Kampf auf Leben und Tod――――Desire

【死闘――――デザイア】



 経験の最たる成果は、情報の蓄積だと考える。

 英雄ヒロイックは多くのことを知っていた。彼女に因果を連ねるデッドロックもまた然りだ。長くマギアをしていると、様々な場面に直面する。それを不幸と捉えるか、財産と認識するか。後者を認めること、それこそが強者の証なのだと考える。


「ママは、どうしてあの男にこだわるの⋯⋯?」


 執着。醜さの果て。嫉妬のやじり

 母親は、自分を捨てた夫にずっとご執心だった。痩せ細った一人娘は、どこかぞんざいに扱われていると感じた。常に二番手。後回しにされている。それは幼い少女の勝手な感想だった。真実は不明。しかし、在りし日の少女は確かにそう感じたのだ。


「ひとまじゃいけないの?」


 僕。気を引きたくて、自分のことをそう言い始めた。だが、母親は過剰に反応することはなかった。愛情のベクトル。自分に向けられるのは常に二番目。

 そして、二階堂一間はマギアになった。

 純粋な夢の発露だった。

 しかし、魔法の力の脅威に、彼女は早くに気付いていた。情念が現実に発現する奇跡。その暴力性に誰よりも敏感だった。大人を力で屈服させられる。一間は気付いたのだ。


「経験が、あの人たちを強者にしている。隣に並び立つには、僕は階段を飛び越えなければいけない」


 常軌を逸していた。少女は狂気的な発想を実行したのだ。

 

 ネガ、そしてその結界。未だに謎の多い事象を明るみにする。魂なき肉体はネガの結界の崩壊から逃げられない。だが、マギアに触れていれば連れ出せる。体の一部を斬り取れば、その部分だけ。そして、欠落が固定化された部品は、朽ちることなく在り続けた。


「仮説。実証。考察。反省。実践。僕の強さ。僕だけの強さだ」


 何度も危ない目に遭って、それでも生き残り続けた。もう助からない犠牲者を実験体にした。英雄から手ほどきを受けたことで、マギア・デザイアは完成したのだ。


「ヒロさん、僕の強さは――――」


 一度だけ、彼女に全てを話したことがある。彼女は口を真一文字に結んで、愛弟子を抱き締めた。それっきりだった。何も言わず、いつもの関係に戻った。

 その時を想起すると、胸の奥が不気味に騒めく。

 果たして、どんな言葉を掛けて欲しかったのか。結局、自らが抱く本当の欲に向き合うことはしなかった。


「行ってきます――――ママ」


 二階堂一間の朝の日課。

 に挨拶を。







(消えた)


 太陽光に紛れて姿を晦ました。逃げたなんて思わない。視界のあちこちからバブルが立ち昇る。静かに接近する。あやかは拳の範囲に入った魔法を次々と迎撃していく。


「数で攻めるのか! 俺には通じないぞ!」


 声を張り上げる。『反復』の魔法で手数を増やせるあやかには、小粒の攻撃をばら撒く『泡沫』の魔法は効果が薄い。

 だが、生き残りの天才であるデザイアには百も承知のはずだ。

 あやかは知っている。だからこそ焦燥に駆られる。


(⋯⋯落ち着け。それこそが一間の手だ)


 あやかの魔法を知っていた。そしてそれをあやかに伝えている。全てこの状況を作るための布石だった。

 太陽が瞬いた。眩しさにあやかは目を細める。地に細長いシルエットが映った。大きく前方に転がる。前回り受け身からの立ち上がりに身体を反転。視界に橙の切れ端が映った。


(見失った⋯⋯!)


 左肩がビリビリと痺れる。棍棒の打撃が掠った。直撃は避けた。この程度のダメージはなんでもない。太陽が再び瞬く。


「リロードロード、確率変動!」


 全方位の蹴撃ラッシュ。手応えはない。頭部への違和感。自分の影がとんでもなく長くなっていることに絶句する。見上げる猶予はない。デザイアは器用にあやかの頭部に乗っかっていた。全身をバブルで包んでいるのは、浮力で体重を軽くするためか。


「デザイア♪」


 突き下ろした棍棒を、あやかの両腕が防ぐ。骨が異様な軋み音を上げた。折られなかったのは一重にあやかの肉体の強靭さゆえ。痛みを噛み締め、あやかはデザイアの両足を掴む。

