ヒロイック・シュレヒト・エンデ

【ヒロイック、悪意ある結末】



 幽鬼の『フェードアウト・フーチャー』――その性質は、憤怒。







 疑いようもなかった。目の前で変貌したかつての相棒。独りの記憶しかなったヒロが見つけた、最初の光。特別な相手だった。彼女が具現化させた呪詛の形。噴出する憤怒の熱量が魂を焦がす。


「みぃな⋯⋯」


 赤い矢印が縦横無尽に駆け巡る。喪失でポッカリと空いた虚に、憤怒のマグマが流れ込む。怒りに魂が震える。一方、反比例するように表情は冷めていく。否、醒めていく。

 ネガの結界では、魂の彩が際立つ。感情が色めきたつ。

 その揺れ幅は、敵意へと終極される。即ち、英雄ヒロイックのベストコンディション。鎖とリボンの洪水が熱量を押し退ける。


「貴女とは、結局解り合えなかったわね」


 そんなことはない、と今でも信じている。お互いに掲げた信念と、交わる信頼があったからこそ、道は違えたのだ。なあなあの関係で済ませなかった。そんな本気の相手だからこそ。

 結界を満たす熱気が形を作る。顔のない赤い少女。英雄が愛した少女が象られる。ヒロイックは人差し指を曲げて挑発した。


「りりり――――とことん付き合ってあげる」


 熱に溶け出した鎖を鞭のように振るう。炎の槍が焼き尽くすが、リボンに包まれたヒロイックが熱気を防ぐ。

 あまりの熱量で視界が歪む。見たくない幻覚が浮かんでは消えていく。それでも、目は決して瞑らない。見て、聞いて、嗅いで、味わって、感じる。五感が貪欲に苦痛をも飲み込んだ。


「まやかしも、偽りも」


 膨張する矢印の群れ。膨れ上がる熱量。肺を焼く憤怒を、それでも英雄は受け止める。


「貴女の感じたもの。それは『本物』よ」


 ヒロイックが咳き込む。喀血かっけつ。肺が焼かれて黒い血を噴き出す。止まらない。血が地に落ちると同時、蒸発する。蒸気に目が眩む。よろめいたヒロイックの腕が力強く引っ張り上げられた。


「だから、ね。みぃな――――」


 四月一日みぃな。

 マギア・デッドロック。赤く燃える正義の燃え滓。

 唇が触れそうなくらい、近く。彼女の顔が目の前にあった。どうして手離してしまったのか。固く、硬く、頑なに、縛り付けておくべきだったのに。後悔が押し寄せる。

 腕を少し伸ばせば、抱き締められる。今度こそ離さない。熱病に侵されたように呻く。甘く、熱い。英雄は静かに微笑んだ。


「私、どんなに辛くても向き合っていける。死ぬまで英雄で在り続けるわ」


 渾身の蹴り上げが、虚像を真っ二つに引き裂いた。燃え盛るリボンが散り散りの熱気を包み込む。


「だから安心して。私は英雄のまま――――死んでみせる」


 呪装強化。膨大な熱量に満ちた結界で、英雄の鎖が守ったもの。包んだ憤怒をそこに叩きつける。

 四月一日みぃなの死体が容赦なく焼き焦げた。衝撃に四肢は千切れ、爆発する。熱気に骨まで溶け落ちる。散った狐火を誘導する深紅の矢印に向け、英雄はとびっきりの殺意を浴びせた。


英雄鉄槌リヒトゲヴィヒト


 集合離散を繰り返すネガを押し潰す。分銅、重みが異界に降り注いだ。万や億では下らない。魔力の続く限り、想いを振り落とす。一つ一つは取るに足らない質量でも、総量で『M・M』の呪詛とネガの熱量を上回る。


『やらせねーさ』


 幻聴が聞こえた。

 炎上する。燃え盛る炎が、たった一つの少女に収束する。あれほどの熱気が嘘のように引いていく。全てを集めた後、極寒の戦場で二人は向き合った。


『ヒロ。あんたはここで、死んで、楽になれ』

「みぃな、まだ決着はつけていなかったっけ」


 二人して、決着を、決別から逃げていたから。未練があった。けれど、本気で殺し合えば二度と折り合えることが出来ない予感があって。

 大槍を構えた袋小路デッドロック。消耗し切ったヒロイックは魔法装束も焦げ落ちて、裸一貫で立ちはだかった。焼けた肌を包帯のようにリボンが覆う。右足をギプスのように鎖が覆う。デッドロックを象ったネガが疾駆する。


「さようなら」


 英雄の大蹴りが槍の突進を打ち砕いた。真正面から、今度は逃げずに。怪物に近寄るのが恐ろしくて、でも遠くから攻撃する手段も乏しくて、そんな逃げ腰から極めた蹴り技。それでも、積み上げていった本物の力だ。

 熱病も極寒も溶けていく。ネガが打ち倒され、結界が崩壊し始めたのだ。ヒロイックは唇を噛み締めた。


(まだ⋯⋯倒れるわけにはいかない。いくらマギアがネガを生みやすいと言っても、ネガ堕ちはそうそう起こることじゃない。裏でとんでもない悪意が渦巻いているはず)


 英雄として、求められる偶像として、打ち倒さなければならない。そのために残った全ての力を使い果たそうとも。

 肺だけではない。内臓の多くがネガの炎に焦された。再起は難しい。それどころか、このまま戦い続けたら肉体の無事も怪しい。感覚が既に壊れている。痛みすら焼け落ちた。

 怒り。憤怒の熱が移ったか。それもいい。身も心も焼け落ち、残るのは信念だけ。


「全部、終わらせる」


 決意を口に。自分の運命が袋小路に至ったことを、いっそ嬉しく思う。だから、最期まで貫かなければ。


「決着を――――――⋯⋯⋯⋯」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る