デザイア・ヒーロー

【デザイア、憧れ】



 いくら下流を探しても、暁えんまは十二月三十一日ひづめあやかを見つけられなかった。理由は単純明快。あやかは大橋の下でひたすら潜水していたからだ。


「あっぶねえ⋯⋯もう大丈夫だろ」


 岸に上がったあやかは、大橋を支える柱の影に姿を隠している。体力バカの彼女も流石に息が上がっていた。が、それも少しの間だ。肺の中身を入れ替え、息を整える。思考は冴え渡り次を見据える。


(やっぱり、全ての決着は神里か⋯⋯)


 ここを登れば、そこは神里市の入り口だ。日は真上に登っている。夜を待つのは悠長か。思案するあやかの目前、シャボン玉が浮かんでいた。


「あ、これ――――」


 弾けた。閃光が目を焼いて思わず身が竦む。近くに何者かが降り立った音。そして、『泡沫』の固有魔法フェルラーゲンを持つマギアといえば。


「デザイア! ってどうしてそんな格好なのさ!?」


 橙のマギアが素っ頓狂な声を上げて横ピースを崩す。パンツ一丁で豪快に寝そべっていたあやかが身を起こした。魔力感知を避けるために生身で潜水し続けたのだ。もちろん衣服はびしょ濡れ、付近に雑に干されている。

 珍しく狼狽える先輩に、あやかは一言。


「いやん、えっち」

「……僕、ラブコメ主人公の気持ちが分かったかもしれない」

「てか、どうして見つけられたの?」

「魔法の応用。僕ってば、意外に索敵が得意なんだ」


 デザイアは両手の親指と示指で丸を作った。バブル。光の屈折を利用して視界を広げているのだろうか。生き残る技術に特化した彼女らしい技術だ。詳細な原理は分らないが、この捻くれた少女が素直に話すとは思えない。

 それより、聞き捨てならない一言が耳に残る。


「索敵、ね」

「そう。僕は君を探していたんだ、トロイメライ」


 初対面のはずだ、この世界では。しかし橙のマギアの態度はそう感じさせない。あやかは生乾きの衣服を身につける。


「お前、ジョーカーについたのか?」

「はは」


 曖昧に笑って誤魔化された。敵意を感じる。しかし、だとしたら、不意打ちであやかを襲わなかったことは、彼女の人物像として不適格だ。この状況を意味するところを考え、あやかは小さく口角を上げる。


「俺のこと、ジョーカーから聞いているか?」

「ああ。マギア・トロイメライ、その魔法の性質は『反復』。不意打ちを決めても、きっと僕なんかじゃ歯が立たない」

「それでも爪痕は残す。俺の知っているマギア・デザイアはそういう女だったよ」


 デザイアが小首を傾げて笑った。相変わらずその目は笑っていない。今の彼女が知る由も無いが、あやかは彼女に二度も破滅させられている。

 芝居がいらないくらいの異常者ナチュラルボーン・サイコパス

 直接戦闘に疎いが故に、常軌を逸した破滅行動が読めない。英雄ヒロイックを真の意味で打倒出来るのは彼女くらいだろう、とあやかは踏んでいた。要するに、高く買っていたのだ。


「一間、俺と組まないか?」


 だから油断しない。侮らない。対等、もしくはそれ以上に。きょとんとする少女の顔を見上げながら、あやかは手を伸ばした。


「ジョーカーと組むの、迷っているだろ」

「そんなんじゃないさ」

「じゃあ⋯⋯ジョーカー、好きか?」


 橙の少女は曖昧に笑った。やはりその目は笑っていない。


「奴に従う理由、あるか?」


 伸ばした手は掴まれない。だが、近くにすとんと腰を下ろしたデザイアに感じるものがあった。あやかは隣に腰を並べる。意外に高低差は無かった。


「⋯⋯一間、足長いんだな。モデル体型じゃん」

「さっきからさ! なんで僕の名前を知っているんだよ」


 唇を尖らせて抗議するデザイア。あやかは小さくその唇をつまむ。


「俺はこの世界を何度も繰り返してる。お前や、ヒロイックたちマギアのことも知ってるよ」

「は? 何を言って⋯⋯」

「ちなみに、一間とは同じ布団で寝た仲だ。半裸で」

「何を言って!?」

「ご飯、ちゃんと食べてるか?」


 デザイアは黙った。あやかは一間の事情を知っている。この一言でその事実を感じ取ったのだ。


「⋯⋯⋯⋯一間。ジョーカーは何を企んでる。?」


 沈黙があった。

 あやかは黙って待った。逡巡の気配があった。印象から言葉を投げた。それが正解だったことを半ば確信している。


「マギア・ジョーカー」


 デザイアはぽつりと零した。


「奴は神里のマギアを手中に堕とした。僕らの役割は、そういうことだったんだ。だから従うしかない。自然の摂理だ。僕は、マギア・ジョーカーの意志で、トロイメライを処分する」


