ジョーカー・メルヒェン

【ジョーカー、夢想の嘲り】



 ジョーカーを追ってあやかは神里に突入した。

 その後ろからジョーカーが現れることは、一体どんな皮肉なのだろうか。


「こんなところで会うとはね、メルヒェン」

「⋯⋯いつまで高梁を探していたのよ、ジョーカー」


 世界を渡った真由美には、前世界の記憶が保持されている。だからマギア・ジョーカーの正体以上に、彼女の人格そのものについてもある程度の理解があった。


「トロイメライはとっくに神里に入ったわ。間抜けなことね」

?」


 煽りだと理解しながらも額に青筋が立つ。進むべきだと理解していた。しかし、思考をぐちゃぐちゃに掻き混ぜるような、そんな見えざる手が正常な判断を妨げる。


「ネガの精神汚染に当てられて、足が竦んじゃったってとこかしら? 一度止まると歩き出すのは大変よ?」


 心臓が早鐘を打つ。視界が歪む。それでも真由美は気丈に日本刀を構えた。同じく、ジョーカーの手にも小銃が握られる。

 『創造』の魔法を有する水色のマギア。

 『時空』の魔法を有する紫色のマギア。

 固有魔法フェルラーゲンの性質としては、想像しうる限り最上のもの同士。それでも、彼女らは挫折を幾度となく繰り返してきた。敗北は終わりではない。心が折れなければ何度でも立ち上がれる。


「私たちは、終わりのあやか」


 ジョーカーがうそぶいた。意味ある言葉だった。

 真由美はぎこちない動きで斬りつける。ひらりと身を躱したジョーカーがくすくす笑う。己の力を誇示するように、大袈裟に引き金を引いた。


「私はマギアよ!」


 斬撃が銃弾を両断する。しかし、その刃は微塵に砕け散った。白い球体が真由美の周囲に蠢き、水色の大盾を具象化させる。

 空間が――――歪み、弾けた。

 散り散りに溶けていく大盾の向こうで真由美は爪を噛んだ。ジョーカーは追撃もせずにその横を歩き抜ける。


「そして、私こそがこの世界の統括者マザー。他の個体も手中に堕とした。後は暴走するトロイメライを廃棄処分するだけ。お前はもう詰んでいるの」


 自ら手を下すまでもない。ジョーカーの口が、三日月のようにぱっくり裂ける。


「……こんなものが目的のはずはない。どういうつもりなの?」

? そのご自慢の見通しの筒でね」


 真由美の後ろに進むジョーカーの足元が爆発した。真由美が仕掛けたトラップ。しかし、爆風は奇妙に捻れて怨敵を傷つけはしなかった。


「無駄よ。お前に視えるのは構造であって、本質じゃない。所詮上辺だけをなぞる紛い物。そんなもの、脅威でもなんでもなかったわ」


 これまで警戒して損した、と吐き捨てる。


「あははははははッ!! 私は私の『幸福』を掴み取る。誰にも手出しはさせない。アリスは私のものよ! アリスの力で!」


 その言葉に、真由美はギョッとして振り返った。高らかな哄笑に気圧される。深淵の揺蕩たゆたう双眸に執念の光が灯る。


「冗談じゃない⋯⋯他の誰でもない、お前自身が、役割に背く気なの⋯⋯!?」

「これが私の運命よ。この欲があれば、私は世界だって押し退けられる」

「狂ってる⋯⋯」

「さあて、どうかしら? 異邦人マギアよ、お前は正気である自信があるの?」


 刺突。しかし、刃の切っ先は拒絶の壁に阻まれる。真由美が足を踏み鳴らす。無数の槍が周囲からジョーカーを狙うが、そのどれもが寸前で固定された。


「⋯⋯トロイメライは破ったわ。やっぱり役者じゃないのよ、貴女。お前は私たちのことをなんにも理解していないのね」

「所詮、『偽物』のくせに……!」

「精々そんな風に高を括っていなさい」


 それっきり、ジョーカーは振り返らなかった。真由美は追い掛けることなく、高梁の方角を見た。その光景に言葉を失う。

 高梁市がまとめて崩落していた。

 その全ての光景が虚無に墜ちていく。音もなく。まるでそんなものは最初から無かったかのように。ジョーカーがトロイメライの捜索を打ち切った理由は明らかだ。存在しない場所に、探し人がいるはずもない。


「……………………」


 足は前に進まない。心臓をがっちりと掴まれたかのように。動けない。真由美は高梁の崩落から目を逸らすように神里に向き直る。境橋が少しずつ虚無に墜ちていく光景を直視しないように。


「……………………ッ」


 破滅が背後に迫りつつある。

 それでも、真由美は不可視の腕に雁字搦めに縛られ、前に進めない。







 神里市。

 新興都市として急速に発展を遂げた街。乱れた立つ高層ビルは無計画な建造も多く、既に用を為さない廃ビルと化しているものも少なくない。人の手が入った小さな公園が複数。どれも人工的な自然だ。

 どこもかしこも人の手が入った不自然の街。

 それでも、ここで刻んだ想い出だけは『本物』だと彼女は信じている。


「だからこそ――――守る価値がある」


 高層ビルの屋上に、英雄の姿はあった。黄のマギア。変幻自在なリボン扱い、強靱無双の鎖捌き。狂瀾怒濤の戦闘狂。風に揺られながら敵の姿を補足した。


「ここを通りたければ私を倒してからにしなさい…………なんて、ベタな台詞かしら?」

「いいさ、最高の台詞たぜ。アンタに勝てなければどのみち先はない。……ジョーカーは強かった。けど、なにより恐ろしかったんだ。だから単純な強さなら、間違いなくアンタが一番だ。その台詞を言える格はあると思うぜ」


 ありがとう、と英雄はふんわり笑った。

 あやかは向かいのビルの屋上に飛び乗った。お互いに不意打ちは全く考慮していない。滾る信念の正しさを信じているから。


「残り総出でかかってくると思ったけど……まぁそうだよな。アンタは誰よりも強いし、そもそも


 神里の英雄ヒーローvs高梁の勇者ヒーロー


「あら、私が相手じゃ不満かしら?」

「とんでもない。アンタだからいいんだ。きちんと追いつきたいと思っていたからさ」


 理由を、心情を吐露しようとして飲み込んだ。言葉で殴るより、拳で語る。それが十二月三十一日ひづめあやかのやり方だ。今、はっきりとそう決めた。


「いいわ。受けたげる――――


 言葉の圧に、あやかはほんの少したじろいだ。けれど、前へ。一歩、二歩――――そして。


「いくぜ――――アンタを超える、英雄ヒーローッ!!」

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