ジョーカー・シュレヒト・ウィッツ

【ジョーカー、悪意ある機知】



 飛沫の『エラー・エントリー』――その性質は、散逸。







 絶望の海。水中を漂っているような浮遊感。遥か頭上を遊泳する巨大な深海魚。剣の涙がちっぽけな紫に落ちる。咲き誇る剣の山。しかし、鮮血の艶花あでばなが散ることはない。


「歪曲」


 空間が歪み、まるでシェルターのようだった。切っ先を弾き、不自然に凶刃が捻じ曲がる。ジョーカーはつまらなそうに片腕を振った。


「メルヒェン――――どうやって、こんな」


 呼ぶのは、この状況を引き起こした下手人の名。彼女以外に有り得ない。これまでの世界の記憶を保持しているからこそ、その答えまで辿り着いた。

 だから、分からないのはだった。

 動機は察するに余りある。実行するための能力もある。しかし、、その方法が皆目見当もつかない。


「だって、彼女は⋯⋯⋯⋯」


 独り言を剣の華が封殺した。虚空に、生け花のように剣が咲いた。ジョーカーの歪曲空間を喰い破る。断絶した真空を壁に貼るが、貫かれる。空間という概念自体を封殺する。

 深海魚が涙を落とす。暗緑色の矢印が涙を覆う。見覚えのある凶兆。


「マーカー・メーカー」


 捻じ曲がる。隔絶する。ジョーカーの固有魔法フェルラーゲン、『時空』が全てを拒絶する。だが、歪んだ防壁は剣山に真っ直ぐ浸食される。直情直進、その呪詛の形は。


「へえ、馬鹿に出来ない⋯⋯」


 右頬をザックリと切り裂かれる。呪装強化。ネガの呪いを加速させる魔法。そう、これは魔法だ。情念が現実を歪めた結実。夢想の顕現。ジョーカーの背後で羅針盤が廻り出した。


「セット――――遅滞行動」


 現象が停止する。ジョーカーが周囲の時間の流れを歪ませたのだ。近付けば近付くほど進みは遅く。ジョーカーは両手に小銃を構えた。引き金を絞る。


「加速、乱曲」


 発砲音は二つ。だが、遅滞婉曲した時空では数多に引き延ばされる。無数の弾丸が断絶した空間を通り抜け、ネガを周囲八方に取り囲む。時間加速。威力を増した運動エネルギーが深海魚を蜂の巣にした。

 魚が墜ちた。自身が生やした剣山に貫かれる。

 ジョーカーが腕を下ろす。『時空』は、魔法としては最高峰のランクになるだろう。ジョーカー自身も十全に使いこなせているとは思えないが、ここまでやれれば十分過ぎる。


「メルヒェン。やはり、お前は危険」


 意識を次に向ける。

 だからこそ、反応が遅れた。肉をズタボロに落としながら深海魚が突進してくる。地を這う猪突のように。巨体を呪詛刻印の矢印が覆った。ジョーカーは小銃を盾にまともに受ける。空間を捻って衝撃を逃すが、それでも全身の骨が軋んだ。

 呻き声を飲み干す。咽せる息を吐き出す。


「こん――――のッ!!」


 ようやく勢いが止まった土手っ腹を、力任せに蹴り抜いた。ずぶりと沈んだ。不用意に突っ込んだ足に剣山が咲く。激痛に転がりながらも二丁小銃を上げる。深海魚が振り撒く涙粒。ジョーカーは小銃を盾に大きく飛び退いた。マジカルライフルが呪詛に貫かれ、一瞬離すのが遅れた両手を苛む。


「こいつ、なんでこんな⋯⋯⋯⋯」


 ジョーカーもヒロイック同様、あまり回復力は高くなかった。加え、彼女はダメージを負うこと自体がまず少ない。慣れない痛みに唇を噛みながら、停止させた時間の中で少しでも回復を図る。


「所詮は、スパート。ネガ堕ちしても、実力は、たかが知れる。なのに⋯⋯⋯⋯なぜ? 『M・M』の刻印はそこまで⋯⋯?」


 否、そうではない。

 だが、ジョーカーは気付かない。

 見下しているからこそ。

 その想いの強さに。純粋さに。


「なら、捻じ伏せる。メルヒェン、私の世界で好き勝手はさせない」


 時計の針が動き出す。ジョーカーの背後で歪む羅針盤。悪意の刺突を掌で受ける。


「セット」


 羅針盤の導きを。

 圧縮、狭窄、捻り切る。呪いの全てを歪み潰す。歪曲、歪みきった精神が為せる魔法。剣山が種籾まで巻き戻される。押し潰されて小さな粒に固められる。確かな手応えに、ジョーカーは嗤った。


「ああ、悪くない」


 右手の中に小銃を生む。


「これが、私の魔法。私が、私である、存在意義レーゾンデートル


 誇示する。力を。魔法の新たな領域へと至る。

 想いの強さであれば、彼女だって引けを取らない。


「私の――――魔法ッ!!」


 ぶっ放す魔力。異界そのものを歪め堕とす魔技。悲劇の深海魚を世界ごと、『M・M』の刻印ごと圧殺した。結界が泡沫のように崩れていく。まるで、淡い恋に零れた人魚姫のように。

 暁えんまは、御子子寧子の額に手を当てた。それは、静かな黙祷のようだった。


「呪い、感情の渦を加速させる魔法」


 粘っこい泡が肩に纏わり付く。ジョーカーは払わなかった。


「唾棄すべき悪徳」


 吐き捨てる。獰猛に口角を上げた。


「⋯⋯アリス。貴女を必ずこの手に」


 誓う。

 魂に。

 結界は崩れ、ジョーカーは噴水の前に降り立った。あの二人がこんなところで脱落するとは微塵も思わない。プリズムに煌めく噴水の向こう側に、彼女はいた。


「メルヒェン」


 敵意と敵意が視線で溶け合う。湧く水の果てから垣間見える水色の煌めき。


「私は、もう、負けない」


 誓う。

 あの愛しい純白の少女に。そして、水色の悪夢に相対するトロイメライに。


「決着を――――――⋯⋯⋯⋯」

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