけど、暇だし偵察してるよ」

「⋯⋯⋯⋯うん」


 見慣れた神里の景色。とっくに過去のものだと思っていたが、不思議としっくりくる。見納めだ。そんな確信があった。どっちつかずのデッドロックも、自分の結末だけはきっちり決めなければならない。


「あれが、メルヒェン」


 ふと呟く。

 声が届いたか、ジョーカーの声が追い掛けてくる。


「どんな因果で紛れ込んだのか―――― 現状、よ」







「アリス」


 呼びかけると、純白の少女は振り返った。

 迷宮のように異空間化させたこの家は、彼女を外敵から守るためのものだった。残ったネガも全て滅してきた。残る脅威は『終演』、そしてトロイメライとメルヒェンのみだ。


「ちゃんと大人しくしていたのね。偉いわ」

「もう! 子供扱いしないでよー!」


 拗ねたように唇を尖らせる少女に、自然と口元が綻ぶ。ジョーカーが最重要領域と定めた部屋。そこはジョーカー自身の寝室だった。

 二人だけの密室に、ジョーカーは異物を発見する。アリスが優しく抱えている白ウサギ。わざわざ姿を見せているということは、用件があるはずだ。


『ジョーカー、状況は分かっているね?』


 身じろぎしためっふぃをアリスは手離す。二足歩行でベッドに飛び乗る悪魔に、ジョーカーは眉を顰めた。


『君の勝手をこれ以上見過ごすわけにはいかない』

「メフィストフェレス、非力なお前に何が出来るというの?」

『君はもう少し危機感を持った方がいい。必要以上に卑屈になることはないけど、周りの脅威を取るに足らないと気取るのは愚の骨頂だ』


 メルヒェンに足元を掬われたばかりのジョーカーは何も言えなかった。だが、現実問題なんだというのか。ジョーカーの指先一つで文字通り弾け飛ぶような存在だ。まともに危害を加えられるとは思えない。


『僕たちは認識の外に逃れる術がある』

からの逃げ道はないはずよ」

『僕たちには選択権がある』

「それで?」

『メフィストフェレスが本当の意味で自死を選択した場合、?』


 世界の法則。物語の大前提項目。

 囁きの悪魔との契約、マギア誕生の道はその唯一のみ。押し黙ったジョーカーは思案する。法則を超えた現象を引き起こすものを、彼女は身近に感じていた。


「……やめて。タチの悪い脅しのつもりかしら?」

『僕らも戦える、という意味だよ』


 即ち――――魔法。


(魔法でマギアを製造出来れば……メフィストフェレスは不要になる。メフィストフェレスの代替となるような魔法を創り出せば…………)


 そこまで考えて、ジョーカーは小さくわらった。居た。構造さえ読み取れれば創り出せる。そんな魔法があったではないか。


「……分かったわ。トロイメライは廃棄処分、メルヒェンはする。その間、アリスは任せても良いのよね?」

『やけに素直じゃないか』

「アリスはお前にとっても大事な存在のはずよ。私が外敵を駆除して、お前が彼女を隠す。万全の布陣」

『何を企んでるんだい?』


 ジョーカーは小首を傾げ、口元に人差指を当てた。困ったような笑みを浮かべたアリスがめっふぃを抱き抱える。


「企むのは当然。それが、私の欲なのだから。魔力の源なのだから。お前も同じはずよね?」


 白ウサギが小刻みに震えだした。


「えんまちゃん、覚悟はいい?」

「もちろん。何としても掴んでみせる。この世界を、貴女との『幸福』のために」


 アリスが部屋から退出する。白の少女は物語から隠された舞台袖の役者。本来ならば表舞台に上がるはずの無い存在のはずだった。はずだった、のに。


「トロイメライ、貴女は想像以上の逸物よ。自信を持ちなさい。貴女がアリスを引きずり出した。貴女がメルヒェンを変えた。貴女が――――この世界の統括者マザーであるはずの私を下した」


 届かない声を、想いに乗せる。

 脳裏に世界の景色が映った。想起する。これまでの戦い。獲得した自分自身。皆が描いた軌跡の数々を。そして、それらを丸ごと飲み込んで、執念の獣は牙を剥いた。



「証明する――――







 この世界のことをどれだけ知っているか。

 逃走中、あやかはそう尋ねられた。作り物の、偽物の世界。そんな兆候は至る所にあった。世界に違和感を抱けないあやかも、真由美の反応には違和感を覚える。彼女の魔法を知ればなおさらだ。


 隔絶した異界。

 異様な法則が機能した世界。

 魂の彩が際立つ――――感情が幾度となく揺さぶられてきた。



「この世界は、だ」



 正解、と水色の少女は微笑んだ。

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