 理解に至らない。だが、ジョーカー宿敵が有する世界を渡る魔法。それが彼女らに何らかの支配力を与えているのかもしれない。しかし、それも絶対的なものではなさそうだ。見ていれば分かる。ジョーカーもなりふり構っていられないのだ。


「二階堂一間の意志ではない、んだよな?」

「嫌なことを言うな⋯⋯」


 否定しなかった。その現実が仄かに真実を照らす。

 あやかはその頭にゆっくりと手を伸ばした。軽く叩かれた。予想通りだ。あやかの知る二階堂一間であれば、どんな選択を取るかは知れている。


「俺と、戦うのか?」

「まあーーーーーーー、ね」


 肩を強めに押される。軽く抵抗したらそのまま押し倒された。


「ジョーカーは嫌いだ。気に喰わない。けどね、あのどうしようもなく終わった英雄ちゃんが、唯一隣に立てる不良ちゃんが、放って置けない後輩ちゃんが、僕は、その⋯⋯好きなんだ」


 言葉の意味を咀嚼する。英雄ヒロイック、流浪のデッドロック、気鋭のスパート。彼女らもジョーカーに下っているのか。想像がつかない。

 あやかはアリスの言葉を思い出す。挑戦を選んだのは、あやか自身だ。


「あの外道の前では、僕らは等しくただの駒さ。それが破滅的に心地良い。あの人の隣で、曲がりなりにも、肩を並べて戦える。こんな僕を、君は⋯⋯壊れていると思うかい?」

「一間、お前はそういう奴だぜ」


 あやかは呆れたように笑った。在るが儘の肯定。デザイアの表情が変わる。あやかは純粋な腕力で彼女の肢体を持ち上げた。


「並び立ちたい。けど、叶わない。そんなもどかしさは⋯⋯多分、俺にも分かる。そう感じた相手はいたよ」


 熱病に侵されたような、そんな赤き幻想を想起する。

 派手に投げ捨て、それでも針金のような少女は猫のようにしなやかに着地する。日光を背に立つデザイアが狂気に嗤った。


「だから、お前には理由がある。戦う意志を持つ理由。たった一つのシンプルな真実だ」


 気取ったようにあやかは言った。


「だから俺はここまで辿り着けた。何度打ちのめされても、きっと俺には理由があった。それが俺の意志だ」


 魂の煌めき。

 それは魔法の力の燃料源。


「破滅願望なんて捻くれで、自分の意志に背くなよ」

「僕は向き合えない。悲劇的で、とても不幸な女の子だから」

「そんなヤワな奴じゃねえって、俺は知ってるぜ」


 少女が少女を押し退ける。その行為がどこか象徴的な気がして、二人して間合いを取った。


「僕を救ってくれ。僕の、僕だけのヒーローになってくれ」


 針金のように細長い少女は、そう言った。懇願するように。または嘲笑うように。あやかはその言葉を反芻する。なり得るか、自身の夢に。咀嚼する。噛み締める。


「ヒロイックはれなかった。あの人はみんなのヒーローなんだ。万人に求められる、それが英雄だ。それが師匠の原色オリジンであり、悲劇の根源でもある。僕が望んでいるのは


 見据える。

 二階堂一間と十二月三十一日ひづめあやか、二人のマギアがその煌めきをぶつけ合う。


「僕だけを見てくれ。僕を一番に考えて。一緒に破滅して、それでも救い出してくれるヒーローを」

「破滅を覆す、という破滅か。力づくでもいいのならな!」


 一番。

 その言葉に浮かぶ色。


「その目は僕を見ていない。分かるんだ。分かるんだよ! どいつもこいつも言葉ばっかで!!」


 表情を変えないまま、少女は荒れ狂った。あやかの知らない二階堂一間。感情の彩が際立つ。あやかは魔法の呪文を口ずさむ。魔法装束を纏った。

 灰色の魂、マギア・トロイメライ。


「破滅したい。破滅しろ。救われたい。

 ママも! 師匠も! お前も! ぜぇんぶ僕が破滅させてやるよぉお!!?」


 破滅願望デザイア。少女はわらった。その目は笑っていなかったが、それでも魅力的な笑みだ。あやかは、そう感じた。

 ヒロイックには無理だった。誰かのための、たった一人の勇者ヒーロー


「俺は何度も破滅した。けど、立ち上がってここまで来たんだ。お前だって――そんな強さがある」


 実感している。強敵だ。

 正午の太陽が一際煌めいた。橙の少女の姿が消える。運命が瞬く。死闘だ。暴力と暴力のぶつかり合いではなく、魂の強さの競い合い。恐るべき相手だ。

 あやかは、グッと拳を握り締めた。

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