メルヒェン・ドリーム

【メルヒェン、夢】



 中学校の入学式。

 私立の名門中学校の受験に失敗した少女は、公立のありきたりな中学校に通うことになった。あの、失望したような父の目に怯えながら。けれど運命というのは、とても気紛れなものらしい。思わず我が目を疑ってしまうような情景。


 運命が、人の形をしていた。


 一目見たときから、そのカリスマ性は肌で感じ取れた。一本筋の通った凛とした顔だち。燃えるような正義感で突き進むクラスの人気者。クラスの誰よりも勇ましかった彼女は、特に女子生徒からの人気が高かった。

 少女は入学以来、教室の隅っこからずっと眺め続けていた。頭の回転も速かった彼女は成績も学年トップ。運動は言わずもがな、陸上部のエースオブエース。誰もが憧れる完全無欠のヒーロー。

 少し上気させた頬を隠すように、頬杖をつく。その視線はどこか熱っぽかった。いじらしく、内気な、秘めたる想い。


「おい!」


 その声に心臓が跳ね上がる。見過ぎて視線に気づかれたか。頭の中が一瞬でパニックになった。湯気が巻き起こる勢いで脳内が沸き立つ。何か弁明しなくては。しかし、喉の奥がひりついたように、掠れた声しか出てこなかった。


「お前もこっちに来いよ――――大道寺」


 人に囲まれた彼女が名前を呼ぶ。他でもない自分の名前。そして力強く、にっかりと笑ったのだ。まるで太陽のような笑み。人を引き寄せる確かな魅力がそこにあった。

 うまく言葉が出ないまま小さく頷いた。トコトコと早歩きで人だかりに向かう。少女はこれまで集団から外れずに、それでいて群れずにいる微妙な距離感を保ってきた。

 今踏み出した一歩は、果たしてどれほど大きな一歩か。


「あの……よろしくお願い、します」




 いつかの教室。夕暮れの日差し。揺らぐカーテンの向こうに彼女の姿。


「なんで、私なんかを……?」


 ギラリとした、猛禽のような歯を光らせて彼女は笑う。大胆不敵、傲岸不遜。そんな言葉が似合う学校の人気者。視線を集める魅力、彼女にはそれが満ち満ちていた。


「んー? んなもん決まってんじゃん!」


 街の不良をボコボコにして舎弟にしているとか、車に跳ねられそうになった子供を助けるために拳でトラックを弾き返したとか。どこまで本当なのか分からない伝説がついて回っていた。

 しかし、彼女はそんなことを鼻にかけたりしない。ただ、あるがままに。自我のままに突き進み、彼女にとってはなんてことのない、当たり前の結果だった。

 そして、今回も。


「真由美、かわいいからね。なんか、お姫様って感じですごいイイ!」


 照れた少女がそっぽを向く。


「俺はヒーローだからな。姫を守るのは当たり前だ」


 ヒーロー。彼女に気に入られた少女は、嫉妬からかしばらく他の女子生徒からいじめにあっていた。しかし、それもしばらくするとぱたりと止んだ。彼女がなんとかしたのは分かりきっていた。


(でも、私なんかが……)


 嬉しい。素直な気持ち。

 しかし、それとは裏腹に罪悪感も抱いていた。何故、なんにもない自分が。報われない自分が。自虐的な悲観が少女を包む。


「俺が真由美を守ってやる。だからお前は俺のものだ」


 何者かになりたかった少女は。しかし、ただの偶像としてしか愛されない。誰もが認めるヒーロー。少女は憧れ、そして夢でもあった。


「ねぇ」「どうした?」


 その一言には勇気がいる。身体中をかき集めても足りない程の勇気。それでも、戦い続ける彼女に追い付くためには自分も戦わなければならない。

 息を大きく吸い込み、ゆっくりと吐き出す。手のひらから滲み出る汗を握り潰す。不器用で、不格好な、それでも本気の、『本物』を。



「私と――――友達になってくれませんか?」



 彼女は声を高らかに笑った。あまりにもツボだったみたいで、座っている机から転がり落ちてまで、しばらく悶え続けていた。一方の少女は顔を真っ赤にして俯いたまま。そんな異様な状況が続いた。


「ああーーーなんだぁ? 俺たち今までは友達じゃなかったのか?」

「いや、あのその…………」


 ようやく笑いを収めた彼女が笑顔で聞く。少女はしどろもどろになりながらも、それでも自分の気持ちを。


「ちゃんと……対等な、対等な友達として、いたくて」


 同じ地平に立てるように。同じものを見られるように。


「私ね、星を見るのが好きなの。だからね、今度一緒に、貴女の好きなものも「対等……対等、か」


 言葉は遮られる。


「対等は⋯⋯難しいかもな。俺は普通の人間と違う『ヒーロー』なんだから」







 大道寺真由美は跳び起きる。嫌な汗がびっしょりと身体を濡らしていた。夢を見ていた。


(悪夢なんかじゃ、ない。そんなはずは――ないッ!)


