トロイメライ・ロット

【トロイメライ、ボスラッシュ】



 腐乱の『ゴーン・オフ』――その性質は、愚直。

 形影の『ドット・マター』――その性質は、無機。

 園芸の『スコップ・スコーン』――その性質は、浸透。

 寂寥の『ミミノ・マモムーモ』――その性質は、憧憬。 






「ネガの結界内に別の結界が展開された場合、巨大な箱のように閉じて、入れ子構造になるわ」


 訳知り顔で真由美が解説する。どうしてそんなことを知っているのかは謎だったが、あやかは今更気にもしない。なんとなくマトリョーシカのように小ちゃくなっていく真由美を想像する。力強く頷いた。

 しかし、問題はそこではない。


「じゃ、目の前のを説明してくれよ」


 真由美は皮肉めいた笑みを浮かべた。意図はあやかには分からない。

 目前の光景、まさしく地獄だ。入れ子構図の異界がのっぺらとした平面に具現する。虫喰いのように浮き出る芝生と蛆山が歪な迷路を築いていた。草の匂いペトリコールと腐臭が混ざり合って鼻腔を苛む。


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯ん。空間を均一化、平面化する特性の結界みたい。ネガ同士の力が拮抗しているからこその現象ね」


 真由美が魔法のフィールドスコープから目を外す。

 迷路の上空にのっぺりと浮かぶ顔のような紋様。あれは、確かヒロイックが戦ったネガだったか。『M・M』の影響がなくとも、その脅威が浮き彫りになる。


「要するに、まとめてぶっ飛ばせばいいんだろ?」

「清々しいわね。でも、正解」


 真由美の周囲、水色のナイフが大量に浮かぶ。物理原則を侵食する平面化。徐々に広がる虫喰いに先制攻撃を。


「跳んで」

「ロード!」


 標的は、平面化を担うネガ。灰色の道に乗ってあやかが駆ける。真由美の攻撃が使い魔を退けるが、虫喰いが境界を超えた。巨大な人食い蝿と食人植物が顕現する。


「リロード――――クラッシュ!!」


 あやかの一撃は不可視の空間に防がれた。あやかはなんとなくジョーカーの魔法を連想する。彼女の魔法も空間に作用するものだった。


「走り続けて。少しずつ削っていく」


 真由美の姿が消えた。彼女の魔法は万能だ。すっかり消えてしまったものかと思っていたが、サポートに徹した攻撃は続いていた。

 巨大蝿の愚直な突進を敢えて受ける。密着していれば、それはあやかの攻撃範囲だ。


「リロードクラッシュ!!」


 巨大蝿が失墜する。だが、まだ仕留め切れていない。追撃は植物のツルに巻き取られた。真由美の火矢が戒めを焼き切る。自由になったあやか目掛けて蠅の王が巨体を向ける。


「視野を広く」

「いや、突っ込む。真由美はサポートに徹してくれ」


 真由美が口を噤むのが見えた。あやかがやられれば、真由美が一斉に狙われるだけだ。無理をするならば、サポートの手を強めるのは必然。彼女の動きを野放図にするほど、あやかも信用していなかった。


「火だ! 植物の奴はそれに弱い!」


 乱れ打つ火矢。だが火力が足りない。成長を続ける強かさは真由美に勝る。あやかが平面の顔に殴りかかるが、やはり弾き飛ばされるだけだ。蛆山に墜落する。


「リロードロード――――確率変動ッ!!」


 真由美の反応は見えない。だが、ただならぬ表情を見せていることは想像に難くない。蛆にたかられるあやかだったが、無数の蹴りが脅威の群れをまとめて弾き飛ばした。


「焼けッ!!」


 燃焼。

 酸素を用いた酸化反応。真由美の脳内にはご丁寧に化学式まで浮かんでいるに違いない。『創造』の魔法はそこまでして初めて現実に具現するのだ。蝿の体表が燃え上がるが、それだけで止まるネガではない。


「おいおいおい! 俺が殴れねえぞ!」

「燃えても殴れば?」


 真由美姫からありがたい言葉を頂いた。実際、植物のネガには効果が大きい。あやかはリロード魔法を蓄え、一息にぶちかます。


「インパクトキャノン!!!!」


 熱さは感じなかった。蝿のネガが消し飛ぶ。やってやれないことはない。だが、平面の腕々があやかを取り押さえる。大技の後の隙。力一杯腕を振るうが振り解けない。芝生のネガは焼き切られた。後ろに視線を送るが、真由美からのサポートは来ない。


(え――――最後の一体はどこだッ!?)


 一度違和感を掴むと、それが爆弾のように膨れ上がる。二人の認識から逃れた一本足の怪物は今、真由美に奇襲を仕掛けていた。とてもではないがあやかのサポートには回れない。


「くそ⋯⋯こんな、とこでッ!」


 不覚を取ったとまでは思えない。ただ、一手しくじっただけだ。こんな事故みたいなしくじりで一回を無駄にしてしまう。そんな最悪な想像が身を萎縮させてしまう。また、繰り返すのか、と。



「りり――――――りりり」



 その声に、あやかは心を持ち直す。心を揺らす魂の音色。あやかに迫った平面の圧殺はリボンに縫い止められていた。神里の英雄。その凄まじさは身に染みている。


「アンタ、どうして⋯⋯⋯⋯?」

「困ってるみたいだから。お邪魔だったかしら?」


 あやかは首を左右に振った。こうすると喜ぶのは知っていた。ヒロイックの『束縛』の魔法がネガを縛る。奥行きのない平面から、三次元のフィールドに引き摺り出す。あやかが力強く拳を握った。


