アリス・ヴァール

【アリス、選択】



「勝ったのは⋯⋯あやかちゃんだったんだね」

「悪いか?」

「ううん。


 その言葉の意図は分からない。


「お前、マギアだったんだな」

「さっき契約したばかりだけどね。マギア・アリス、それが名前なんだって」


 『終演』を一撃で撃ち抜く魔力。尋常ではないことはよく分かる。


「ジョーカーがアンタに拘っていたのは、その力故か?」

「うーん、それは断言できないかも。あの子、単純に私と居たかっただけなのかもしれないから」


 困ったように微笑むアリスの身体が白く透けた。肉体から光の粒が零れ落ちる。


「あはは、やっぱり私じゃこれが限界かあ⋯⋯」

「でも⋯⋯『終演』はアンタが倒したんだ。誇って、いいと思うよ」

「ありがとう、優しいんだね」


 どんな風に魔法を使えばこんな風になるのか。光に溶けていく肉体を見て、あやかは心臓が握り潰されるようだった。力なく笑うアリスがその手を握る。


「あやかちゃんはここまで勝ち抜いた。マザーに打ち勝った。だから、私は貴女に選択肢をあげられる」

「選択肢⋯⋯?」


 アリスの言葉には現実感がなかった。どこかお伽話を読み聞かされているようなあやふやな心地がした。

 あやかは世界を見渡す。そして絶句した。世界が崩壊を始めていた。天が、地が、全てが崩れて虚無へと落ちていく。


「救済か⋯⋯⋯⋯挑戦か」


 ラストコール・エンドフェイズ。

 それは役目を終えた世界の、後片付け役。その存在そのものが崩壊を引き起こしているわけではない。


「救済を選ぶと、どうなるんだ⋯⋯⋯⋯?」

「ここで貴女は解放される。貴女が世界を終わらせるの」


 世界の終焉。そのトリガーを引いて、運命の輪廻から解放される。


「この世界は、始まりの門と終わりの砂時計に支えられている。終わりのあやかたちがそこに実体を与えて、マザーが世界を移っていく」


 つまりは、と。


「残った貴女が消滅すれば、何もかもがおしまい」


 頭が混乱する。状況が何一つ理解出来ない。言葉が頭まで届かない。自分の今までの戦いを思い出す。果たして意味はあったのか。世界が崩壊する音を聞きながら、あやかは頭を抱えた。

 アリスが純白の弓矢をつがえた。

 救済の意味だけは分かった。あの救いの矢に撃ち抜かれる。たったそれだけ。それだけでこの苦しみのループから解放されるのだ。縋るような思いで、しかし踏み止まる。


「挑戦、は⋯⋯?」

「もう一度繰り返す。貴女が『終演』を倒さないと、神殺しの神話は完結しない」


 はっきりとアリスは言った。まるで、あやかをその選択肢から遠ざけるように。弓を引くアリスは、慈愛の目をあやかに向けた。ここで引導を渡すのが救いになる。そう考えているのかも知れない。


(アタシは、救われたかったはずだ)


 そのためにジョーカーを倒したのだ。だから、その選択肢を取ることは、なにも間違いではなかった。けれど、この身を裂きそうな心臓の鼓動は一体。

 だから、あやかは、選択から逃れるために、現実を盾にした。


「繰り返す⋯⋯? ジョーカーは倒した。もう世界を渡れる奴はいないはずだ。そうだろ? そうなんだろう!? だから挑戦なんて無理なんだろ!!?」


 アリスは小さく首を振った。

 ジョーカー以外にもループ現象を起こせる奴がいる。その結論はあやかの早とちりだった。背後に、ねっとりと絡みつくようなプレッシャーを感じた。。恐るべき魔力の籠もった、紫の視線を。


「あやかちゃん、時間がない。早く選択を」

「俺は、アタシが、したい⋯⋯のは――――――」






「「待った」」


 背後を盗み見ると、腹に大穴を空けたジョーカーが立っていた。そして、アリスの向こうに、ボロボロの真由美の姿があった。

 彼女たちは、まだ完全にリタイアしたわけではない。

 死に物狂いで、最後の力を振り絞って、究極の選択の前に立ちはだかる。






「まだ終わらせない」

「えんまちゃん」

「こんなところで、終わらせない」

「えんまちゃんっ」

「私はこの手に掴むの」

「えんまちゃん!」

「トロイメライは絶対にやり遂げる。だから!」

「えんまちゃんッ!!」


 アリスが悲痛な声を上げた。救済の矢をジョーカーに向ける。あやかが救済を選べば、きっと、トドメは彼女が下したのだろう。


「貴女は、負けたんだよ」


 残酷な一言に、ジョーカーが項垂れた。その哀愁が、どこか捨てられた仔犬を思い出させる。放って置けないような、そんな情けない姿。


「アリス」


 あやかが口を開くと同時、真由美が腕を振るうのが見えた。しかし、なけなしの攻撃はアリスの矢が撃ち落とす。


「俺は――――挑戦したい」

「どう、して⋯⋯?」

「ごめん。本当にごめんな。アリスが、俺のためにこんなことしてくれているんだって⋯⋯⋯⋯なんとなく分かっちゃうんだ」


 でも、と。


「俺は、やっぱり、夢を諦めたくないよ⋯⋯」


 ヒーローになること。捨てられない想い。その言葉を聞いて、アリスは満足そうに弓矢を下ろした。

 輪廻の輪が巡る。運命の歯車がカタカタと歌い始めた。マギア・ジョーカーの『時空』、とは違うだ。死闘を繰り広げたあやかには分かる。彼女の魔法ではない。別種の、与えられた役割の行使だということが。