 再三、太陽が瞬いた。

 視界が眩むが、既に攻撃の一手は掴んでいた。そのまま力任せに地面に叩き付ける。


「ぁ――――!!?」

「デザイア★」


 靴だけ。

 逆さまに落ちるデザイアが魔法の棍棒をフルスイングした。隙だらけのあやかの顔面にヒットする。視界が弾け、五感が消し飛んだ。あやかは身を固めながら後退する。


「リロード、リペア!」

「デザイア♡」


 弾けるバブルがあやかの足元を崩す。デザイアはここぞとばかりに殴殺に乗り出した。あやかの回復速度を真っ向から叩き伏せる。


「リペア! リペア! リペア! リペア!」

「デザイア! デザイア! デザ――ぅぐ!?」


 だが、真正面からの殴り合いはあやかの方が上手だった。リペアの魔法を使いながら、デザイアの動きを探っていた。一撃、また一撃。先読みのようなあやかのジャブがデザイアにヒットする。

 棍棒の動きが鈍る。数十手後には、あやかは完全復活していた。


「りぃ不尽だなぁもおおお!!」


 太陽が瞬く。

 だが、その直前にあやかの震脚が地を抉っていた。巻き上がる土煙。太陽光が遮られ、先の先を制する。防御に回された棍棒ごと思いっきり蹴り飛ばす。大橋の支柱に叩きつけられたデザイアが、血を吐きながら倒れた。


「そう都合良く眩しくなるかよ⋯⋯お前の魔法はつくづく厄介だな」


 バブルを通した太陽光の屈折。それをあやかに集中させ、視界を封じて攻撃する。あやかにリペアの魔法がなければ、きっとやられていた。


「厄介なのは⋯⋯はぁ、はぁ⋯⋯⋯⋯お前、だよ⋯⋯ぉ!!」


 地力の差。魔法の才能。

 戦略や経験値では覆せない、圧倒的な差。デザイアがいくら奇策を弄しようとも、真正面からの勝負でトロイメライは下せない。それはお互いに理解していたはずだ。

 だから、当然の結果。

 現実は必然だ。

 けれど――理屈が通った結論に、納得の感情が伴わない。

 あやかのような回復能力がないデザイアは、俯いたまま血を吐き続けた。あやかは警戒して近付かなかった。待っている。デザイアはあやかの接近を待っている。

 あやかの拳が、その身に破滅をもたらすことか。

 はたまた、この戦況を引っ繰り返す一手でもあるのか。


「一間」


 荒い息遣い。デザイアがギリギリの状態なのは確かだ。


「お前は、どうなりたいんだ?」


 問い。

 かつて、先輩マギアから投げられた言葉。

 獣に堕ちかけたあやかを繋ぎ止めた言葉でもある。


「どんなマギアになりたい?」


 デザイアが顔を上げた。双眸に、危ういほどの光が満ちていた。彼女は何一つ諦めていない。いつものチャーミングな笑みではなかった。研ぎ澄まされた刃物のような、そんなギラついた笑み。その目も含めた慚愧の嗤いに、あやかの心臓はゾクリと跳ねた。


「デザイア! ああ――――破、滅、的ぃぃいいい!!」


 両手のピースを横に傾ける。その間から慚愧の目線が覗いた。ダブル横ピース。あやかは一瞬たりとも目を離さなかった。

 ぼこり。

 ぼこり。

 デザイアが吐いた血から、赤いバブルが湧き上がる。その一つ一つに情念が篭っていた。表面に映る光景は、デザイアの情念の発露。鮮血のシャボン玉が太陽光を屈折し、橙色に輝いていた。


「破滅! 破滅! もうどうしようもないんだ!」

「一間」

「破滅的に滅茶苦茶やって! それが快楽の髄の髄なんだ!」

「お前は」

「それが僕という存在の根幹なんだッ!!」

「どうなりたい?」


 誰の一番にもなれない少女がいた。

 自傷的に食事を拒絶する少女がいた。

 破滅的に愛情を拒絶する少女がいた。

 破滅を振り撒くことを快と決めた少女がいた。

 それでも最期の一線は越えられない少女がいた。


「踏ん張ったから。そうなりたくなかったから」


 橙色のシャボン玉が映す景色。

 もう助からない命を実験体にする一方、救える命は見捨てなかった。見捨てられなかった。本当は母親と一緒に心中するつもりだった。二階堂一間は母親を愛していた。

 橙色のシャボン玉が映す景色。

 死に瀕して、それでも娘を生かそうとした母の腕。千切れた手足を今も手離さない。表情から溢れるのは自責の念。英雄から生き方を教わった。けれど、英雄ヒーローは自分だから助けたわけじゃない。守べき大勢の一人に過ぎない。

