デザイア・エンド

【デザイア、終わり 】



 マギア・デザイア、橙に煌めく魂。

 魔法の性質は『泡沫』。揺らぎ、弾けては消えていく儚い希望の集積。心の奥深くに抑え込んでいた想いが口から溢れたもの。

 欲の根幹は『逸楽』。気ままに遊び楽しむこと。本当の表情と本当の想い。誰よりも臆病だった彼女にとっては、自分を一番とする相手にしか為し得ない至難だった。


 二階堂一間。

 投資した夢は、「自分を一番に救ってくれる相手を見つけたい」。







「僕の、負けだよ⋯⋯」


 もう、指先一つ動かせない。本当の本当に、全てを出し尽くした。それでもトロイメライには及ばなかった。彼女の想いを屈服させることは叶わなかった。


「ああ、悔しいな⋯⋯本当に悔しい」


 及ばない。届かない。それは、単に死闘に敗れたという意味だけではなかった。破滅願望の裏に封印していた本当の想い。それを引き摺り出され、そして、どんな末路が待っているのかも理解してしまった。


「なあ、僕はとっても不幸な女の子なんだ。破滅的だ。分かるだろう? どうしようもないんだ。だから⋯⋯君が救ってくれないかな」


 欲しいものは、きっと自ら破滅させてしまった。手に入らない。もう、二度と。


「甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた師匠に、多分、僕はどこか、母性のようなものを感じてしまった、のかもしれない。けど、英雄ヒーローという生き様からあの人は逃げられない。自縄自縛に、英雄であることを強いているあの人こそ⋯⋯本当に救いがない」


 あやかは土手の急勾配な坂に背中を預けながら一間の独白を聞いた。魔力も、精神力も、体力も、ガリガリと削られていた。疲労困憊だった。


「だからあの人は、を選べない。人類の英雄として、全体の奉仕者であり続ける。僕の望むものは⋯⋯あの人は与えられない」


 聞きながら、あやかは一間の問いを想起した。どんな奴になりたいか。どんなマギアになりたいか。その答えを、ようやく掴んだ気がする。

 あやか、と。一間が名前を呼んだ。



「僕を――――君のにしてくれ」



 大切な誰かのため、そんなヒーローに。

 あやかが抱いた夢。きっとそういうことだ。

 あやかは静かに一間の元に歩み寄った。細くて細くて、今にも折れてしまいそうな彼女の肩を抱き起す。膝枕に頭を乗せると、橙の少女はくすりと微笑んだ。


「ごめん。俺にはもう、を捧げたい相手がいるんだ」

「はは、知っていたよ。だから僕の夢はもう叶わないんだ」


 柔和な笑みだった。本当にチャーミングで、庇護欲を掻き立てられるような。そんな自然な笑顔だった。仄暗い絶望に堕ちていく感覚だ。魂が騒めく。深い沼に溺れていく。

 投資した夢に背いたマギアがどうなるか。知らぬ二人ではない。正真正銘の破滅が大口を開けて待ち構えている。


「一間。俺は勇者ヒーローになりたい。それが夢なんだ」


 世界のため。人類のため。そんなニュアンスとは、少し違った。

 心に決めた大事な誰かのため。守ってあげること。支えてあげること。そのために拳を握るヒーローに。昔、絵本で読んだようなあの存在に。

 英雄ヒーローではなく、勇者ヒーロー

 ようやく、自分の道を見つけた。口に出して、そんな確信が生まれた。産声だ。抱いた夢を真実に理解した。果たしてなれるだろうか、アリスが、そして真由美が言うような『本物』に。


「⋯⋯見つけたのかい。これで君は神里の英雄コンビと同じステージに立ったことになるのかな。どちらにしろ、僕はそこに至れなかった」

「なんでだ?」


 一間が訝しげに目を細めた。見上げるあやかの顔は、奇妙なほど自信に満ちていた。


「いいじゃん。一間もなっちゃえよ」

「は?」

「戦って、いいんだよ。そうしたいんでしょ?」


 救われない誰かのために。言葉の意味に気付いた一間が、顔を真っ赤に染め上げた。


「いや。いや⋯⋯いやいやいやいや! 僕が、ヒロさんのヒーローに!? 相手は英雄ヒロイックだぞ? それに、デッドロックでも無理だったのに⋯⋯」

「一間なら戦える。こんなに強いんだ。ヒロイックを救って、にしちまえばいいんだよ」


 蛸のように茹だった顔を隠そうとするが、両腕がうまく上がらない。口をもにもに動かしながら、視線があちこちに動き回る。

 存外ウブな反応に、あやかはにっかりと笑った。


「お互い、やられっ放しは癪だろ? ジョーカーの鼻っ柱を明かしてやろうぜ!」

「……ジョーカー。ああ、うん……あのいけ好かない奴に、これ以上勝手されるのは癪だからね」

「素直じゃないなー」


 二人で、傾き始めた太陽を見上げる。お互いに違う色が見えているはずだ。それでも、同じ光を見ることができる。


「なれるかな、僕もヒーローに」

「そうなりたい。そう想ったのなら、きっと戦っていいんだ。自分の夢のために魔法の契約をした。それがマギアなんだからさ」

「マギア、ね」


 一間の表情が曇った。


「例えば、君はマギアじゃなかったとしても同じ事を言えるのかい?」


 言われて、あやかはきょとんと首を傾げた。


「そんな質問、意味がないだろ。俺はマギアになったから自分の夢に向き合えたんだ。だから戦える。マギアになりすらしなかったら、この夢も見つからなかった」


 戦う道。運命の至る果て。ようやく見えてきた希望がそこにはある。そんな確固たる自信をあやかから感じ取ったのだろう。一間は安心したように口元を緩めた。


「本当の意味でジョーカーと戦うというのなら、覚えておくと良い。君は真実に立ち向かうことになる。試されるはずだ。君の存在が『本物』なのか、それとも『偽物』なのか」

「……肝に銘じておくよ。俺は『本物』を勝ち取る」

「頼む。僕は、こんな世界だけど、この世界が好きだから」


 一間はゆっくりと目を閉じた。茂る緑、立ち並ぶビル、流れる水のせせらぎ、それらを包む風。そう、風を感じる。心地良い風を。

 生まれ育った高梁、第二の故郷である神里。その境界で風に包まれる。


「……少し、夢を見た。ヒロイックとデッドロックが並び立つ。僕はその背中を守るんだ。僕だけの居場所がそこにある」


 あやかは何も言わなかった。

 顔を上げる。逆光に揺らぐ少女の姿が。色は、水色。


「僕も、ヒーローになれるかな……」


 橙の少女は運命を受け入れた。

 刃を喉元に突き立てられる。斬り裂かれた傷口からドス黒い鮮血が噴き出す。あやかは、血塗れの日本刀を構えた大道寺真由美の姿を見た。


「これでいいんでしょう?」


 あやかと真由美が視線を交える。


「……ああ。これでいい」


 自らの夢に向き合った。運命の道を見つけ出した。

 そして、ついに来たのだ。彼女の夢と欲に立ち向かうべき時が。

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