 そして、時間と空間が歪み、巡り、拓く。次の世界へと。


「アリス!」


 声を荒らげたのは、真由美だった。水色の弓矢を構える。アリスはゆっくりと振り返った。


「どういうつもり⋯⋯? 既に正気を失っているの?」

「私は私だよ。そして、私はこの世界を渡れない」


 アリスの身体は、既に輪郭が曖昧になっていた。肉体が崩れ落ちそうになり、あやかが慌てて支える。


から逃れている? やっぱり、貴女は『偽物』なのね」


 アリスは曖昧に笑った。


「終わりのあやか――――飛んだ茶番だったわね」


 水色の矢がアリスの心臓を貫いた。アリスは抵抗らしい抵抗すらせず、甘んじて必殺を受ける。逃れたところで、どのみちその命は秒読みだった。だが、そう簡単に割り切れるものではない。

 特に。

 彼女に特別な愛情を抱いている道化ジョーカーからしてみれば。


「真由美ぃ伏せろおお――――ッ!!?」


 銃声。

 反応は間に合わなかった。大穴を空けた肉体で、ジョーカーが死に物狂いで銃弾を放ったのだ。反動でその身が大地に突っ伏す。真由美も鮮血を吹き出しながら倒れた。


「⋯⋯⋯⋯どうなってんだ、ちくしょう」


 立つのは、あやか一人。崩壊を続ける大地を這いながら進むジョーカーに近付く。トドメを刺す気には、とてもじゃないがならない。その代わりに。


「アレを、通ればいいのか?」


 世界に空いた虚空、それが入り口だった。進もうとするあやかの足を、ジョーカーが掴む。恐るべき握力だった。


「貴女は、通れない⋯⋯終わりのあやかは⋯⋯⋯⋯世界を、渡れない⋯⋯私だけ、統括者マザーだけが⋯⋯その役割を⋯⋯⋯⋯っ」


 どこにそんな力が残っていたのか。執念の獣があやかを投げ捨てた。叩きつけられたのは、塵芥に砕けていく大地の一画。虚無に墜ちていくコンクリートの塊から次世界への門には、脚力だけでは飛び移れそうにない。


「ロード!」


 虚無の上を走る魔法が、塵に散らばった。何度やっても結果は変わらない。絶望に心が曇る。このまま世界とともに消滅する。その結果を目の前に突き付けられた。


「ジョーカー⋯⋯てめえッ!!?」

「また⋯⋯次の世界で、会いましょう」


 這いながら門を潜る少女が、静かに微笑んだ。あやかが次の世界に記憶を持ち越せることを、ジョーカーは知っている。この世界で知った。

 これで条件は五分と五分。あやかは自分の運命を受け入れた。救済ではなく挑戦を選んだ。ちゃんと選択肢があって、それでも選んだ。その事実を魂に刻み込む。


(ただただ巻き込まれただけじゃない。ちゃんと関わるって、自分で選択したんだ。だから、この戦いはきっと『本物』なはずだ)


 『偽物』と『本物』。

 そういえば、真由美は拘っていた。そんなことを思い出す。アレはどういう意味だったのか。今ならなんとなく分かる気がする。


「それでも、認めさせてやるよ。俺のことを、お前に」


 撃たれた真由美の姿を探す。しかし、見つからなかった。世界の崩壊に巻き込まれてしまったのかと勘繰ったが、違った。収縮し始める次世界への門。その輪郭なきふちに、真由美は手を掛けていた。


「そうか。お前は、辿り着いたんだな⋯⋯⋯⋯」


 これまで、真由美があの門まで辿り着いたことはなかった。彼女にも自分の戦いがある。進んでいる。胸が熱くなった。


―――― 本当に、大事なら、きちんと⋯⋯本物にして


 皮肉にも、思い出したのはジョーカーの言葉だった。思えば、あやかは真由美の戦いについて無知だった。それを自覚する。

 彼女がなんのために戦うのか。

 その魂を投資してまで手にしたかった夢はなんなのか。

 まだまだ知らないことが多過ぎる。これから知っていこう。向き合っていこう。そのために、あやかは拳を握り固めることが出来る。


「しっかしまあ、みーんな俺のことを置いてっちまうな⋯⋯」


 だから、追いつこう。

 きちんと同じ地平線で向き合えるために。


『トロイメライ』


 そんな決意を固めたあやかの頭に声が響く。

 見上げると、二足歩行二頭身の白ウサギが長耳を揺らしていた。

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