 橙色のシャボン玉が映す景色。


「不幸な奴には、不幸な末路がお似合いなんだ」

「だからお前は、諦めてねえはずなんだ」


 突き付ける。口に出来ない想いも、口から溢れ出た。デザイアがここまで隠し続けた欲の根幹が、その光景が、シャボン玉に揺らぐ。あやかはその現実を突き付ける。


「僕を殺して、全部終わりにしてくれ。運命の幕を引くのは、君が相応しい」


 宣言する。橙色のシャボン玉が一斉にあやかに襲い掛かった。そして、その手に棍棒を握ったデザイアも一緒に。



「だったら――――僕ら一緒に、破滅しよう⋯⋯」



 あやかは前進する。デザイアとともに破滅した過去を想起する。あの時のあやかとは違う。運命を打ち砕く魔法が、今はその手にあるのだ。


「それが自分の夢だって言い張るなら――――押し通してみせろよッ!!」


 振り抜く拳がシャボンを割った。斜めに構えたデザイアが衝撃を逸らし、返しの棍棒を振るう。顎を引いて回避したあやかが、目前を通過する棍棒を頭突きで弾く。思わぬ方向からの一撃にデザイアがよろめいた。


「ビックリ人間めッ!」

「お互い様だろッ!」


 距離を詰め、細かいフットワークで翻弄する。デザイアはバブルを目眩ましに拳撃を回避する。構えは斜めに、斜に構える。ふらついた重心を揺らしながら棍棒の攻撃軌道に乗せていく。あの針金のようなネガを想起した。


「デザイアっ!」


 振り抜かれた凶器を、彼女の狂気を、あやかは右腕を垂直に受け止めた。重心を大地に根差し、膝をクッションにインパクトを受け入れる。小さく回り込んだデザイアがあやかの死角に潜る。


「来い。全部ぶつけてみろよ! 用意された結末エンドで終わってんじゃねえ! 全部引っ繰り返すしたたかさがお前にはあんだろぉがッ!!」


 死角を見返さずに裏拳を放つ。デザイアの危機感が反応したか、大袈裟な動きで退避。バックステップで下がるあやかが背中からぶつかった。


「いひっ、ひ!!」


 口から変な息が漏れた。デザイアの足払い。だが、ただでさえ細身で、重心の崩れたデザイアの蹴りではびくともしない。動じない。揺るがない。振り返るあやかに合わせて、デザイアが血混じりの唾を吐いた。

 あやかの視界が真っ赤に染まる。

 その脇腹を棍棒がぶち抜いた。歯を食い縛って立ち上がるあやか。今度は背面から。バブルが次々と弾けて音を眩ます。咄嗟の勘で左右を警戒したあやか、その意識の裏。真っ正面から棍棒の突き出しが鳩尾を抉る。


「潰れちまえええ――――ッッ!!!!」


 運命も。破滅も。欲望も。思い通りにならない何もかもを。

 全部全部全部全部全部全部全部全部――――――……


「リロードッ!!」


 あやかが吠えた。肉体のあちこちが抉れても、回復に魔力を回さなかった。棍棒の連撃が、叩き込まれて叩き込まれて叩き込まれて叩き込まれて――――あやかは右足を上げた。右肘と抱え込むようにデザイアの棍棒を挟み込む。

 凶器が止められる。

 狂気が受け止められる。


「クラッシュインパクトッ!!」


 そして、砕かれた。

 あやかは血に染まった両目を見開いた。目前には、感情の読めない笑みを浮かべたデザイア。その目尻には涙が浮かんでいた。


「……ほんっと、厄介だよ。ちゃんと生き抜いている実力……それは『本物』だぜ」


 渾身の拳撃。真っ正面から撃ち抜かれた橙のマギアが仰向けに倒れた。涙が浮かぶその穏やかな微笑みは、どこか憑き物が落ちたかのようだった。道化を気取って、破滅に溺れた。そんな厚化粧が取っ払われてような。

 あやかは、やっと、本当に、二階堂一間という少女の表情を見た気がした。

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