 振り払うように、肌に張り付くパジャマを脱ぎ捨てる。寝ぼけ眼を擦りながら重い身体を引き摺る。二週間。勝手慣れてしまった風呂場で汗を流す。ぼぅっとしながら十分以上もぬるま湯を浴びると、ようやく頭が覚醒してきた。


「しまった⋯⋯着替えもタオルもない」

「バスタオルあるよー! お着替えはこっちね!」

「ぁ、はい⋯⋯」


 だが、これだけは慣れない。甲斐甲斐しく世話を焼かれる日々。本当は、逆の立場で然るべきはずなのだ。しかし悲しいかな。真由美にそんな甲斐性は無かった。


「ありがとう、ございます⋯⋯⋯⋯叶さん」

「遥加でいいってばー!」


 なんの因果か、真由美は白い少女の家に匿われることになった。ジョーカーには明かしていないらしい。大親友らしい彼女は家に来ないのかと聞くと、『出禁にしたよ。だって目が怖いんだもん』と真顔で返されてしまった。


「私はえんまちゃんのところに行くけど、真由美ちゃんも一緒に行く?」

「ご冗談を⋯⋯」

「えー、どうせ目的地は一緒でしょう?」

「奴に殺されます」


 半分以上本気で真由美は答えた。窓から差す光は赤い。陽が落ち掛けている。仮眠明けに団欒している状況だが、これから『終演』に向けた決戦に赴くところだ。


「どうして、貴女も行くんですか? 戦う力、持っていないはずでは」


 その言葉の意味を真由美は察する。その場に居れば、一つだけ大きな選択をなせる。魂を煌めかせるだけの素質は、間違いなくあるはずだ。


「その前に、ちょっとめっふぃと話さないと」

「⋯⋯⋯⋯なんで?」

「ふふ、秘密! だから、ゆっくりと話せるのは今が最後だよ。真由美ちゃんは――――私に聞きたいことがあるんじゃない?」


 この二週間、チャンスはいくらでもあった。真由美は一度もその問いを口にしていない。単に答えを聞くのが怖かったから。

 だが、今、こうして、促されている。


「女神アリス」


 真由美は覚悟を決めた。


「貴女の目的は、一体なに?」


 遥加はきょとんと表情を崩した。


「私は女神じゃないよ? ただの、アリス。そして、マギア・アリスに至る光。私の目的は、こと」

「やっぱり⋯⋯貴女は女神そのものじゃないのね。ジョーカーと一緒に、この世界をどうする気なの?」


 真由美はスコープを覗く。その手を遥加が優しく外した。抵抗出来なかった。


「真由美ちゃん、貴女はどうして戦い続けるの?」

「私は⋯⋯⋯⋯失ったものを取り返したい。今度こそ、ちゃんと隣に立てるように」

「だったら、ちゃんと自分の目で見ないとダメだよ。自分の目で見て、判断しないと。本質を見ないと。表層ばかりに囚われていちゃ、いつまで経っても『本物』には追いつけないよ」


 絶句する真由美を遥加は優しく抱きしめる。


「頑張って。負けないで。負けてもいいけど――後悔だけはしないで」

 






 思い出す。童話の世界が好きだった。

 こことは違うファンタジーの世界。そこでは皆に愛される、とっても素敵なお姫様がいる。いつか、白馬に乗った王子様が現れて、二人は結ばれて幸せに。


「私は貴女のお姫様」


 詭弁のように呟く。焦がれるほど憧れて、それでも求めるものは得られない。童話の姫に憧れた。しかし、それ以上に憧れた。あの光り輝く勇者の姿に。


「俺がお前を守ってやる」


 マギア。人知れず戦う正義の味方。彼女はヒーローだった。誰もが憧れ、誰もが求めた。光り輝く勇者ヒーローの姿。


(ねぇ、違うの)


 対等な友達に。その言葉に偽りはなかった。彼女の高みにいつか追いついて、共に戦える存在へと。


(この世界にはまだまだ私の知らないことがたくさんある。そう……あって欲しい)


 だから、願った。

 夢があった。魂の煌めきは少女の夢物語メルヒェン・サーガに呼応した。



「私はもっと――――――


『たくさんのものをみてみたい』」



 まだ見ぬ世界に想いを馳せて。マギア・メルヒェンは自分の原点オリジンを思い出す。

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