「リロード! リロード! リロード!」


 同じ舞台まで引き摺り下ろせば拳が通る。虫喰いの迷宮から蠅の王と食人植物が這い出てくる。だが。



(関係ねえ――――)


 ぶちかませ。


「インパクト・マキシマム――――ッッ!!!!」



 破壊の権化が平面化のネガを打ち砕いた。破壊の余波はそれだけに止まらない。平面化され、ごちゃ混ぜになった異界。。破片と化した4つの結界がゆっくりと崩れ落ちていく。


「これ、は⋯⋯⋯⋯?」


 あまりの破壊力に絶句する英雄を見て、あやかの心が晴れる。

 ここまで戦ってきた経験は本物だ。あやかは強くなった。ループ現象で肉体はリセットされるが、あやかの卓越した戦闘勘があればすぐに馴染む。

 今であれば、英雄にも、あのにも、もしかしたら。


「アンタ、神里の英雄だろ? どうしてここに?」


 肩を竦めた英雄の意図は、しかしあやかにはすぐに分かった。慌てて振り返ると、デッドロックとデザイアに挟まれた真由美の姿が目に入る。一本足のネガは既にに焼き払われていた。


「彼女は危険よ。それでも一緒に居たいというのなら、一緒に連れて行ってあげるわ」


 挑発、そう感じた。所詮、強い力には従うのだろう。そんな余裕が見え透いていた。

 だが、実際に今ヒロイックと敵対する意味はあるのだろうか。彼女もジョーカーとはあまり折り合いが良くなかった。裏切り者である真由美に固執してまで、英雄と敵対する意味はあるのか。あやかは打算に頭を働かせた。


「⋯⋯⋯⋯俺は、それでも⋯⋯やっぱり、真由美と一緒に居るよ」


 ヒロイックが不敵な笑みを浮かべる。敵対するのならば、容赦はしない。それが神里の英雄。甘くて優しいのは味方にだけ。さらには、真由美を助けるためにはデッドロックとデザイアも相手取らなければならない。絶望的な構図。あやかは目を血走らせた。


「りり――――こないの?」

「リロード」


 ジャラリ。鎖の音。

 離れていてはあやかの拳は当たらない。大きく前に出る。華麗に舞うヒロイックの後を、魔法のリボンが付き従う。衝撃を逸らし、その拳を封殺するため。


「インパクトキャノン!!」


 英雄の表情が崩れたのを、あやかは見逃さなかった。真っ正面からの打撃は方向を逸らされたが、防ぎ切れていなかった。リボンが千切れ飛び、英雄の横っ面がビリビリと痺れる。

 あやかはもう1歩踏み出す。

 だが、その足をヒロイックの足が踏み潰した。

 体勢を崩され、それでも見上げた英雄の顔にあやかは怯む。感情のスイッチを落としたような、否、感情の全てを敵意に終極させた表情。魔法は、現実すら歪める情念の発露。英雄はその極地に至っている。


「リロードロード! 確率変動!」

「りり」


 顎を蹴り上げられた。あやかの右足から展開された複数のロード魔法、その全てがあらぬ方向に向けられる。結果、増殖したあやかの蹴りは一発だって当たらない。ヒロイックが肉迫する。


「俺に、接近戦を……ッ!?」

「予備動作を与えるのは危険だから」


 身を寄せるヒロイックのボディに拳を放つ。半歩身を開かれて衝撃を逸らされる。カウンターで入る膝蹴りがあやかの土手っ腹に命中した。


「リロード!」


 だが、あやかは一撃入った勢いで距離を取る。僅か1歩分、ボクシングの間合い。その間合いの初撃ならあやかにも分がある。


「キャノンショットッ!!」

英雄鉄槌リヒトゲヴィヒト


 振り抜いた拳がヒロイックに届く。無数の分銅が視界を遮るが関係ない。確かな手応えと共にあやかは振り抜いた。はずだった。


「りり――すごい威力ね、ほんと」

「まだ、こんなに差があるのかッ!?」


 鎖とリボンで偽装した人形。一体、何をどうカモフラージュすればこんな芸当が出来るのか。声は背後から。慌てて振り返るが、もう遅い。

 ヒロイックの一撃は、しかし不可視の壁に阻まれた。


「ふふ、お楽しみのようね」


 マギア・ジョーカー。紫のマギア。

 あやかの拳に不自然な力が入った。どうしてここに。視線を真由美に移す。二人がかりではどうしようもなかったようだ。それでも、囚われただけで負傷はしていない。


「……貴女ね、噂のジョーカーってのは」


 悠々と舞い、英雄は乱入者を睨めつける。ジョーカーはくすくす笑いながら首肯した。


「トロイメライ。貴女はこんなところで終わらせない。それに……メルヒェンはここで始末させてもらうわ」

「させると思う? 私の街でそんな勝手を」


 ヒロイックがあやかに目配せした。あやかは分りやすくジョーカーに向き直った。ここでヒロイックと共闘できるのならば心強い。


「あらら、こわいこわい……」

(結界がまだ形を保っている⋯⋯?)

「この、結界は」


 ヒロイックの声にようやく気づいた。違う。この結界は、あやかが破砕した4つの結界のどれでもない。

 そして、足元の妙な違和感に気付く。


(流砂…………?)


 足場が脆い。睨み合う二人の視線がこちらに向いた。だが、互いに牽制し合って動けない。

 あやかはそのまま砂地獄の結界に飲み込まれる。

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